「小さな幸せ」


朝の6時ごろ。起きるにはまだまだ早い時間。
何やら胸の上に柔らかいものが乗っかってくる感覚。
ゆずである。
そうかと思うと、今度はあのザラザラの舌でもって、ワタクシの顎を舐め始める。
「お腹がすいたよぉ。起きてよぉ」
まるでそう言っているかのように。
朝、髭剃り前のこの顎は、ヨメには「ウザい」とすこぶる評判が悪いが、ゆずにとってはザラついた舌と相俟って、気持ちがいいらしい。
とはいえ、まだまだゆっくり寝ていられる時間の、この「ナメナメ攻撃」
かなりウザい。…でも、少しの幸せ。

ワタクシの両親は、子供を規則や躾で縛りつけるのが好きではないらしく、ほとんど「放任」で育てられた。
おかげで今のズボラなワタクシがいるわけだが。
しかしそんな両親にも、何故か変なところにこだわりがあった。
例えばコーヒー。
ワタクシは中学生に上がるまで、コーヒーというものを一切飲ませてもらえなかったのだ。
親曰く「これは大人の飲み物だから」
そんな話、聞いたことがない。友達だってみんな飲んでる。
…などという主張が聞きいれられる筈もなく、ワタクシは小学校の6年間というものを、「コーヒーへの憧れ」を抱きつつ過ごした。
そして今。朝に夜に食後のコーヒーを煎れて、ゆっくりと楽しむ。
好きな時に好きなだけコーヒーが飲める、ささやかな幸せ。

「小さな幸せ」という事で、ぼんやりと考えてみた。
もともと言う「小さな幸せ」とは、「庭の桜の木のつぼみが、日に日に大きくなって来た」だとか「人気のゲームソフトの最後の1本
が買えた」だとか「新しくバイトで来た女の子がちょっと可愛かった」だとかという、極々日常的な、言い換えれば当たり前に過ごして
いるところに存在するものである。
その一方で、「大きな幸せ」というのがある。これについては、「結婚」「出産」「出世」「名声」など個人的には様々だろうが、
一番多くの人が望むであろう、「大きな幸せ」とは、やはり「世界平和」だろう。
「戦争のない、平和な世界になってほしい」と。
では、実際にそういう世界になったとしよう。
戦争も、内乱も、革命もなにもない。「争い」という概念そのものが。
そんな世界が何年も続いてくると、人々の思う「世界平和」というのは、「大きな幸せ」から「小さな幸せ」へと変ってくる。
何故なら、「小さな幸せ」とは、「日常当たり前に過ごしているところに存在するもの」なのだから。
そして、そのことこそが、この世界にとって最も望まれることなのではないだろうか。
人々の「大きな幸せ」が「小さな幸せ」へと変るということが、実は世界にとっての一番「大きな幸せ」ということなのだ。

…と気がつけば、プロ野球開幕まであと一週間。
そういえば、「贔屓の野球チームが勝つ」というのも、もっともポピュラーな「小さな幸せ」のひとつか。


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