ひょうし  おしらせ   えいが  ことばたち  けいじばん  りんく


これまでのつれづれ


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人を恋ふる歌。  2003 10/07

5歳の娘ピヨ子が、幼稚園から帰るなり何か一生懸命に書き物をしている。
「何書いてんのー?」とのぞき込もうとすると、
「ダメダメダメダメーーーッ!!」とすごい形相で隠す。
どうやらラブレターのようである。
書き終わってからややしばらくして、「お母さんにも見せてよ〜」と頼むと、
「お父さんにも言わない? 他のお母さんにも言わない? たぬ吉はどうせ言ってもわかんないからいいけど」などと念を押される。
「絶対絶対秘密にする!!」と固く約束をし、指切りげんまんをしてから読み始める。

がふっ!!

と思わず吹き出してしまうほどの可愛らしさ。
文面はプライバシーを考慮して伏せますが、世界中の人々に大声で読んで聞かせてあげたい!! あげたいったら。
思えば娘の初恋なのだ。
生まれてから5年とちょっと。
胸の奥がむずがゆくなるような、その子のことを考えるだけで心の体温が上がってしまうような、あの恋という名前の不思議な感情。
なんだか感無量なのである。
これからピヨ子に訪れる恋たちが、どうか素敵なものでありますようにと願うばかりの母なのであった。
ちなみにピヨ子が寝てからこっそり夫に手紙を見せると、なんとも複雑そうな彼であった。わはは。


女の子の大切なもの。  2003 10/09

その昔、山口百恵が「ひと夏の経験」という歌を歌っていた。
あなたに女の子の一番大切なものをあげるわ、という歌い出しの名曲。
小学生だった私は意味がわからないながらも、なんとはなしにその奥に潜む官能的なものを感じつつ、ドキドキしながら小声で口ずさんでいたものだった。

さて、高校時代、演劇部の後輩にTという美少女がいた。
うちの演劇部には美少女や美人が多くいた。
いずれもかわいらしく美しいのに、どこかヘンな人たちだった。
ちなみに私は美少女でも美人でもないただのヘンな人だった。
そのTが「ひと夏の経験」を歌いながら、「私...」と告白をはじめた。

「私、女の子の一番大切なものって、たらこだと思ってました...」

た、たらこ?!
なぜたらこ?

「それは...たらこが好きだったから...」

それからというもの「ひと夏の経験」を歌う時は
「あーなーたにーおーんーなのーこーのーいちばんーたいせつーなーものをあげるわー」のあとで「それは、タラコー!!」という合いの手がかかるようになったのでした。
「六本木心中」に「ソーレソレソレ」と合いの手が入るのと同じように。

Tちゃん、元気かなあ。


ヘンな会話。  2003 10/11

我が家のチビ達はご飯を綺麗に食べたらデザートがもらえることになっている。
デザートと言ってもそんなに大したものではなく、果物だとかアメ一個とか、たまにプリンなどいいものが当たることもある。
ピヨ子は最近もらった「干し梅」がたいそうお気に入りで、「梅アメ食べたい、梅アメ食べたい」と思い詰めている。
たぬ吉は梅干しがあまり好きではないので、できるだけ甘いものが食べたいと思っている。
今日はたまたまパインの缶詰になった。

パインの缶詰を食べながらの二人の会話。

ピ 「たぬ吉はさ、なんで梅干しキライなの?」
た 「パインがすきだから」
ピ 「そうだけど、でもなんで梅干しキライなの?」
た 「すっぱいから」
ピ 「すっぱいけど健康なんだよ」
た 「健康ですっぱいから」
ピ 「そうじゃなくて、健康っていうのはとっても丈夫って意味だ
   よ」
た 「.....」(無視)
ピ 「あのね、梅干し食べるとMちゃん(たぬ吉の好きな女の子)
   と結婚できるよ」
た 「MちゃんじゃなくてYちゃんっていうちっちゃい女の子と結
   婚するの。こないだ公園であった」
ピ 「ふーん。でもYちゃんパイン嫌いだって言ってたよ」
   (↑ウソ)
た 「きらいじゃないよ」
ピ 「きらいだよ。わかった?」
た 「わかんない」
たぬ吉、食べようとしていたパインを落とす
た 「落としちゃった。バチあたったの?」
ピ 「そうだよ」
た 「あー、バチあたっちゃった...」

バチとはなんと恐ろしいものであることか。


お下がり。  2003 10/15

お下がりの服が好き。
幸いにしてご近所に小学生の男の子も女の子もいるので、かなりのお下がりがいただける。
子どもの服は高くなくていい、ましてやブランド服なんて手が出ないし、必要ない。
着やすくて、枚数があって、デザインがシンプルで、女の子は女の子らしく、男の子は男の子らしく(ジェンダーフリーと言うなかれ。私はある意味古風な考え方の人でもある)
リサイクルもよく利用するのだけれど、お下がりとリサイクルは決定的に違う。
顔の見える人からもらった服は、その子どもやご家庭の思い出まで一緒にいただいたような気がするからだ。
実際、ピヨ子がもう着れなくなったワンピースを着て遊んでいる友達の子どもを見ていると、よちよち歩きだった頃のピヨ子が一瞬にして思い出される。
この服を着てどこそこに行ったなあ、とか、あの頃私はつまらないことで悩んでいたなあ、とか。
だからいただいたお下がりはバリバリ着せて、着せたところをなるべく見ていただく。
どなたもうれしそうな顔をする。
私もうれしい。
「この服、もう小さくて着れないねえ」と言うとピヨ子はすかさず「じゃあ、だれかにあげようか。お下がりで」と答える。
いいやつである。

でも、独身時代にはいていた私のスカート。
これは「いつの日かまたはける日が来るはず」と売ることも捨てることもできないままタンスの肥やしになっているのである。
おなかのお肉を見つめつつの水曜日。
ショボーン。


剣道の魅力について語ってみます。  2003 10/16

木曜日は週に一度の稽古日。
今日はずいぶん体が動いて、すごくすごく楽しかった。
動きたい時に動きたいように体が動く。
気持ちいいほど面が決まる。
技が決まると大声で「お面〜〜〜〜〜〜っ!!」だの「お小手〜〜〜〜〜〜っ!!」だの言えるからなお気持ちいいのです。ほっほっほっ。

さて、剣道の魅力って何なのかなあと考えてみたところ、どうやら静寂にあるようなのです。
面を着ける前の、黙想の静寂。
防具をつけてお互い向き合った時の、緊張感と共に流れる静寂。
その静寂をやぶって繰り出される技。
相手の気を読まなくてはヘナチョコリンな技になってしまいます。
自らを落ち着け、心を無にして、面越しに相手の目を見つめます。
お互いの気が満ちた時に電光石火で竹刀が動きます。
勝負がつく時もあるし、つかない時もある。つかない場合はそのまま激しい打ち合いになるか、または静寂からのやり直しです。
相手の気を読むという点では、日本人の特質に通じるものがあるのかもしれません。なんて小難しいことを言ってみましたが、よくわかりません。

じゃあ、明日に続く。


剣道の魅力について語ってみます。つづき。  2003 10/18

さてさて、昨日はどこまで話したかな?
おう、そうじゃそうじゃ。
ポン太とポン吉が亀をいじめた罪で竜宮城で牢屋に入れられ、白雪姫がそれを助けに来たところじゃったな。
いや、それは「ポン太とポン吉の大冒険」第83回の話じゃった。
ちなみに「ポン太とポン吉の大冒険」とは、寝る前に子ども達に話してあげるでたらめ話じゃよ。ほっほっほっ。
始まりの歌も終わりの歌もあるんじゃがの。作詞ピヨ子で作曲はこのわしじゃよ。なかなかいい歌で我ながら気に入っておるわい。

それはさておき、剣道の魅力ですね。
柔道と違って、剣道は相手と組み合ったところ(つばぜりあいと言います)からはなかなか技は決まりません。
お互い伸ばした竹刀の剣先が触れるか触れないかのところが「十分な間合い」と呼ばれるところです。
なので体と体の距離にすればおよそ1メートル50センチか60センチはあると思います。男の人であれば竹刀はもっと長くなるので、もっと距離が広がります。
この距離はけっこう遠いです。
下手に踏みこむと「出小手」「出面」と呼ばれる返し技(他にもたくさんありますが)であっという間に一本取られてしまいます。
そこで「相手の気を読む」のです。
相手が今何を考えているのか。
何をしたいのか。
ほんの数秒の間で自分と相手との距離を測りながら、静寂のうちに的確な瞬間を読みます。
それをうまく読めて自分の方が先んずれば、うまく一本につながりますが、読み違えたり、相手の読みの方が上であればやられます。
「マトリックスリローデッド」や「ブレイド」それからもうすぐ公開の「キルビル」などアメリカ映画で日本刀が流行っていますが、日本刀を使う場合、やはりどの監督もそうした「間」というものをきちんと描いているように感じます。(所作はおいといて)
「間」「間合い」、こうした概念が剣道ではとても顕著に感じられます。いや、最近そう感じるってだけで昔はそんなこと全然思っちゃいませんでしたが。そしてせいぜい私程度のものがそう考えるというだけのことですが。

あー、もう疲れた。
じゃあ、また明日!!


剣道の魅力について語ってみます。さらにつづき。  2003 10/20

もう疲れてきたなあ。
なんでこんなコトはじめちゃったのかなあ。
でもはじめたからには終わらせないと。
そう自分に言い聞かせ、キーボードに向かうきゃめるであった。

「間合い」というのは剣道の用語ではよく「一足一刀(いっそくいっとう)の間」などとも呼ばれます。
一歩踏みこめば相手を打てる距離のことです。
近すぎれば近間。
遠すぎれば遠間。
理想的なのはやはり一足一刀の間。
この距離感というか空気感が私はとても好きです。
「つかず離れず」ではないですが、日常生活においての他人との距離感にも通じるものがあると思うからです。
あまりにも密接しすぎた関係は疲れてしまいますし、遠すぎればもちろん交流が不可能になる。
おすすめします。一足一刀の間。
さあ、みなさんご一緒に。
一足一刀の間!!
   (いっそくいっとうのま!!)
ではいったんコマーシャルです。


剣道の魅力について語ってみます。これで終わり。  2003 10/23

なんかこの一週間、剣道日記でした。
他に書くことがなかった訳じゃないさ。本当さ。
でもこうして文にしてみると、つくづく奥の深いものだなあと思うさ。
私なんてまだ入り口をのぞいている程度なのでしょう。
そう思い知ったのは、まさしく今日。

背の高さは私と同じぐらい。(ちなみに162センチ)
体重も同じぐらいなのかもしれない。(50数キロ)
面をはずすととても温厚で、優しいお声のじいちゃん先生、M先生。
今日はM先生が徹底的に稽古をつけてくださった。
大人の稽古が始まる前に子どもの稽古があるのだが、そちらへの訓話として「苦しい時にこそ声を出して元気よく!!」とM先生がおっしゃっていたので、つらくなるたびに「がんばるぞう〜!!」と気合いを入れ直してがんばったら、軽い酸欠状態にまでなっちゃった。あはははは。
手がブルブル震えちゃうし。ヤバイよね。あはははは。
目の前ぼんやり暗いし。
もう治ったけど。
で、私はそんな状態なのに同じぐらい動いてらっしゃるM先生は呼吸も乱れていない。
「もうタチケテ〜」と思いつつ稽古終了。
駐車場までご一緒させていただき、しばし雑談。
「先生は失礼ですがおいくつなんですか?」との私の問いに
「年ですか? はっはっはっ。いくつに見えますか?」と先生。
「うーん。65歳ぐらいですか?」と私。
「いやいや、私は1930年生まれです」と先生。
せっ、せっ、せんきゅーひゃくさんじゅうねん〜〜〜〜〜〜?!
昭和5年〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ?!
ひえ〜〜〜〜〜〜。
おんとし73歳の先生なのだ。
勝てないのだ。どうしても。
体力ではもちろん私の方が勝っているに違いない。いや、たぶん、そう思うけど、どうかな。だめ? だめかもしれないけどさ。いや、どうだろう。
姿勢が良くて、温厚で、紳士で、そして真摯で。
「先生、これからもみっちり稽古をつけてください」とお願いする私に、
「はっはっはっ。生きてる間はやるよ〜」と笑いながら先生は暗い駐車場に姿を消された。
ああ、M先生。好きだっっ!!

これは剣道に限らないのだけれど、いくつになってもその時その時の生き方や特質が出るものがあると思う。
若い頃には荒削りで、元気いっぱいがいい。
年をとっていろんな経験をして、徐々に丸くなったり、凹んだり出っ張ったりしながら、その時その時の自分を楽しめるような生き方をしたいと思う。
小学校6年生の時に始めた剣道。
無我夢中でやったり、いやになったり、投げ出したり、仕方なくやったり、おずおずとやってみたりしながら、やはり私は剣道が好きなのだ。
はたして73歳になるまでできるかどうかわからないけど、私が73歳のばあちゃん剣士になった時には何が見えるのだろうかと思うと、ワクワクする。
おしまい。


男子バレーを見ながら。  2003 11/18

男子バレー、3連勝おめでとうございます〜!! ありがとうございます〜。
スーパーエースの山本選手、ハンサムさんです〜。(今時の言葉で言うとイケメン?)
加藤キャプテン、お子さんと一緒に最後うつってらっしゃいましたね。パパだったのね。ちょっと残念な気も。(笑)
それでもみんな私より年下...。
そうね。もうそんな年なのね...。
悔しくなんかないさー。本当さー。

ここからいきなりバレーから離れるのですが。
実を言うと年下や同年代の男性がとても苦手です。
もともと男性に対してあまりいい印象を持っていません。
なぜか。
それは私が小学生だった頃の思い出にさかのぼるのであった。チャララララーン。

5年生のある頃から、隣のクラスのB君が私のことを好きらしいという噂が流れていた。
本人から直接聞いたわけではなかったし、私には他に好きな人がいたのでそんな噂は聞かないようにしていた。
するとだんだん隣のクラスの男子達がエスカレートし始め、私が隣のクラスの前を通ると大声でB君の名前を連呼したり、B君を廊下まで引っ張り出して来たりするのだ。
B君は照れくさそうに笑うばかりで、その騒ぎを止めようともしない。
私はだんだん腹が立ってきた。
男子ってどうしてこんなにバカなんだろう、と。
徐々にそんなことは下火になっていたのだけど、中でも中心になって騒いでいたM君という男子だけは、私に会うたびいつまでもいつまでも私をからかうのだ。
中学生になって心機一転がんばろうと思っていたある日にからかわれた瞬間、私は反射的にそのM君の股間を蹴り上げていた。
股間を。
しかも思いきり。
いやー。かわいそう。
でもそれから言われなくなった。
よかった。

だのに、高校1年生の時にまたしても同じ経験をした。(本人に言われたわけではないのに、回りが騒いでうんぬんというパターン)
同じクラスのE君というサッカー部の男子が、噂の相手だった。
そういわれてみると、集合写真でいつも不自然なほど近くに写っていたり、同じ委員に立候補したがったりしていたE君だった。
その時は私もずいぶん大人になっていたので、いやがったり、無視したり、股間を蹴り上げたりしないで、演劇部のチケットを大量に売りつけたりしていた。
今考えるとイヤな女である。
でもチケットが売れて助かった。

B君もM君もE君も、それぞれいいおっさんになっていることだろう。

男子バレーのイケメン達を見ながらそんなことを考えていた火曜日。夜。


世界中。  2003 11/20

5歳のピヨ子は「世界中」という言葉をつかう。
「今日ねえ、ヘビ山(幼稚園の裏にある小高い丘)に登ったら世界中が見えたんだー」とか
天気予報を見ながら「あー、今日は世界中が雨だわー」とか。
彼女の目に映るもの、全ての大きなものは「世界中」という単語で表されるらしい。
狭いような、広いような、なんとも不思議な言葉ではある。
でも世界なんてそんなものなのかもしれない。

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