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エッセイを始めるに当たり、最初のテーマを何にしようかと考えあぐねていた所、ひょんなところから 「良い野球ファン・悪い野球ファン・普通の野球ファン」 という「お題」を頂いてしまったので、これにからめて自分の野球感を書くとしよう。 日記で散々書いているように、ワタクシは巨人ファンである。物心ついた頃からだから、かれこれ30年来になる。 長嶋さんが引退したのが、ワタクシが7歳のときだから、「王・長嶋世代」というには、いくらか若いのかな?というところか。 実は巨人ファンになったのに、さしたる理由がある訳ではない。しいて言うならば「刷り込み」であろうか。 ワタクシは名古屋生まれであるが、小学校に上がる前にはもう関東に引っ越してきていた。 今でこそケーブルTVなどでプロ野球の全試合も観られるのだが、当時はテレビ中継は巨人戦しかやらなかった。 その上、新聞・雑誌などでも、取り上げられるのは巨人の選手が主体。 これで当時の子供、つまり我々以上の世代というのは、殆ど全てが巨人ファンになってしまったのである。 ところで、野球に興味がない人には、この「ファン心理」というのが理解しがたいのだろう。 以前、「松本紳助」という番組で、野球嫌いの松本人志が 「巨人を何年も応援しているといっても、何年前の巨人と今の巨人とでは、選手も総換えになってるハズなのに、なんでまだ応援出来る のかがさっぱりわからない」 というようなことを言っていた。まさに同じ事を考えたことがワタクシにもある。 実際、「今の巨人には特に好きな選手というのはいないなあ」という時にでも、相変わらず巨人を応援していた。 思うに、「この選手がいるから」という理由でファンになった人以外は、その「球団」そのものが好きなんだよなあ…。 だから例えばの話、今の巨人と阪神の選手がそっくり入れ替わったとしても、それぞれのファンが入れ替わるということにはあまり ならないだろうと思う。 少しおかしな話だけど、これが「ファン特有の心理」というもので、ワタクシには納得できるのであるが。 巨人ファンはよく「野球をよく知らない女子供が多いので、巨人が勝ちさえすればそれで満足している」といわれることが多い。 野球を知っているかどうかはともかく、女子供が多いのは事実である。 ただ、だからといってそれが「巨人が勝ちさえすればそれで満足している」ことの理由にはならないと思うのだが。 …というより、どこのファンだとしてもでも、試合内容はともかく、「自分のひいきチームが勝てればとりあえずはそれでよし」 という気持ちはあるだろう。いわゆるそれが、「普通のファン」ということだと思う。 それでは「悪いファン」とはどういうものか? 以前、東京ドームに巨人戦を見に行ったときに、ライト側応援席がいっぱいだったので、やむなくレフト側に入ったことがある。 そのときに驚いたのが、相手チーム側の巨人選手に対するヤジの多さである。 例えば、ホームベース上のクロスプレーで際どい判定とかがあって、監督と審判がモメてるときとかに、全然関係ない外野の選手に 「お前が悪いんだから、皆に謝れ!!」と言ってみたり、ホームランを打ってライト側のファンに挨拶している選手とかに向かって、 「余計なことすんじゃねー!!」とか言ってみたり…。 選手をヤジるにしても、自分のひいきするチームの選手がエラーしたり好機に凡退したりした場合に、「何やってるんだー!!」とか いうのは、一向に構わないと思うのである。それもある種応援のうちだし、そのヤジにも愛情が感じられる。 しかし、相手チームの選手をけなしたりヤジったりするのは、ファンとしては最低の行為だと思う。 …そういう意味では、あの阪神ファンの優勝して喜ぶ「道頓堀ダイブ」集団は、自分の応援する球団が勝って喜んでいるだけなので、 ファンのありかたそのものについては間違ってはいないとは思う。 ただ、それ以前に「社会の一員としてどうか?」という問題は残るのだが。 それでは逆に「よいファン」とはどんなものなのか? ワタクシが思うに、「特定の球団のファンというのは、それ以前に『野球ファン』でなくてはならない」のではないかと。 つまりは、自分のひいきチームを応援しつつ、野球という競技そのものを楽しめるファンがよいファンなのかなあ、と思う。 例えば、敵チームのファインプレーや個人記録などにも、心から拍手を送れるような。 まあ、どちらにしても、たかが野球・されど野球である。 どこでもいいから自分のお気に入りチームをひとつ持ち、半年近いシーズンをゆっくりと楽しむことを、ワタクシは強くお勧めしたい。 |
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