●剣豪佐々木小次郎伝説
浄教寺説(福井市浄教寺町)
武蔵の門人たちの話を熊本藩士豊田正剛が記録し、その子や孫によって江戸中期に整理された「二天記」という書物に『岩流(佐々木)小次郎』は『越前宇坂の庄、浄教寺村の産』と記されている。
高善寺説(今立町北坂下)
高善寺
高善寺歴代住職は宇多源氏の一族・佐々木四郎高綱の末裔と伝えられ、代々、佐々木姓を名乗り現在27代目を数える。 高善寺の過去帳と系図に、17代住職宗善の第六男の記述がある。『六男、武門に入る。小太夫(こだゆう)と称す』とあり、この小太夫が小次郎と伝えられている。
「二天記」には、戦国大名朝倉家の剣術師範『富田勢源(とだせいげん)の家人となって、幼少より稽古を見覚え、成長して三尺余(約1m)の大太刀をもって、勢源の打太刀を勉む』と記されている。 一乗滝下流には、戦前頃まで富田勢源道場跡地が残されていたが、現在は、水田となっている。 また、土地の言い伝えでは、一乗滝でつばめ返しをあみ出したと言い伝えられている。
一方、今立町でも柳の滝で「つばめ返し」をあみ出したと言い伝えられている。
「つばめ返し」は江戸中期頃につくられた話で、実際は「虎切剣(こせつけん)」という。ツバメが背をひるがえして飛ぶ姿を見てあみ出した剣法だともいう。
道場のあった浄教寺と高善寺は直線距離でわずか8キロしか離れていない。小次郎は毎日、道場へ歩いて通っていたのではないかと思われる。
今立町の言い伝えでは、武者修業の旅を決意し寺を出るとき、五郎八茶碗を割り『剣の道に一生をかけ、二度と寺に戻らん』と誓ったという。 その後、必殺剣法「つばめ返し」で剣豪として戦国時代に名を馳せ、慶長17(1612)年、巌流島での宮本武蔵との決闘の日を迎えることになる。
●佐々木小次郎ゆかりの地および周辺
●佐々木小次郎ゆかりの地をめぐる定期観光バス等
大人:5,500円小人:5,000円
○JR福井駅前 − 一乗谷朝倉氏遺跡 − 浄教寺 (※浄教寺バス停から一乗滝まで徒歩約20分)
○JR武生駅 − 和紙の里 − 小次郎公園 (※3月29日より11月末までの土・日・祝日と夏休み運行)
●佐々木小次郎関連イベント
●佐々木小次郎関係リンク