禁煙日記
煙草を吸い始めたのは、よくある話で好奇心からだった。親の煙草をくすねていたずらしてみたり、あまり罪もないところから始まっ たはずだ。ある時、鉛筆削りに貯まった削りかすを紙に巻いて吸ってみたことがあるが、焚き火の煙と同じでとても吸えるものではなかった。そんな具合で中学 の1〜2年くらいまでは、煙草を吸うのは遊びやいたずらの範疇に入る行為だった。
中学2年の後半から3年生くらいになると、だんだん悪くなってくる。不良っぽいことがかっこ良く思え、煙草の煙を肺の中まで吸える自分が誇らしかったりす る。しかしまだ煙草を持ち歩くということはなかった。
高校生になると、もう煙草が吸えないような奴は不良として認めてもらえない。不良として認められないと、もてない。もてないと淋しい。
しかもこの頃は、社会のことや人生について自分なりに考え始める時期で、報道される学生運動の高まりや、校内では担任教師との衝突やらを体験していくうち に、社会や人生を把握できたようなつもりになってしまった。その結果、「俺が正しくて社会が間違っている。したがって、社会のルールは守らなくて良い」と いう確信犯的な喫煙高校生ができあがった。
煙草は常時持ち歩くようになり、学生服のポケットに煙草のかすが貯まるようになる。停学を喰らったり、退学届けを書かされるという事件も煙草がきっかけ だった。他に悪いことやってたせいもあるけれど。
その後真剣に煙草をやめようなどと思うことのないまま喫煙歴は35年前後になる。
昨今の禁煙ブームには批判的な考え方だ。
あれはアメリカの健康ヒステリーが日本に伝わってきたもので、それまで煙草が原因で人が死ぬなんて話は聞いたことがなく、大袈裟すぎる話だ。あるいはもし も煙草の害が事実だとしても、こっちは高い税金払った上に命までかけて煙草吸っていることになるんだから、命がけの人間に対して傍でぎゃあぎゃあ言わない でほしい。91歳になる伯父が健在だが、「僕は35年前に煙草をやめました」と言う。ということは56歳まで吸っていたということじゃないか。私もその年 齢までは吸っていても91歳まで生きられるということになる。というめちゃくちゃな理屈である。
しかし煙草の害を主張する側は、科学的、医学的データを駆使して社会的プロパガンダを強め、私の理屈に対しては瞬時に百くらいの反論が起こることは間違い ない。先日の新聞には、「煙草は依存性薬物である」と主張する医者の記事があった。ひと昔前は医者だってみんな煙草を吸っていたのに。
しかも今月(2003年7月)からは煙草の増税だ。ろくな経済政策も打ち出せないまま、命がけの喫煙者に重税を課し、イラクに自衛隊を差し向けようなどと いう政治に協力なんかしたくない。
今や人の集まる場所で煙草の吸える場所はどんどん減っている。病院の待合室が禁煙なのは仕方ないとしても、駅もダメ、先日からは毎日行く銀行のロビーも禁 煙にされてしまった。煙草を吸えずにつらい思いをしなければならないのなら、煙草を吸えなくてもつらくない体質になるしかない。税金も払わないで済む。
よし、煙草やめてみよう。
煙草がやめられて、吸えないことがつらくなくなったら、ニコチンの摂取のためでなく煙草を味わうためにパイプ党に転向するんだ。


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