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これまでのつれづれ


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ばあちゃん。  2003 05/30

道を歩いていると、ばあちゃんと話し込むことが多い。
初対面。
目が合うので「こんにちは〜」と挨拶すると、そのままいろんな会話になだれ込む。
今年の天気、トマトの苗の選び方、同居している長男夫婦のこと、デイサービスでのこと。
ばあちゃん達はよくしゃべる。
私は相づちを打つのがうまい。
何故かというと、本当に話が面白いから。
このばあちゃんも戦争を乗り越えて、何もない時代からがんばっていらっしゃったんだろう、と、曲がった腰をふと見ながら思う。

父方のばあちゃんは、78才で亡くなった。
12月の29日まで働いて、1月2日に倒れて、1月4日に集中治療室で息を引き取った。
じいちゃんが死んでから一人暮らしで、バカ息子達(うちの父含む)に迷惑をかけられながら、それでも気丈にしゃきしゃきしたお人だった。
一番の思い出は、小学生の時にみんなで海に行く途中、ばあちゃんが車中で林檎をむいてくれたときのこと。
クルクルと器用に林檎の皮がむかれていく様子を見て、当時から夢見がちな少女だった私は、「ばあちゃん、林檎の皮を一度も切らずにむけたら幸せになれるんやって」と言った。
するとばあちゃんは即座に答えた。
「そんなんで幸せになれるんなら、とっくになっちょるわっっ!!」と。
ああ。そんなばあちゃん。
あの頃はびびったけど、今ならもっとうまく話せるのに。


猫を見た。  2003 06/02

スーパーからの帰りに、猫を見た。
うちにいるニャースケと同じような色合いの、やせっぽっちの猫。1才にはまだなっていないだろう。
野良猫にえさをあげるので有名な家の敷地内にいたから、きっと野良猫なんだろうな。毛も汚れていたし。
野良の割にはとても人なつこくて、スリスリしてくるので、連れて帰りたい気持ちを抑えるのに必死だった。
今うちにいるニャースケも、もとは野良だ。
記録的な豪雪の日に、アパートの前で出会った。
目がまん丸で、体ががっちりしていて、それはそれは立派なオス猫。
「ニ゛ャ〜〜〜〜〜〜」と変な鳴き声なので、とりあえず「ニャースケ」と名前を付けて、アパートに来たときはコッソリえさをあげていた。
やがて引っ越しが決まり、ニャースケともお別れだなと覚悟していた。
が引っ越しの前日に、ケンカでもしたのか、顔面血だらけ、前足も片方動かない状態で現れた。
即座に動物病院に連れて行き、処置してもらった。その時診てもらったら推定2才ということだった。
けがをしてぐったりしているニャースケを置いて行くには忍びなく、連れて行くことにした。
引っ越しの当日、ワゴン車やら、引っ越しの車に荷物を全て載せて、最後にニャースケを抱いて車に乗り込もうとしたとき、びっくりする光景を見た。
野良猫が5、6匹はいただろうか。
みんな少し離れたところに、きちんと居住まいを正してすわり、こちらを見ていた。
大きいのやら小さいのやら。
私とニャースケを乗せた車が動き出すと、その猫たちがいっせいに車の後を追いかけてきた。
50メートルも。100メートルも。
なんだか泣けた。
私はニャースケを連れてきてしまって、今でも後悔することがある。
ニャースケは私達にとって本当に大切な家族だけど、ニャースケにとっては、あの風の強い海に近い町で、仲間と一緒に気ままに暮らしていた方がよっぽど幸せだったんじゃないだろうかと、ふとした時に考える。
7年前のあの光景が、いまだに忘れられないがために。


花粉症のブルース  2003 06/04

忘れていたのに
忘れたかったのに
季節が巡り
出逢ったしまったわたしたち
あふれだす思いが止まらない
ティッシュの白さは無情の香り
ただじゃないのよ
コンサドーレティッシュ少し固いの
止まらないくしゃみで
大魔王が出たり引っ込んだり出たり引っ込んだり出たり
最後は月蝕の日に帰っていくのね
ああ 花粉症ブルース
流れていくのは鼻水じゃなくて脳みそ


やられたよ...  2003 06/06

みくびってたよ。花粉のことを。
ああ、そうさ。
鼻水出るぐらいで病院に行くもんかと思ってたよ。
こんなにつらいものだったなんて。
知らなかった。
気がつけば花粉のことばかり考えているよ。
何も手につかずに。
切なくて。
これは恋?
神様、教えて。


デジャヴュと予知夢。  2003 06/10

午後、ソファーで子ども達の声を聞きながらうたたね。
すると最近に珍しく、デジャヴュ。
「(°口°;) !! この感じ、前にもあった!!」
え?
昨日も昼寝しただろうって?
あはははは。
それかー。

いや、それはさておき、デジャヴュって不思議ですね。
私はあの感じがたまらなく好きです。
最高潮にいいときは、次に人が言う一言一句までわかったものでした。
感受性のとても鋭かった頃。
そうさのう、あれは中学生の頃かのう...。
予知夢をよく見ていたのもその頃。
ほぼ大したことのない内容だったのだけど、一度だけかなり大変な夢を見ました。
当時自家用車のなかった我が家でしたが、何故か夢の中ではワゴン車に乗り、峠をドライブ。
カーブを曲がりきれずに崖に転落するという夢でした。
「変な夢だなあ。でもまあうちには車がないしなあ」と思って目覚めた日曜日。
父が思い立って急に借りてきたレンタカーがまさにそのワゴン車。(その日の予定は父が急に決めたものでした)
「!Σ( ̄□ ̄;) マジっすか???」と思いながらも一同車に乗り込み、いざドライブへ。
道は夢と同じ峠を走っていきます。
「おとうさん!!あたし怖い夢見たけん、気をつけてな」と震えつつも、無事にドライブは終了しました。
「ほっ。しょせん夢は夢か」と安心しながら、家にたどり着き、車を降りたとたん、我が家で飼っていた猫が血まみれの姿でよたよたと現れるではありませんかっ?!
いや、まじで!!
どうみても車にはねられたようなその姿に、みんな仰天し、あわてて動物病院へ。
幸いにして一命は取り留めましたが、あちこちを骨折し、完治までには1ヶ月ほどかかったのでした。
どう考えても猫が身代わりになってくれたとしか考えられない、この事件。
チャッチャッチャラランチャララン(世にも不思議な物語テーマ曲)
サスケ!!
ありがとう〜〜!!


リンゴの思い出。  2003 06/14

晩ご飯はカレー。
子ども達用のカレーのためにリンゴを一個すり下ろす。
すり下ろしながら、小学生の頃に戻っていく。
母は夜出かけることが多かった。
母が出かけると、決まって父もいなくなり、私と弟の二人で夜の留守番。
私が小学5年生の頃だったと思う。
弟は3学下の2年生。
弟がリンゴが食べたいというので、いいところを見せようと、果物ナイフを引っ張り出してきてむき始めた。
それでもいかんせん5年生。
全部むき終わるまで食べちゃダメだと弟に言いながら、悪戦苦闘して、全部むき終わるまで30分以上はたっただろう。
茶色く変色して、すっかりぬるくなったリンゴを二人で食べた。
自分の幼さが悲しく、歯がゆかった。

今は、リンゴをむくのはうまくなった。
キャベツの千切りだって、ネギのみじん切りだって、タンタンタンタン、リズムよく刻める。
だけどできないことはまだまだたくさんあるんだ。


アロマパワー。  2003 06/25

なんとはなしに気が晴れない。6月ももうすぐ終わるというのに、長袖を着たいぐらいの肌寒い天候のせいでしょうか。
テンションが下がり気味なので、買ったばかりの「イランイラン」のエッセンシャルオイルを湯船に5滴ほど垂らしてみました。
イランイランは気持ちを明るくし、高揚させる効果があるらしいので。
浴室に立ち上るふくよかな香り。
ラベンダーやレモングラスといった爽やかさとはまた別の、貴婦人達の夜会に紛れ込んだかのような高貴な香りです。
しかし、夕方のお風呂。
当然4才の娘と3才のぼんずも一緒です。
湯船に使った瞬間こそ「ほう〜♪」なんて思いましたが、あとはお決まりのお風呂タイム。ざっざか、ざっざか、子ども達を洗います。
そのうちにだんだん子ども達がハイになってきました。
洗面器に湯船のお湯をすくって、豆まきごっこを始めます。
「おにはーそとー!!」「ふくはーうちー!!」
「おにはーそとおー!!」「ふくはあーうちー!!」
「ふくはあああーそとおおーー!!」「ふくはああああーうちいいいい!!」
「ふくはあああーー、さんじゅういちーーー!!!」
...おいおい、ふくは31って何なのさ。
暮れなずんでいく6月の住宅街に響き渡っていく豆まきの怪しい声。
イランイランは思いもかけない高揚感を残してくれたのでありました。


自転車と生傷。  2003 06/27

先日、お友達のHPにて美味しい食べ物の話になった。
牡蠣とか、穴子とか、たことか。
で、寿司ネタで何が美味しいかという話から、私の場合以前はウニだったんだけど、天売でどんぶり一杯のウニを食べてから「もうウニはいいや」となりましたよ、という話になって、ハタと思い出した。(注・天売とは北海道の東の方に位置する離島であります。フェリーで渡ります)
天売には美味しくて痛い思い出がある。

今を去ること8年前の7月。
職場の慰安旅行で天売に渡った。
美味しい海産物と、のどかな風景。
小さな民宿での酒盛りと楽しい談話。
次の日は友人とレンタサイクルで島内一周。
小さな島だけれど高低があって、上り坂がかなりキツイ。
流れ落ちる汗をぬぐいながら、やっと島の一番高いところまでたどり着いた。友人と歓声を上げる。あとは下るだけ。
自転車で風を切る。
汗ばんだTシャツを、7月の浜風が吹き飛ばすように抜けていく。
「ヒャッホウ〜〜〜〜〜〜!!」
坂道はどんどん続く。
スピードがつきすぎる。
一緒に走っていた友人はいつの間にかはるか後方に。
「...おんや〜?」と思ったときにはすでに遅し。
スピードが出過ぎて、ハンドルがぶれてきた。
カクカクがブルブルに、ブルブルがガクガクに。ガクガクがガッチョンガッチョンに。
そして「や・ば・い」の文字がスローモーションで脳裏をよぎる頃、私は空を飛んでいた。
今〜 わたしの〜 ねが〜いごとが〜 かな〜うな〜らば〜 つば〜さ〜が〜ほし〜い〜〜〜〜〜〜
ゲション。
道をはるかに左手にはずれた林の中に頭から墜落。
その上から自転車が降ってきた。
グシャッ。
頭が下になってさらに自転車につぶされているので、自力で起きあがれない。ふと顔を上げると、杭のようにとがった木が顔のすぐ隣にあった。「あー、これに直撃しなくてよかったなあ」などとのんきに思いながら、手の上をはい回る虫たちを見ていた。
とりあえず「タスケテ〜、タスケテ〜」とカタカナで助けを呼ぶ私に、真っ青な顔をした友人が救助に来てくれた。目の前で私が吹っ飛ぶのを見て、友人の方がショック状態が大きかった。
道までなんとか引っ張り上げてもらって、自分の姿を見ると、髪も顔も泥だらけ。服は破れて膝にはすり傷。
私はなんだかむしょうにおかしくなってしまって、げらげら笑ってしまった。
友人は青い顔のまま気持ちが悪そうだった。
いまだに自転車を見ると、あの時の話になる。

その一週間後、顔にすり傷をつけたまま、私は花嫁になった。


うれしいメール。  2003 07/01

昨日、とてもうれしいメールが届いた。
独身時代にお習字を習っていた先生から。
パソコンを始められ、年賀状を見てメール下さったそうだ。
仕事が終わってからの習い事。毎回ボロボロに疲れてたどり着く私に、ご飯を食べさせて下さる先生だった。(ご自宅に伺って習っていました)
「おなかすいてるんでしょ。いいから、座って食べてー」と、まずはご飯。少ない月謝は間違いなく私の食費となっていたはずだ。先生ありがとうございました。と、この場を借りてお礼。
実はこの先生は私の人生にものすごく大きな影響を与えている人でもある。

友だちと話していてよくからかわれるのは、「きゃめるってさ、絶対ほめるよね」と。
髪型がどうとか、シャドウの色がいいとか、出してくれた物の味がいいとか、器がいいとか。
言われるまで気がつかなかったのだけど、確かにそうなんだ。「いいな」と思ったことはついほめてしまう。
先日などは「今日こそはほめるのやめよう」と思っていたのに、「このドアノブのデザイン素敵だね」と口走ってしまい、居合わせた友人達に大笑いされた。

で、私のこのほめ癖は、大恩あるお習字の先生からいただいた物だということに今日気がついた。
先生は私のことをとてもほめてくださる方だった。
乗っている車のこと、髪のこと、お肌が綺麗だね、とか、性格が可愛らしいね、とか、本当に今思いだしても照れちゃって照れちゃって座っている椅子から転げ落ちて床にひっくり返って「ウキャ〜〜〜」とお猿になってしまいそうなほどに。
それまでほめられる経験のあまりなかった私は、どうしていいかわからずにあいまいに笑ったり、ビックリしてしまうだけだったような気がする。でも本当はとてもとてもとてもうれしかった。
自分のことが好きになった。

人との出逢いは自分を変える。
わずか34年しか生きてこなくても、こんなに変われた。
与えてもらうばかりではなく、願わくば、私も人に何かを差し上げたいと思う今日この頃である。


暗いニュースが多い中。  2003 07/11

我が家は読売新聞をとっている。
「北海道新聞」という地域に根ざした新聞が道民に広く受け入れられている中、なぜ読売なのか。
元をただせばいろいろな諸事情があるのだが、最近は四コママンガ「コボちゃん」のためと言っても過言ではなきにしもあらずんば虎児を得ず。んー。日本語って難しい。
毎朝、まず一面から目を通す。
コラムを読む。
読売のコラムには血が通っていて、とても好き。
記者の哀しみ、怒り、喜びがストレートに伝わってくる。
テレビ欄をざっと見てから、その裏を読む。
最近はほぼ悲しい事件ばかりだ。読んでいて、つらくなる。
一服の清涼剤、「コボちゃん」がそこにある。
お父さんがいて、お母さんがいて、おじいちゃん、おばあちゃんがいて、コボちゃんが生き生きと生きている。
悲しいことも、悔しいことも、つらいことも、腹の立つことも多いけれど、コボちゃんを見ると救われる。
世の中、いい人間ばかりではない。
汚らしいことも、心臓をつかみ出されるように悲しいことも、信じられないほど残酷なこともある。
それでも、美しいものがなくなった訳じゃない。
そうじゃないんだ。

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