ある通訳者の生活と意見


生活と意見掲示板



9/8
2004

玉井健さんがまた本を出した。玉井健(編著)『英語シャドーイング・映画スター編 Vol. 1』(コスモピア)。続々と出そうです。作りは前作同様ていねいです。

斉藤兆史+野崎歓『英語のたくらみ フランス語のたわむれ』(東大出版会)。対談です。理論的な話はまったくなし。ただ「あとがき」が面白い。「がまんがならないのはただ、異国の言語とのつきあいにおいてもっとも豊かな実りをもたらすはずの、読んだり翻訳したりといった部分を切り捨てることで「グローバル」な世界への参列を果たせるかに思いこむ人々の発想の貧しさであり、その現実主義の空疎さなのだ。「コミュニケーション英語」の訓練を金科玉条とする姿勢は、そもそも語学力の増進という目標に照らしてさえ有効ではないのではないか…」というあたり。その通りだとは思うが、以前にも斉藤の本に触れて書いたように、それに対抗するためには「教養リバイバル」だけではどうしようもなく不十分だろう。

「なんでも掲示板」復活したようです。

9/3
2004

明日の話ですが、「社会言語学会」が東大の本郷キャンパスであるとのことです。うちの院生も発表するようだし、近所だし、いかねばなるまい。

This long run is a misleading guide to current affairs. In the long run we are all dead. Economists set themselves too easy, too useless a task if in tempestuous seasons they can only tell us that when the storm is long past the ocean is flat again.

政府や専門家の思わせぶりな甘言にもかかわらず、長期不況からの出口は依然として見えないが、日銀を含む経済官僚や銀行家、経済学者、エコノミスト、諸々のアナリスト(w の無能さが白日のもとにさらされたことだけは良いことだったと思う。さて上の英語はケインズの有名な言葉だが、以下の訳はいかがなものか。

(1)長期では(なんとかなるさ)、って考え方では、今どうすりゃいいの、ってことはうまくいかなくなりがち。 長期では、みんなくたばっちまうんだ。 大荒れの時期に、嵐がどっかに行けばまた静かな海が戻ってくるさ、ってことしか言えないなら、経済学者ってずいぶんとお気楽で、役立たずな連中なんだって自分自身を貶めちゃってるよね。

(2)・・・・長期的にみると、われわれはみな死んでしまう。 嵐の最中にあって、経済学者にいえることが、ただ、嵐が遠く過ぎ去れば波はまた静まるであろう、ということだけならば、彼らの仕事は他愛なく無用である

9/2
2004

「医療通訳ってなあに? 」というイベントのお知らせです。詳しくは日本通訳学会の「コミュニティ通訳分科会」のページをご覧下さい。

第1部講演:西野かおる氏(みのお英語医療通訳研究会代表・JAIS会員)
第2部対談:インタビューアー:本條勝彦氏(ICCS異文化コミュニケーターの会代表・JAIS会員)
・日本・海外における医療通訳事情・医療通訳の実例・医療通訳者の苦労と喜び
・『みのお英語医療通訳研究会』の活動
・医療通訳に取り組むようになるまで
・ボランティアの心
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・日時:9月12日(日)10:00−12:00(受付開始 9:45)
・場所:大阪市立総合生涯学習センター(大阪市北区梅田1−2−2大阪駅前第2ビル5階)
・参加費:500円
・申し込み方法:名前とメールアドレスを明記の上、メールで主催者 owner-iccs@freeml.com まで、先着順で定員35人。
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ゲストスピーカーの西野かおる氏は、日本通訳学会の総会(9月26日立教大学)において、 コミュニティ通訳分科会特別企画シンポジウムで報告予定です。
異文化コミュニケーターの会(ICCS)では、2ヶ月に1度、奇数月の第2日曜日午前10時から上記の場所で例会、会員によるトーク、プレゼンテーション、セミナー等々を開催する予定 です。海外生活経験者、在日外国人、語学教育関係者、通訳翻訳者、研究者、学生をはじめ、異文化コミュニケーションに関わる人、興味がある人は、誰でも参加歓迎とのことです。
異文化コミュニケーターの会(ICCS)では、メーリングリストを立ち上げています。
ICCSに参加ご希望の方は、http://www.freeml.com/info/iccs@freeml.com のウェブページからICCSのメーリングリストにご参加ください。

9/1
2003

「通訳理論研究会」時代からの最古参会員の一人、川島レイさんが本を出した。『上がれ!空き缶衛星』(新潮社)。
それはいったい何だ、というむきもあるでしょうから「出版者からの紹介」を。「日本で初めてジュース缶サイズの人工衛星づくりに青春を賭けた大学生たちの、汗と涙と睡眠不足の熱血理科系ドキュメント。やってみれば、できるんだ!」
Amazonのカスタマー・レビュー他で絶賛されています。書店では科学のコーナーにあるとのこと。さらに著者のブログ「川島レイのレイランドReiland」も。

8/30
2004

「なんでも掲示板」に借りていたOTDが壊れてしまったようです。こんなメールが。

「8月24日早朝より、bbs2サーバに障害が発生し、ご利用いただけない状態が継続しております。管理者様、掲示板ご利用の皆様にはご迷惑をお掛けしてしまい、大変申し訳ございません。復旧作業の経過のご報告でございますが、このたびの不具合に関しましては、BBS2サーバに物理的障害が発生致しましたため、復旧作業は困難を極めております。
現在、鋭意作業中でございますが、明確な復旧の目処は立っておりません。ご利用いただいておりました掲示板のご利用状態の回復、および過去ログの呼び出しが難しい状況でございます。」

「これはもうだめかもしれんね」というやつです。しかし過去ログも復旧できないとなるとお粗末きわまる体制であったということになる。それで「生活と意見掲示板」だけにしますのでよろしく。「なんでも」には一つレスをしていない書き込みがあったのですが、記憶を頼りにレスしておきます。

逐次通訳でノートを取るときや同時通訳で訳出していると原文が聞こえなくなるというお話だったと思うのですが、これは基本的には同時作業をする場合の「注意の分割か注意の切り替えか」という問題になるような気がします。「注意は分割できる」と考えて二重課題(たとえばリスニングしながら数字を100から逆に数えるとか)の練習に精を出すか、注意を2つ(以上)の作業でタイミングよく切り替えるのと、どちらか一方が自動的にできるまで練習するか、-練習法も違ってきます。結論を言えば注意分割はありえないと考えるのが妥当です。ただし、そういう話になる前に、自分の今の力がどのぐらいなのかを把握するのが前提になります。2つ以上の作業を同時にすることは、確かに1つの作業に集中するよりも難しい条件であることは確かです。しかし、仮にひとつひとつの作業の習熟度がまだまだ水準に達していないのであれば、複数同時作業をするのは時期尚早であることになります。たとえばこの文章が文法的にも内容的にもすっきりと頭に入り、すらすらと理解できるかどうかがひとつの判断基準になると思います。この程度の文章が難なく読解できなければ、これが音声で入ってくる場合に理解できるはずはありません。次の段階はこの文書を理解してそれをすぐに日本語に翻訳(サイトトランスレーション)できるかという基準です。サイトラが即座にできなければ(リアルタイムの処理ができなければ)同時通訳ができるはずはありません。この2つの基準をクリアしたときはじめて、「できない」のはなぜかが問題になります。この時点で通訳技術が出てきます。
要するに、「言語の理解力と翻訳力は十分にありますか?」ということです。他にも質問があったような気がします。また書き込んでみて下さい。

8/29
2004

いやはやすっかりご無沙汰してしまいました。何をしていたかというと、論文の執筆にかかりっきりでした。それも昨日でだいたい終り、英文校閲とフランス語のabstract翻訳を依頼中です。久々の本格的な英語論文だったのと、まったく新しい理論を展開するという内容だったので大変は大変でしたが、後半になるとのってきました。(とはいえ、振り返って考えてみると、基本的なアイディアは10年前とほとんど変わっていないんじゃないかという気もします。)この論文の準備のためもあって17日から京都で開催された第2回国際ワーキングメモリ学会にも行ってきました。素人ゆえ論文をよんでいるだけではわからないような点も、直接発表を聞くと「ああ、そんなふうにやってもいいんだ」と目から鱗が落ちる瞬間もあり、大変有意義でした。自分が発表するわけでもないので気楽な旅行でした。折から京都は大文字焼きで、あれは「大」の字だけかと思っていたらそうじゃないんですね。

ご無沙汰のお詫びに新情報。10月からNHK総合で通訳者を主人公にした連続ドラマをやるようです。
「結婚のカタチ」 10月4日(月)スタート(月〜木 23:00〜23:15)
実は5月頃、某エージェントの人から情報を得ていたのですが、こんなところにも「通訳者を演じる藤原紀香さんに、英語および通訳者の立ち振る舞い指導」なんて書いてあるので、もう宣伝してもいいんでしょう。脚本の青柳さんという人は通訳の仕事をちょっとしたことがあるみたいです。

突然ですが「日本通訳学会」のホームページが移転しました。ウェブデザインも会員の瀧川さんの手によって一新されています。
新しいアドレスはここ。ブックマークの変更をお願いします。

8/10
2004

7日の理事会をうけて、月曜日は会社休んで学会の雑務(懇親会やプロジェクターの予約など)。大会の概要も決定。学会のHPではもうプログラムや発表要旨などが読めます。申し込みはお早めに。

日本学会事務センターが破綻だそうで、委託していた学会は大変だろうなと思う。まあ人文系弱小学会は全部自前でやるので関係ありませんが。それにしても一体どうすればこれだけひどい状態になれるのだろうか。手数料で細々やるのが普通だろうに。

やはり反響はあったようで、いしいひさいちが「(笑)いしい商店本店」でちょっと書いている(「なにをアホな劇場 第十五回 思わぬ反響」でもとになった「ののちゃん」も見ることができる)。これでも分からない人(たぶんほとんどの人は分からないと思うが)は、「君が咲く山」でググってみてね。

8/3
2004

1日の例会は参加者35人という盛会でした。会員以外の人が12人も。テーマへの関心の高さはあったと思うが、学会のサイトは結構いろんな人が見ているのだなとも思う。さてあとは9月26日の大会の準備だ。発表申し込みも例年より多そうだ。一応締め切りは過ぎたが、まだ申し込んでいない人は7日の理事会の前までに到着すれば受け付けられると思います(たぶん)。

相変わらずいろいろなところから問い合わせが来る。事務局なのだから仕方がないとはいえ、あまり関係ない問い合わせもある。学会の印象を悪くしないようにできるだけ答えるようにはしているが、今月は月末までに論文を1本書き上げないといけないため、すでに論文執筆モードに入っています。半月ぐらい放置することもありえますのでそのつもりで。と、ここで言ってもしょうがないか。

20年ほど前に出た辻邦生(編)『外国語ABZ』(新潮社)をぱらぱら見ていたら、シュリーマンの外国語学習法が収録されていた。よく引き合いに出される有名な学習法なのだが、意外に知られていないのかもしれない。僕も『古代への情熱』は読んだはずなのに何一つおぼえていない。その有名な学習法とは実は次のようなものだった。
    「大きな声でたくさん音読すること、ちょっとした翻訳をすること、毎日一回は授業を受けること、興味のある対象について常に作文を書くこと、そしてそれを先生の指導で訂正すること、前の日に直した文章を暗記して、次回の授業で暗誦すること、である。(・・・)日曜には定期的に二回、イギリス教会の礼拝式に行き、説教を聞きながらその一語一語を小さな声で真似てみた。使いに行くときはいつも、雨が降るときでも、手日本を持って行って、少しでもそれを暗記した。(・・・)夜も少ししか眠らず、夜起きている時間はすべて、晩に読んだものを頭の中でもう一度くり返してみることに使った。」
へえ、シュリーマンってシャドーイングしてたんだ、という発見はともかく、これってごく普通の学習法ですよね。これでマスターできない方がおかしい。ただ普通でないのは、シュリーマンは乏しい年収の半分を勉学に充てたこと、そして学習の動機が「住まいは、暖房もないみすぼらしい屋根裏部屋で、冬は寒さに震え、夏は焼けつくような暑さ」「朝食はいつもライ麦粉の粥」というみじめな境遇から脱出してもっといい仕事につくためだったということだろう。

7/28
2004

友人で日本通訳学会会員の小倉さんがまた翻訳を出した。『奇跡の人 ヘレン・ケラー自伝』(新潮文庫)。子ども用の読み物というイメージを払拭するため、「大人のための翻訳」「一般読者向けの翻訳」をめざしたとある。ある作品が翻訳される過程で読者対象を絞られ、翻案されてしまうことはよくある。小倉さんの訳は小学生から大人まで十分に読める翻訳になっていると思う。巻末に大竹しのぶのエッセーが収録されていて、これもいい。

古井由吉『招魂としての表現』(福武文庫)の中にいくつか翻訳に触れた文章がある。あまり知られていないが古井はもとドイツ語の先生で、ヘルマン・ブロッホの「誘惑者」やムージルの翻訳者でもあった。
    「訳文の体に格別の注文があったわけではない。少々はあるつもりでいても、いざ原文を前にすれば、もうそれどころではない。入り組んだ原文を、日本語としてどうにか読者の忍耐の範囲内で読みたどれるよう、束ね直すことだけで精一杯になる。とにかく伝わるか、まるで伝わらぬか、そのどちらかであって中間はないという隘路ものべつ渡らされた。それを理不尽として憤る。これこそ理不尽な反応もしばしば起ったが、辛抱するうちに、それでも、物を書くことについて多少悟らされるところはあった。たとえば、できるかぎり訳文の平明さにこころがけるうちに、複雑な事柄に関する平明さはそれ自体が相応の複雑さをあらわす、でなければ紛い物になる、また、拡散してしまった平明さは平明にもならない、というようなことを。(中略)
     では、われわれに所与の、近代日本語の口語文がそもそも、足腰が弱いのか。あやうくて軽妙な動きを受け止めるのに耐えないのか。それで陰気になりやすいのか。そんなこともあるまい。古文の漉しや粘り、漢文の構築力や硬質の透明さ、それは無念にも失ったかもしれないが、事にひたと添い、内へ細く分け入っていく、その能力には秀でた言語のはずだ。ただ時間の流れに沿って、事柄にゆるくまつわりついているだけのようで、やがては蛇のように全体をじわじわと巻き込む。そう思わなければまた、やって行けない。」(「中間報告ひとつ」)
もちろん感覚的な書き方ではあるのだが、翻訳者として、また作家としての直感がよく生きている。翻訳をしたことのある人なら身に覚えがあるはずだ。こういうことを論理化することも翻訳研究のひとつの課題なのではないか。

7/24
2004

午前中3時間インタースクールでプロ科の授業。受講生は今日は3人だったが、僕が教えている中では最もレベルが高いのでやりやすい。青山1丁目あたりも20年前とは少しずつ変わって来ている。何よりも、樹木が育って背が高くなっているのがいい。20年もたてば当たり前か。
その後、立教に直行して独立研究科の受験説明会に。

到着した新刊についてちょっとだけ。
Mauranen, A. and Kujamaki, P. (Eds.) (2004). Translation Universals: Do They Exists? Amsterdam: John Benjamins.
Translation Universalsというのは普遍的意味のことではなくて、翻訳するとなぜかそうなってしまうような現象、たとえばexplicitation(明示化), disambiguation(あいまいさの除去), simplification(内容や形式の単純化)などを指す。主にコーパスを使うが、手作業でもある程度できる。このテーマで1冊をまとめたのはなかなかいい企画だと思う。
Hansen, G., Malmkjaer, K. and Gile, D. (Eds.) (2004) Claims, Changes and Challenges in Translation Studies: Selected Contributions from the EST Congress, Copenhagen 2001, Amsterdam: John Benjamins.
これは会議をもとにしているが、冒頭にChestermanとTouryがやはりTranslation Universalsについて書いている。通訳についても同時通訳におけるノンバーバル要素、B言語への同時通訳、通訳ノート、コミュニティ通訳について5編の論文が収められている。

これ以前の「生活と意見」

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