石垣りん

私の前にある鍋とお釜と燃える火と

それは長い間 私たち女のまえに
いつも置かれてあったもの、
自分の力にかなう
ほどよい大きさの鍋や
お米がぷつぷつとふくらんで
光り出すに都合のいい釜や
却初からうけつがれた火のほてりの前には
母や、祖母や、またその母たちがいつも居た。
その人たちは どれほどの愛や誠実の分量を
これらの器物にそそぎ入れたことだろう、
ある時はそれが赤いにんじんだったり
くろい昆布だったり たたきつぶされた魚だったり
台所では いつも正確に朝昼晩への用意がなされ
用意のまえにはいつも幾たりかの
あたたかい膝や手が並んでいた。
ああその並ぶべきいくたりかの人がなくて
どうして女がいそいそと炊事など 繰り返せたろう?
それはたゆみないいつくしみ
無意識なまでに日常化した奉仕の姿。
炊事が奇しくも分けられた
女の役目であったのは
不幸なこととは思われない、
そのために知識や、世間での地位が
たちおくれたとしても おそくはない
私たちの前にあるものは
鍋とお釜と、燃える火と
それらなつかしい器物の前で
お芋や、肉を料理するように
深い思いをこめて
政治や経済や文学も勉強しよう、
それはおごりや栄達のためでなく、 全部が
人間のために供せられるように
全部が愛情の対象あって励むように。


 薔薇や月や、星や太陽、そして恋人を謳うばかりを「詩」だと、 漠然とイメージしている人が多いかもしれない。そういう人がこの詩を読んだら、 何を感じるだろう。石垣りんの名前と経歴を知っている人ならば、 プロレタリア詩、生活詩と考える。心の中を白くして、文字を目で追うだけでよい、意味はすんなりと理解できる筈だ。意味の汲み取れない抽象的な比喩も、気恥ずかしくなるような、気障な言い回しもない。
 私は石垣りんの作品で、特に『私の前にある鍋とお釜と燃える火と』が好きというわけではない。この詩にいつも、そうだろうか?と疑問を持ってしまう。「鍋とお釜と燃える火」の前で「勉強」をして、一体何になるだろう。エライ人になるために勉強して初めて生活の役に立つじゃない?
 石垣りんは1920年生まれなので、彼女が食事の支度をするとき、コンビニやスーパーの総菜を並べるだけの、便利な食卓はなかった。洗濯機も乾燥機も掃除機もなかった。だから今、女がこの詩を読むと、たいそう古くさく、「うざったい」と感じるかもしれない。家事が「たゆみないいつくしみ」であったり、「無意識なまでに日常化した奉仕の姿」であったりした時代はもう過ぎた。男女とも社会に出て、自由に職業を選べるようになったのだ。忙しく働いたあとは、外食したってよい。「ほかほか弁当」を買ってもよい。料理が好きな旦那様と一緒に、楽しくお料理することもできる。料理は亭主にまかせちゃうことも。

 「それはたゆみないいつくしみ/ 無意識なまでに日常化した奉仕の姿。」
 「炊事が奇しくも分けられた/ 女の役目であったのは/ 不幸なこととは思われない、/ そのために知識や、世間での地位が/ たちおくれたとしても/おそくはない」

 馬鹿馬鹿しくさえある。世間での地位が立ち後れてからでは遅いのだ。けれども家庭内での炊事が、「日常化した奉仕」なのは、…それはそうかもしれない。作者は本当に「人間のために供せられるように/全部が愛情の対象あって励むように」勉強したいと思ったのだろうか。ホントは、自分の楽しみの為だけに、勉強したかったのではないだろうか。家や女であることから自由になりたくはなかったか。でなければ、何故「女の役目は不幸でない」と記さなくてはならないのか。不幸の告発みたいだと思った。

 「深い思いをこめて/ 政治や経済や文学も勉強しよう、/ それはおごりや栄達のためでなく、 /全部が/人間のために供せられるように/ 全部が愛情の対象あって励むように。」

 まるで組合活動の婦人部会で、女性の素晴らしさを訴えるためのプロパガンダ。強い反発を覚えるのに、 私は石垣りんの詩を読むのを止められない。

 自分の住む所には
 自分の手で表札をかけるに限る。
 精神のあり場所も
 ハタから表札をかけられてはならない。
(「表札」抜粋)

 『表札』では、「どこにも所属しない」精神を詠う。石垣りんの詩には、苦しみや悲しみを、正当化しないで、突き放した視線で表しているものが多くある。自分への憐れみに浸らず、分かりやすい言葉でしたためられているから、私の心にはとても痛い。

  ひとつの場所に
  一枚の紙を敷いた。
  ケンリの上に家を建てた。
  時は風のように吹きすぎ
  地球は絶え間なく回転し続けた。
  −中略−
  隣人はにっこり笑い
  手の中の扉をはいって行った。
  それっきりだった
  明るい灯がともり
  夜更けて消えた。
  ほんとうに不動なものが
  彼らを迎え入れたのだ。
  どんなに安心したことだろう。
 (「土地・家屋」抜粋)

 人は等しく「死」だけが本当の不動産なのだ。地球が絶え間なく回転する「時」を 「ケンリ」としては買えない。けれども、「ケンリ」を買ったら、これは不動のものだと思ってしまう。

 そこには傷んだ畳が十二畳ばかり敷かれ
 年老いた父母や弟たちが紙袋の口から
 さあ、明日もまた働いてきてくれ
 と語りかける
 月給袋は魔法でも手品の封筒でもない
 それなのに私のそそぎこんだ月日はどこへいってしまったのか
 (「月給袋」抜粋)

 夫婦というもの
 ああ、何と顔を背けたくなるうとましさ
 愛というものの  なんと、たとえようもない醜悪さ。
 この不可思議な愛の成就のために
 この父と義母のために
 娘の私は今日も働きに出る、
 乏しい糧を得るために働きに出る。
 あの、父の草履の音
 あの不可解な生への執着、
 あの執着の中から私は生まれてきたのか。
 やせて、荒れはてた母の手を
 ただひとつの希望のように握りしめて
 歩きまわる父、
 あのかさねられた手の中にあるものに
 また、私もつながれ
 ひきずられていくのか
 (「夫婦」抜粋)

 半身不随の父が
 四度目の妻に甘えてくらす
 このやりきれない家
 職のない弟と知能のおくれた義弟が私と共に住む家。
 古い日本の家々にある
 悪臭ぷんぷんとした便所に行くのがいやになる
(「家」抜粋)

 石垣りんは個人主義なのだ。私は家族のためにこんなに頑張っているのよ、なんて美談にしないのだ。 家族が負担ならそのように書く。

 「愛というものの/なんと、たとえようもない醜悪さ。」
 「あの不可解な生への執着、/ あの執着の中から私は生まれてきたのか。」
 「また、私もつながれ/ひきずられていくのか」

 負担な家族など、放り出して自由になればいい。家など捨てて、自分の為だけに生きたらいいのに。
 けれども、できないのだ。それは古くから受け継がれてきた習慣だったり、親子の血だったり、 「愛」だったりする。

 食わずには生きていけない。
 メシを
 野菜を
 肉を
 空気を
 光を
 水を
 親を
 きょうだいを
 師を
 金もこころも
 食わずには生きてこれなかった。
 膨れた腹をかかえ
 口をぬぐえば
 台所に散らばっている
 にんじんのしっぽ
 鳥の骨
 父のはらわた
 四十の日暮れ
 私の目にはじめてあふれる獣の涙。
  (「くらし」)

 こんなふうに生きることを詠んだら、これ以上の表現はなくなってしまう。痛切である。 自分の食べてきたものを数え上げ、最後に「父のはらわた」と言っているところに何とも表しがたい悲しみ を感じる。
 私は自分が生きている間、収入が安定して、世の中が安全で、楽に生きていけたら、あとはもうどうでもいい。時代はもう、作者の詩を読んで共感できる世代を、遠く昔に追いやってしまった。
 「親」なんて、子どもの都合で頼ったり突き放したりするだけの、単なる遺物になった。こうしてその子も親になり、今度は「長男だから」とか「跡継ぎだから」と子どもを育てる。自分達が歳をとったときの為の保険のように。そして、自分達が産んだ子どもの排泄物を紙おむつに包んで、コンテナに詰め込んで、外国に運んで捨てている。裏庭に放り出すみたいに。 勉強してエライ人になって、男も女も仕事を選び、自分達の排泄の、尻拭いも出来なくなったのだ。

 庭に
 今年の菊が咲いた。
 子どものとき、
 季節は目の前に
 ひとつしか展開しなかった。
 今は見える
 今年の菊。
 おととしの菊。
 十年前の菊。
 遠くから
 まぼろしの花たちがあらわれ
 今年の花を
 連れ去ろうとしているのが見える。
 ああこの菊も!
 そうして別れる
 私もまた何かの手にひかれて。
 (「幻の花」)

 この詩について茨木のり子はこう書いている。

−引用−
 石垣りんがこの世を去るとき、手を引いてくれるのは、作者を愛し身内では一番の理解者でも  あったらしい、このおじいさまかもしれないと思ったりします。石垣りんは、とても小さな  かわいい女の子に戻って、おじいさまと手をつないで、ひたひたと歩いていくのかもしれません。  どこかはわかりませんが、ともかく祖先たちの去っていった同じ方向へ……。
−引用おわり−
(1979年発行 岩波ジュニア新書「詩の心を読む」207頁 )

 『夫婦』では
「また、私もつながれ/ひきずられていくのか」
と、否定と抵抗を感じさせる言葉で綴って いたのが、『幻の花』では、
「そうして別れる/私もまた何かの手にひかれて。」
と、かろやかな余韻ある 言葉になっている。そこへ辿り着くまで作者は何を見ていたのだろう。
 私の学生時代、真面目だったり、一所懸命であったりすると、白けた目で見られた。明るくふざけていて、 何事にも無関心で、それが当然だった。イマドキのコドモは、親に向かって
「うるせぇ、ババア、誰が産んでくれって頼んだんだよ!」
と言うらしい。あ、これいつの時代のコドモも言っているかもしれない。そんなとき、もしも私だったら、
「うるせぇ、クソガキ。まさかこんなアホになるとは想像しなかったから、産んだんだよ!」
と言い返す。そして心の中で
「私だって好きで生まれてきたんじゃないんだよ!」
と悪態ついてやる。

書いた日 1998年から1999年頃

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