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オリンピックというと、どうしても安売り量販店を思い出してしまうなあ…というワタクシは生粋の庶民派(笑) それはともかく、オリンピックである。 ワタクシのオリンピックの想い出というと、やはり高校生当時だった1984年のロス五輪から、という事になるだろう。 というのは、その前大会である1980年のモスクワ五輪は、残念ながら日本はボイコットとなったため、中継はほとんどされなかったし、 さらにその前の1976年モントリオール五輪となると、さすがに小学生だったので、あまりよくは覚えていない、という訳である。 それにしても、モスクワ五輪のボイコットにはびっくりしたなあ。 ここで、当時の「米ソ情勢」についてああだこうだと論じても仕方がないから、日本が五輪をボイコットした事の是非について問う気は さらさらないので、ワタクシの子供心には「今回のオリンピックは見られないのか」という寂しさと、「今回のオリンピックのために 頑張ってきた選手たちが可哀相だなあ」という気持ちでいっぱいだったことのみ記しておく事にしよう。 そういえば、この「ボイコット」という言葉は当時かなりの流行語になり、お笑いタレントがこぞって使い、笑いを取っていたものだ。 してみると彼らは、五輪ボイコット騒動においては、数少ない「恩恵を授かった」組になるのではないだろうか。 ということで、次は1986年のロス五輪。今回は逆に、ソ連他数カ国の共産国が不参加となった。 さて、この大会で全世界が注目したのは、何といっても陸上のカール・ルイスである。 「確定」とまで言われた男子100mを始め、200m・男子4×100mリレー・走り幅跳びの出場4種目全てで金メダルを獲得。 一躍スーパースターの仲間入りとなった。 またこの大会は、日本人的にも「金メダルラッシュ」で、特に印象深い五輪となった。 「体操ニッポン」の復活となる「具志堅幸司の個人総合&種目別・吊り輪」や、今やすっかりタレントとして定着した森末慎二の 予選・決勝と全て10点満点での完全優勝を決めた「種目別・鉄棒」。 柔道では、「山下・涙の決勝戦」の無差別級を始めとした4階級。これにレスリングの2階級と、日本では射撃競技で唯一となった 「ラピッドファイアピストル」を含めた実に10個の金メダルを獲得したのである。…この頃はよかったなあ。 そして、この大会から「女子マラソン」が正式種目となったのだが、実はここで、後世まで語り継がれるようなある劇的な出来事が 起きるのである。 その主役の名前は「アンデルセン」。レース中に脱水症状を起こし、フラフラになりながらもゴールインしたその姿は、世界中に感動 を巻き起こし、これにより彼女の名前は、優勝した「J・ベノイト」よりも多くの人の記憶に残っているのではないだろうか。 しかし、である。ワタクシにはいまいちこれが納得できないのである。 勿論、あの状態から気力を振り絞ってゴールした彼女の頑張りはとても素晴らしく、それが大いに評価される事自体には、なんら疑問 の余地はない。しかしながら、レース中にあのような状態になるという事は、いわばマラソン選手にとっては「失格」そのものであり、 選手としては決して褒められた事ではないのである。 もし、彼女の事を「素晴らしい」と褒め称えるのならば、体調不良も何も起こさずに、彼女より先にゴールした選手の方が、より称え られて然るべきだと思うのだが、どうだろうか? まあ、派手な方が目立つのは仕方ないとは思うのだが…どうもねえ。 で、お次は12年ぶりに「東西揃っての大会」となった1988年のソウル五輪。 まずこの大会は、ワタクシの生まれ故郷である「名古屋」が、候補地として圧倒的有利と言われながらも、最終選考会で惜しくも 落選したという事を、最初に記しておかねばならないだろう。 さて、ソウル五輪は、何かと「ケチのついた」大会としても有名である。 「聖火の点火」で、「平和の象徴」であるハトが黒焦げになった開会式に始まって、屋内競技で度々起こった停電や、前代未聞の 乱闘騒ぎとなったボクシングなど、とかく「トラブル話題」には事欠かなかったなあ。 世界的注目では、なんと言っても「カール・ルイスvsベン・ジョンソン」に尽きる。 結果はご記憶の方も多いと思うが、ベン・ジョンソンが9秒79の圧倒的タイムで勝利したのも束の間、翌日の「ドーピング検査」で 陽性反応が出て、即刻失格。「ドーピング」という言葉がやはり流行語となる。 …こうして見てみると、オリンピックから生まれた流行語って、意外と多いんだなあ。 日本人選手では、「バサロ」を流行語にした、100m背泳ぎの鈴木大地や、もらった金メダルを上野駅に置き忘れたために、その後 バラエティで散々ネタにされたレスリングの小林孝至などが印象的である。 また、この頃はちょうど昭和天皇が倒れて緊急入院をしていた折でもあったために、国内では終始「自粛ムード」で行われていた 大会としても、意味深いものがあるだろう。 さて、その次は1992年バルセロナ五輪。 前回の「ハト黒焦げ」とは打って変り、「車椅子のアーチェリー選手」による聖火の点火により大盛り上がりで始まった大会である。 因みにあの聖火台は、実は「巨大な鯨のオブジェのシッポ部分」であったことが、その後ワタクシがバルセロナに旅行した際に判明し、 6年ぶりに感動を蘇らせたものである。 この大会は、ワタクシ的には何と言っても柔道に尽きるなあ。 男子78キロ級金メダルの「吉田秀彦」と、95キロ超級銀メダルの「小川直也」の、その後の日本格闘技界での活躍は、もはや 説明の必要もないだろう。 水泳では女子200m平泳ぎの「岩崎恭子」が、金メダル受賞のインタビューで「今まで生きてきた中で一番幸せです」という名言を 残し、日本全国を「君、ナンボほど生きとんねん!」という一億総ツッコミ状態に陥れた。 余談だが、この「今まで生きてきた中で…」のコメントを髣髴とさせるのが、SPEEDが解散した時の「これからは第2の人生を 歩みます」である(笑) その次の1996年アトランタ五輪は、イマイチ記憶に残ってないんだよなあ。 日本の金メダルも、前回のバルセロナ同様3つにとどまっているし。 むしろ金メダルを取った競技よりも、今回から正式種目になり、決勝で善戦虚しくキューバに敗れた野球や、田村亮子の2大会連続 の銀メダルや、「自分で自分を褒めたいです」のコメントで有名になった、女子マラソンの有森裕子の銅メダルなどが印象に残る 大会だったのではないかと思う。 で、最後は記憶にも新しい2000年のシドニー五輪。 これはやはり「高橋尚子」と「田村亮子」の女性両名による金メダルに尽きるだろう。 特に「女子陸上」では初の金メダルとなったマラソンの「Qちゃん」こと高橋尚子は、時の森首相がすぐさま「国民栄誉賞」を決めた くらいである。…もっともあれは、当時ドン底だった森内閣の支持率を少しでも上げるためのパフォーマンスの意味も多分に含まれて いる、という専らの噂ではあるのだが。 日本時間の朝方の受賞だったため、夜のニュースの時間には、監督の小出義男がすっかり「出来上がって」いて、各局のインタビューに ベロンベロンの状態で答えていたのが可笑しかったなあ。 また、Qちゃんが金メダルを取ったその日に、長嶋監督率いる「読売ジャイアンツ」がリーグを優勝を決めたというのも、実に劇的な 出来事だったなあ。 小出義男・長嶋茂雄ともに千葉の佐倉市出身なので、当日現地はさぞ盛り上がったことだろう。 少し前の日記にも書いたことだが、今回のアテネ五輪の選考会で高橋尚子が落選した事については、ワタクシは未だに「妥当な選考」 だと思っている。 本人的には納得できない向きもあるだろうが、考えてみれば「モスクワ五輪」の時には、選手にはその機会すら与えられなかったの だから、今回はそのチャンスがあっただけ幸せだったと言えるだろう。 それに、前回の金メダル獲得選手ですら落選するということは、それだけ日本のマラソンの選手層が厚いという事の証明に他ならない ので、これは素直に喜ぶべき事なのだろう、とワタクシは思うのである。 …とまあ、冬季五輪を思いっきり無視して(爆)モスクワ五輪から駆け足に回想してきた訳だが、こうして見てみると、自分はつくづく オリンピック…というかスポーツが好きなんだなあ、ということを実感した。 さて、アテネ五輪まであと2ヶ月足らず。 今回はまた、日本選手団そして世界のトッププレイヤー達がどんな感動を与えてくれるのかが、今から楽しみでならない。 |
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