滞在日記 5月
滞在日記は主にロングステイの生活、感想などを中心に掲載します。
観光は主に「アルバム」をご覧下さい。

<トピックス>
食事のことハードディスクのフォーマットNARNIの祭り お金の引出し ツアー客の見る目 バチカンのオーディオガイド ローマのバス ローマのペリカン便 ローマの自動販売機 ローマの日本食材店 公園周辺の1日 床屋 日本食 六甲 博物館共通券 服装のこと 海外へのパソコン持参 注意事項 車のこと
2002年5月1日(水)快晴 10000歩
今日はイタリアの祝日 Il giormo del lavoro(メーデー)。例によって、商店、バスは休み、BARの一部だけあいている。
午前の散歩の途中、突如町の中心部でブラスバンドの音。閑人としては当然見物に向かう。多分、メーデーの関連とは思うが、趣旨の説明、看板、旗、何もないのでよく分からない。
地元の人間とおぼしいメンバー20数人の中に知っている顔を見つけ、合間に手を振るとうれしそうに手を振って返す。彼の職業は農業自営。数日前にK氏に紹介された日本女性Kさんと結婚予定のごつい29歳。見違えるように背広にネクタイで澄ましていたが、手を振るときの笑顔は若者。彼女の姿を周りに探したが見えなかった。
この町は本当に人と出くわす。先日の日記に書いた劇場のジュゼッペ爺さんともばったり出くわしたが、まことに親愛こもった挨拶、それだけでこの町が好きになる。
明日は朝6時40分のバスで1時間半ほどのORVIETOという古い町に日帰りで出かける。この町なら、日本の観光案内書に出ている。

K氏が携帯のCIMカード補充を早速やってくれた。しかしなぜか接続しない。日記の開店休業は当分続きそうだ。
2002年5月2日(木)晴 16000歩
ORVIETOに予定通りバスで出かける。バスから見える景色がすばらしい。山の中腹を縫って走るが、はるか眼下には見渡す限り田園地帯が広がり、頭上の山の頂には古城が点々と見える。
始発のAMELIAではわれわれ2人だけだったのが、次々乗り込んできていっぱいになった。そのすべてがORVIETOに通う高校生。定期のようなものがあるのだろうがみんな顔パス。帰りのバスにも、朝見た子が乗っていた。このバスは遠距離通学バスなのだ。

ORVIETOではDuomoがなるほどという感だったが、後の印象はよくない。
博物館等の内容が乏しい、町の中の観光標識が不親切、観光客のごみが多い。主な道は食い物屋と商店ばかりが目につく。
こちらに来てはじめて印象の芳しくない町に出くわした。夕方帰る予定を繰り上げ、昼過ぎのバスで帰ってきてしまった。
ORVIETOのために、弁護をすれば、初めてこの種の町に行けば、普通の道、家々のたたずまいはいいと思ったかもしれない。

イチゴをくれたアメリカ人達

城壁から眺める景色
2002年5月3日(金)晴 8500歩
今日は休養日。
食事のことを書いてみる。
朝はパンにマーガリンかバターをつけて、牛乳。野菜が若干。YouYouはパンの代わりにヨーグルト。こちらのは日本のより濃い。
昼はパスタ類かパン(サンドイッチ)。BARで食べることもある。1回300円程度。BARというのは日本の飲み屋のバーではない。飲み物はアルコール、ソフトドリンク、食べ物は、パン、パスタ、ピザ、ジェラートなど店によって違う。雑貨品を売っていたりもする。町で見かける店で一番多いのがこのBAR。開いている時間も長い。ちなみにコンビニはないので、機能的にはコンビニに近いとも云える。
夜はパスタ類とご飯ものが半々。ご飯もののときは当然日本食ということになる。前の日記にも書いたが、日本米に似た米がある。
炊飯器がないので、なべで炊く。初めは旨くなかった。YouYouはガスレンジの火力が強いためとろ火の調節が難しいと言っていたが、学習効果でレンジ4台のうち火力の弱いのを発見して、レンジを使い分けることにより、炊飯が格段に上達した。日本から持ってきた取って置きの米はまだ使ってないと言う。
こちらでは魚よりやはり肉が旨い。かつ安い。肉を多めに食べても、胃にこたえないのは不思議だ。日本では少し食いすぎると大田胃散を飲んでいたが、こちらに来て一度も飲んでいない。
またわき道にそれるが、小さな救急箱ほど薬を持ってきたが、私の血圧降下剤は別にして、2人とも何も使っていない。YouYouは下剤を持ってくればよかったと言っている(これを書いたのはYouYouには内緒)。
2002年5月4日(土)雨のち曇り 4800歩
朝から珍しく雨。天気予報ではイタリア全土で、雨もしくは雷雨だった。滞在しているAMELIA界隈では山の天候だろう。平均すれば日本の首都圏より、梅雨がないだけ雨が少ない。しかし夕方になるとぱらぱらと降ってすぐあがることが時々ある。夕方散歩に出るときは空模様を見て出かける必要がある。山の天気と同じで、急に曇ってくる。
イタリアは緑が多い。日本も多いので当たり前と思いがちだが、世界全体で見るとむしろ少数派ではないか。気候が最大要因だろうが、人の努力が加わらないとだめだろう。イタリア人一般を語る資格はないが、家主のPAOLO、近所のだんな方を見ていると、庭の手入れをしている姿をよく見る。奥さんに何かいわれながらだったりするが、大きな園芸センターに買い物に行ったり、本当にマメである。公園の樹木の手入れもおおむね良好。石造りの家に象徴されると思うが、すべて息が長い。

昼食前にPAOLOが上がってきて、YouYouに下にこいという。ニコニコして出かけて待つこと1時間半。いいにおいだなーと思っていると、PAOLOがマンジャーレ(飯だよ)と呼びに来た。
ニョッキ(スパッゲティーの一種かと聞くと違うという)、肉、デザートのイチゴ、コーヒー。すべて結構。いつもPAOLOの奥さんERSILIA
が料理を取り分けてくれる。適度に勧めて無理強いはしない。ワインも、PAOLOが適度に勧めてくれる。私に合わせてくれているのかもしれないが、のんべでなさそうなので助かった。
したがって、会話は相変わらず辞書片手だが、ストレスのない、楽しい会食が出来ている。

夕食はバラ寿司。持ってきた千葉の多古米。やはり旨い。昼(3時半頃まで)しっかり食べたので、あっさりやろうということで、YouYouが頑張った。何かの節目で持ってきたソーメンを食べようと話す。ローマで何か買ってきといたほうがいいかなー。
2002年5月5日(日)雨のち曇り 6000歩
日曜日で、雨模様。じっとしているに限る。しかしPAOLO一家はどこかへ出かけた。帰ってきてから聞くと、ERSILIAの田舎にまた帰って、庭に花を植えてきたとのこと。車で40〜50分の田舎道だが、PAOLOはまめだよ。
夕食はまたPAOLO一家と一緒。料理の種類は決まっていて、パスタ、肉、デザート、コーヒーと品数は少ないが、いつも内容が違う。旨い。とくに甘いものなら何でもOKの私としてはデザートが楽しみ。パスタ、ケーキも含めてすべて手作りだが、準備に2時間程度掛けている。日本の主婦は・・・禁句・禁句。
YouYouのレシピが増えて結構だが、同じ味が創れるかな。
2002年5月6日(月)晴れ 8000歩
今日は早朝から、アッシジの祭りを観に行く予定だったが、止めにした。というのは祭りの情報は「地球の歩き方、イタリア」に載っていた読者の投書から得たのだが、地元の人に確認するとこれが違うことがわかったため。今年は5月9から11日までらしく、毎年決まった日にやるわけではないようだ。地球の歩き方へ知らせてやるのが親切だろうね。
月曜日は博物館など観光施設は休館が多いので、ローマ行きは適当でない。
AMELIAの朝市、旧市街の散歩と年金生活者にふさわしいゆったりした一日を送る。
K氏から連絡があり、パソコンプロのファブリッツオはあさって水曜日時間を空けてくれたとのこと。しかし、彼の判断では接続の修復は現在のパソコンの状態では難しいかもしれない、ハードディスクのフォーマットが必要かもしれないとのこと。
ソフトを全部持ってきていない現状では、リスクのほうが大きい。できる限り自己責任で頑張ってみるが、時間は空けてもらうように依頼。
2002年5月7日(火)曇り時々晴れ 17000歩
早朝からローマへ向かう。ローマテルミニ駅から歩5分のところにあるマッシモ宮博物館のチケット売り場で、博物館共通券(Archoloia a Roma)を買う。英語が通じる。7日間で9つの施設が見れるもの、20euro。
地球の歩き方の記事はチケット売り場の場所が違っており、共通券の内容も古い。
ドムスアウレアの前売り券も買おうとしたが、予約のみで、予約先の電話番号をくれる。
ディオクレティアヌスの浴場(今は無料)、S.マリア.ディリ.アンジェリ教会、S.M.マッジョーレ大聖堂、フォロトライアーノ、ヴェネチア広場まで時間切れ(アルバム参照)。
昼は中華料理を食べようと初めからもくろんでいた。[Teng Long]という店で昼定食+デザートを食べて、一人10euro。チャーハンの美味かったこと。定食は4品で腹いっぱいになる。此処はいい。YouYouはサービス料が高すぎるとぶつぶついっていた。

ハードディスクのフォーマットに挑戦
ローマから帰って、パソコンを再チェック。スキャンディスク、デフラグも受け付けない。セーフモードになっての再立ち上げを繰り返すうちに、一度で立ち上がらなくなった。末期症状。
WindowsMeのリカバリーシステムにかけることにしたが、ソフトは一部分しか持ってきていないので、最悪を覚悟してはじめる。
夜10時ごろから6時間かけてほぼ完了。ウイルスソフトも時間はかかったが最新の定義までダウンロード成功。Meの弱さと、ドライバーのインストールも自動的にやってくれるリカバリーシステムのよさの両方を痛感。勿論ソフトが手元にないものは仕方がないとあきらめる。
しかし問題が2点残った。変わった接続方式のためか、メールの発信はできるが受信ができない。CDーRWがソフトがないため読めない。この2点はファブリッツオなら、簡単に解決してくれると確信して、就寝。
2002年5月8日(水)雨 6000歩
K氏とともにファブリッツオの店へ向かう。予想通り、簡単に解決。溜まっていたホームページのアップロード、メールの受発信を済ませる。メールをいただいていた方、掲示板に投稿いただいた方、反応が遅くなり、すみませんでした。
一日中、パソコンをできるだけ元の環境に戻す作業に追われる。
今回のことから、海外へパソコンを持ち出すときの独断的注意事項。
1.電話配線がない部屋を2ヶ月借りたのと、その後何箇所も泊まり歩くことを考慮して、携帯接続を選択したが、相性からWindowsMeは要注意。98,2000の方が丈夫なようだ。
2.CDできれば、CDーRW、重要なソフト持参。
3.メールの受発信、デジカメの写真保存ぐらいにして、やることを欲張らないこと。
4.年甲斐もないことをやろうとしないこと。しかし、やりたいんだね。私の場合は現地の専門家ファブリッツオがいなければ、携帯の機種選択で躓いたと思う。調べた限りでは、日本には海外で安く携帯接続できる機種の情報がなかったから。

ファブリッツオと事務所の女性
2002年5月9日(木)晴れ 22000歩 体重62K
早朝からローマへ。ローマテルミニ駅で、地下鉄の切符をタバッキ(売店)でなく、自動販売機で買ってみようと思い、地下へ降りた。ところがすべて使用不可の張り紙。駅員にどこで買うのかと聞くと、地上のタバッキで買えという。今日は最初から、くそー。
メトロB線でコロッセオ駅へ。地下鉄のほうが、駅名の表示があるし、B線ではないが、A線では次の駅名、着いた駅名の車内放送があり日本並。
コロッセオ。着くと入場券を買う長い行列。ここで博物館共通入場券が役に立って、待ち時間ゼロ。
パラティーノの丘、博物館。博物館はご愛嬌程度。フォロロマーノは以前きた時はサッパリ分からなかったが、今回は準備の所為か、建物の特定がある程度できた。
カンピドーリオ広場、カピトリーニ美術館。この美術館は世界最古の美術館とのことであるが、マッシモ宮博物館とともに一見の価値あり。館内はやや複雑で、一部の絵画を見落としてしまった。屋上のカッフェは安いし、見晴らしもよい。
パンテオン、ナヴォーナ広場。パンテオンは初代皇帝アウグストゥスとともにローマ帝国を建国した史上最高のNO.2アグリッパが造らせたもの。奇跡的に遺構を残す。

今日の見物は順調。気分よく帰る。

テルミニ駅地下鉄降り口
2002年5月10日(金)晴れ 20000歩 
今日も切符のことから書き始めることになる。今朝はバス40番でバチカンに向かった。ローマのバスは後ろの扉から乗り、黄色い箱に切符を入れてがシャリと、日付などを刻印するというのが手続き。ところが入れても反応なし。そばにいたお嬢さんもやってくれたが同じ。西洋人の例の首をすくめるポーズでにっこり。混んでいたのでそこにずっといたが、切符を差し込む奴すらほとんどいない。
心ならずも薩摩の守になったが、白状すると昨日の帰りもそうだった。今日の帰りは刻印できた。ローマのバスの有料乗車率はどれくらいなのか?イタリア人は機械ものを信じていないという人がいるが、本当かもしれない。
薩摩の守がバチカン詣でではご利益があるはずがないが、5年程前に訪れてから2度目。今回は長い列。何かと思ったら、以前なかったボデーチェックをやっている。
内陣は壮大。権威の象徴。歴代法王の遺品が納められた博物館もはじめて入った(美術館とは別)。
中世、法王は宗教的存在であるとともに、政治的存在、君主でもあった。金銀、宝石は当然、日本の本願寺の財力などバチカンの前では比較にもならないだろう。
といった下司的評価と、芸術性の高さは全く別もの。いずれも素晴らしい、ため息が出るようなものばかりだった。
バチカンにきたら、クーポラ(屋上)は必見。しかし、長い行列。これは待つ価値がある。急な螺旋階段を上がるので普通程度の体力はいる。
サンタンジェロ城。結論からいうと、パック旅行がサンタンジェロを大体はずしているのは正解だということ。とくにバチカンの後で行くとがっかりするだろう。
アルテンプス宮ローマ国立博物館。古代の彫刻が中心で、素晴らしいものがある。
しかし、正直、ここ数日見すぎた。だんだん驚かなくなりつつある。後日、バチカン美術館、ボルゲーゼ美術館(16日の予約)など大物が控えているが、感激できるかどうか心配になってきた。過ぎたるは何とかというが、少し水を入れながらのスケジュールにしないと・・・土・日は休養にしよう。


バチカンクーポラに上がる順番待ちの人々
2002年5月11日(土)晴れ 10000歩
隣町のNARNIでは2週間近く前から祭りが行われており、今日は中世の扮装をした行列が練り歩く、時代祭りのような催しがあることを聞いていた。
K氏一家も出かけるとのことであり、夕方からご一緒させていただいた。K氏一家は奥さんのマリアさん、あきら君、なおみちゃんの4人。ちなみにイタリアでは結婚しても、奥さんの姓は変わらないが、子供は父親の姓を名乗るとのこと。
祭りは想像を上回る人出で賑やかだった。今日のメインの行列は夜9時から始まって、2時間ほど。バスは終わっている時間だし、鉄道駅まで歩きでは無理な距離だから、皆くるまでくる。ローマあたりからも沢山来ているそうだから、駐車場は大混雑。
行列を観る前にまず食事。ところがこれがまた満員。このレストランが祭りだけ臨時の営業で、やっている人は皆ボランティアーだそうだ。大変な盛り上がりで、味も地元料理でよく、何より安い(一人10euro程)。
行列が始まった。この行列は30年程前から、中世の祭りを復元したものらしいが、地元の町興しにも当然繋がるわけで、出演者は全部地元の人。旗手、市長、司祭、騎士、侍女それぞれ、相応しい顔の、相応しいひげの人が、真剣な顔でやっている。どっかの国の時代祭りが学生アルバイトみたいなのばかりなのと比べると、雰囲気がある。
祭りの模様はアルバムへ。

K氏一家

レストランの盛り上がり
2002年5月12日(日)晴れ 5000歩
今日は休養日。午後、散歩の途中、AMELIAの博物館にはじめて寄った。ローマの大博物館にはくらべるべくもないが、小さな町の博物館としては、展示、説明(私には読めないが)丁寧だと思う。
2002年5月13日(月)晴れ 19000歩
早朝から、ローマへ。また切符のこと。今回はメトロ・バス共通の1日券を自動販売機で買った。ローマの自動販売機は癖がある。1日券(BIG)、3.1euroを買うときは、まずBIGのボタンを押して、10セントを最初に入れ、その後3euroを入れると、切符が出てくる。この順序が違うと、買えない。自動販売機を使うときは小銭が必要ということ。
カラカラ浴場、チェチリア・メッテラの墓、サン・カッリストのカタコンベ、ドミネ・クオ・ヴァディス教会、サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ大聖堂。
このコースの私にとっての目玉は、アッピア街道を歩くこと。驚いたことに2300年前できた道を車がガンガン走っていたこと。風情はないが、ローマの道造りのすごさを改めて実感。
またこのコースは乗り物をどう使うかにより、歩く量が大幅に違ってくる。「地球の歩き方」に書いてあるバス660番に乗ってみたが、、実際行ってみてそれとは違うバス、カラカラ浴場から118番のバスが一番便利だと思う。本数も多そうだ。
2002年5月14日(火)晴れ 10000歩
YouYouが疲れたというので、今日はローマ行きは休み。
YouYouの腕時計の電池が切れたようなので、時計屋へ行く。電池取替えは3.1euro。日本だと1000円〜1500円かかるからずいぶん安い。私の腕時計のバンドもくたびれていたので取り替えてもらった。8euro。これもしっかりしたもので、嬉しいことにAMELIA製の刻印が入っている。
スーパーで買い物をしていて、こちらでイタリア人と結婚するKさん、その友人の日本女性4人に偶然出くわす。女性4人はKさんが元勤めていた会社の同僚で、勤続10年表彰の休みを利用して、Kさんを尋ねて遊びにきたとのこと。
この旅には偶然の出会いがまことに多い。
2002年5月15日(水)晴れ 20000歩
今日は塩野七生の「ローマ人の物語の旅」という本で推薦されていたOSTIA ANTICA遺跡に出かけた。
想像していたより広く、一通り歩くのにほぼ1日かかった。ここは英語のガイドもしくは音声ガイドなしには辛い。ヒヤリング力があればなーと思うことが多い。一昨日のカタコンベ見学のときは英語のガイドの組に入ったが、悲しいことに所々しか分からなかった。したがって、今日はガイドなしで回ったが、もっと分からない。日本語の音声ガイドがあるのはごく限られたところ。自由旅行でヨーロッパを回る場合、各国語のマスターは不可能だから、せめて英語だけでも聞き分けられないと、博物館見学は面白さ半減となろう。
2002年5月16日(木)晴れ 14000歩
今日は予約を入れていたボルゲーゼ博物館(Museo e Galleria Borghese)の見学。
朝、NARNI駅でいつも切符を買っている売店の親父に好いかとカメラを向けると、早速ポーズ。今度はお前たちが店に入れ、俺が撮ると言う。日本の駅の売店では想像すらできないことだが、客をほったらかしにして、撮られたのがばかばかしい下の写真。
博物館見学のことはアルバムをご覧下さい。
昼にはラーメンが食べたくて、スペイン広場の近くの天津飯店に入った。ラーメン、焼きそば、餃子、シューマイ、杏仁豆腐。ラーメンはパンチの欠けた味だったが、そんな贅沢は言ってられない、うれしかった。しかし27euroはやや高いか。
2002年5月17日(金)晴れ 7000歩
今日は休養日。床屋へ行ってみた。BARBIEREの看板がかかった親父一人がやっている店。座ると何か言っていたが、今と同じにしてくれと単語を並べて頼み、始まってから約20分で終わり。刈るのとキワゾリで、8.78euro。終わってから良く見ると料金表が張ってあり、シャンプーつきだと、13euroちょっとだった。日本より安いが簡単。刈りかたは下手ではなかった。
2002年5月18日(土)晴れ 13000歩
夕方から、NARNIの旧市街へ散歩。AMELIAが全体で人口15000人に対し、NARNIは旧市街だけで10000人だそうだから、旧市街の規模としてはNARNIのほうがやや大きい。
DUOMOから教会、城への道筋をゆっくり散歩。先日の祭りの時と違って、観光客が多くなく、落ち着いたたたずまい。
AMELIAに帰って、ピッツェリアで夕食。リストランテよりも格下の気楽な店、若い人、若い家族連れが多い。7時半ごろ入ったらガラガラだったが、出る9時半ごろにはいっぱい。
それぞれ、前菜、ピザ、デザート、飲み物を注文、ピザはド〜ンと大きく、食べ切れなかった。40euro、味はいい。周りを見ていると、日本と同じで、ワインを飲みながらピザだけ食べてさっさと出てゆくカップルもいるし、店にもよるかもしれないが、注文は頑張る必要はないだろう。
2002年5月19日(日)雨 900歩
雨の日曜日。部屋から1歩も出ずに過ごした。街は例によって静か。
車のことについて少し書く。バス便しかないこちらでは車がないと真に不自由。一家に数台あるのが普通。車種は当然ヨーロッパ車がほとんどで、時々フォード等のアメリカ車、スズキ、三菱等の日本車を見る程度。2輪はスズキが多く、三菱車は4駆。道が狭く、曲がりくねっているこの町特有かもしれないが、小型車が多い。
左ハンドル、マニュアル車。オート車はほとんどないらしい。
車の掃除はほとんどしないらしく、汚い。日本では考えられない汚いベンツが走っている。
レンタカーの料金が高いことと、マニュアル車しかないことを聞いていたので、国際免許は取ってこなかった。正解だと思う。バス便に合わせて動けばよい(日曜日はバス休み)。
2002年5月20日(月)晴れ 7000歩
月曜日は観光に出かけないことが多い。教会は入れるが、博物館その他の観光施設は月曜休みが多いから。今日もゆっくり。
服装のことについて日本と比較して少し書く。
(イタリア一般ではなく、田舎町の様子。ローマ市内の繁華街は都内有楽町・新宿と同じ)。
若者はほとんど差がない。ご婦人、とくに中年以上は近所のスーパーへ買い物に行くにも、日本流に言えばよそ行きの着物、スーツ姿で化粧もきちんとしているように見える。「毎日が日曜日」の男性はジャケット換え上着で、ジャンパーを着ている姿はまず見ない。履物は革靴で、スニーカーは子供・高校生ぐらいまでのはくもの。
帽子も日差しが強いのに何故か被っている人は男も女もほとんどいない。気温のせいだと思うが、つい先日頃まで皮のハーフコートを着ているご婦人が多かった。
そうした中で、小さい2人の日本人が帽子を被り、ジャンパーを着て、スニーカーをはいて、うろちょろしているのは目立っているだろうなー。パソコン関連機材を最優先し、着るものをカットした報いか。
YouYouにこの文を見せたら、「そうだよ、アンダーラインを引いといて」とコメントあり。
2002年5月21日(火)晴れ 11000歩
早朝から、アッシジ、ペルージャ見物に列車で出かけた。車内はガラガラ、車両は新しい、気分よくアッシジまで1時間20分を過ごす(4.3euro)。ちなみに、イタリアでは車内の検札は必ず廻ってくる。
アッシジではDUOMO、サンタ・キアーラ聖堂、目玉のサン・フランチェスコ聖堂、大城塞を回った。
DUOMOを見学しているとき、中年の日本人夫婦とご一緒になった。こういうことは旅先でよくあるようで、あまりない。日本人どうし行き逢っても、知らん振りが普通。とくにツアー客には添乗員の指導もあって、うっかり話し掛けると疑いの眼で見られる。かえって、アメリカ人のほうが話し掛けてくることが多い。
なんとなく感じが合って、アッシジではズーと行動を共にすることになり、最後は駅まで送っていただいた。Mさんご夫婦と,
しよう。Mさんは長期勤続のご褒美で、2週間の休暇が取れてのイタリア自由旅行中、レンタカー(イタリアでは珍しい、オートマ車)で、5日間の田舎周りをされている途中だった。なかなかできない。海外旅行のひとつの良さは型にはまらない人に遭えること。奥さんも明るい大阪の人で、ご一緒した昼食のリストランテもうまかった。よろし、おました。
ペルージャではDUOMO、コッレージョ・デル・カンビオを覗き、街をぶらぶらした。目玉と思っていた国立ウンブリア美術館は修理で6月21日まで閉館のため、残念ながら見れなかった。帰りは予定の17:15発の列車に滑り込みで間に合った(107k、5.1euro)。

Mさんご夫妻と

アッシジ 街角のマリア
2002年5月22日(水)晴れ 8000歩
今日は遠出をしない日。昼食を外で食べることにし、AMELIAでは美味いといわれているリストランテ「IL CARLENI」に入った。DUOMOのすぐ下にあるこじんまりした店で、一度だけお茶を飲みに入ったことがある。イタリアにしてはあっさりした味付けでうまかった。
注文のことを少し書く。ここは英語がある程度通じるのでらくだが、それでも意思疎通には苦労する。前菜、1の皿パスタ、スープ、2の皿肉類、デザート、コーヒー類。
2002年5月23日(木)晴れ 14000歩
早朝から、ローマへ。Domus Aurea ネロ帝の黄金宮殿、サン・ピエトロ・イン・ヴィンコリ教会、バルベリーニ広場、側のバルベリーニ国立絵画館を見学。黄金宮殿のことはアルバム2をご覧下さい。バルベリーニ国立絵画館はバロック期の名画が展示、その中でも目玉のラファエッロの恋人の肖像といわれている「La Fornarina」がなかった。館員に聞くと、ミラノのブレラ絵画館に行っているとのこと。ミラノで見よう。
昼は、ついに日本食!バルベリーニ広場の近く、六甲という店。寿司セット、冷奴、麒麟ビール小、狐うどん、河童まき、おしんこまき。約2人前ずつ食べた。狐うどんの汁は色が関西風、味は関東風。63.40euro。お客は日本人がほとんど。食べていると、25人さまの日本ツアー客が入店。夜はイタリア人が多いとは店の話。写真は六甲。
2002年5月24日(金)曇り時々雨 5500歩
今日は出かけない日。
FAXをローマから受信する必要があり、大家のPAOLOに相談するため2階へ降りていった。PAOLO宅にFAXがないのは分かっていたが、1階の息子さんのPIERPAOLO宅にないか聴くと、ないという。さらに、盛んに何か言っているが、分からない。ついて来いというのでついて行くと、1階の店子のパソコン屋へ連れてゆく。話は簡単だった。こちらの携帯の番号を教えて、待つうちに連絡あり無事受け取り。
FAX受信を店に頼んだ後で、YouYouとのやり取り。「料金を払うといっても、多分受け取らないよ。お得意の折り紙作戦で行くか。パソコン屋だから、CD-R/RWを買おう。」
驚いたことにFAXを受け取りに店に顔を出したとき、わざわざPAOLOも覗きにきた。足音を聞いて、心配で見に来てくれたのだろう。何とも言いようがないね。GRAZIE!
2002年5月25日(土)曇り 7500歩
ワインがなくなったので、散歩がてら買いに出かけた。前にも買った日本女性Kさんの未来のだんなの農家へ。丁度出かけるところだったが、快く樽からペットボトルに入れてくれた。この前は木製の樽から、今日は新しい樽から、異なるワインだ。3euro。Kさんも一緒で、家まで送ってゆくというのを、散歩の途中だから歩きたいと断り、ぶらぶら下げて帰る。2人を乗せた車が手を振りながら追い越していった。うまくいっているようだ。
今晩はPAOLO一家と会食。例によって、YouYouは6時ごろ料理見習のため2階へ、PAOLOが7時半ごろ呼びにくる。だんだん平気になる。お互いにそうだろう。いつか聞いたことがある言葉だが、要は訪問回数だね。今晩はいのししの肉料理が出た。イタリア人もいのししを食べるのに驚いて、色々聞いてみたが、飼育したのではなく銃で撃ってとってきた物らしい。
日本のいのしし料理について説明したが、多分分からなかったろう。

ワインを入れているところ
2002年5月26日(日)晴れのち曇り 4500歩
パソコンを少し触っただけの一日安息日。
[お金の引出し]について少し書く。こちらにくる時、滞在期間中の生活費を如何に安全に用意するかも、課題のひとつだった。複数の方法を用意し、その本命はシテイバンクのカードと想定した。結果は想定どおり、シテイバンクカードがあれば不自由がない状態。しかし、準備としては複数手段をお勧めする。詳しくは生活あれこれの[お金の引出し]の項をご覧下さい。
2002年5月27日(月)曇り 4000歩
今日も静かにしていた。
AMELIAの公園周辺の一日について少し書く。イタリアの公園は、広場と並び人が集まるところ。日本の地元の公園の一日を書こうとしても平板で書き難いが、AMELIAならば多少書ける。
朝7時前後、さすがに人影が少ない。ゴミ回収車は6時頃から動いており、また清掃の親父がバス停の広場から公園の側道まで決まってはいている。ローマに出かけるときは朝6:50のバスに乗るが、そのときはお互いに挨拶を交わす。
7時から8時にかけては通学・通勤の人が通る。日本と同じ。
10時から1時頃まで、[毎日が日曜日]の親父連中がベンチでたむろする。日本だと地元の公園にぽつんと座ってい難いが、イタリアの場合はこのAMELIAだけでなく、たむろしておりたぶん何時も同じ顔ぶれだろう。こちらも挨拶を交わす人が結構増えた。
2時少し前まで、孫の守をするじいさんの姿を多く見る。その頃、女性は昼の支度中。昼食は2時前後からたっぷり時間をかけてとる。だから、2時頃から3時過ぎまで公園は閑散としている。車の通行も少ない。
4時ごろから7時頃まで、学校帰りの高校生、子供を連れたお母さん、おばあさん、側のBARではいつもの親父連中、ベンチに座っているのだけでなく、立ち話のも含めいろいろ取り混ぜて真に賑やか。
8時頃から夕食が始まるが、その頃になるとサーといなくなる。何しろこちらでは暗くなるのは8時半過ぎ。食事の時間サイクルが1〜2時間遅くなるのは当然か。
2002年5月28日(火)晴れ 15000歩
早朝からローマへ。今日はちょっとした用足しと、観光のためでかけた。
日本の食材を買うため、Cola di Rienzo通りにあるCastroniという店に行った。この店はスーパーのような店で、イタリアのものは勿論、日本・中国の食材も売っている。日本語は通じない。
ハウスバーモントカレー4.9euro、サッポロ一番1.45euro、キッコウマン醤油小ビン3euroを買う。日本で買うより当然高い。その他、アキタコマチ、のり、豆腐など色々ある。パジャマに上着を羽織った姿で日本人男性が買い物に来ており、多分すぐ近くに住んでいるのだろうが、あまりにラフな姿に驚いた。
滞在地Ameliaを去るとき、荷物の一部を日本へ宅急便で送るつもりだが、その調査と打ち合わせのため、ローマのペリカン便窓口を訪ねた。場所はローマ三越の筋向い。ここでは同じ日本人担当者が、JTB・DC窓口・宅急便その他幅広い業務をこなしている。資料・申込書を貰い、スケジュールを打ち合わせる。(JTB Travel Plaza via TORINO 32 A/B 06−4890−4745)
ローマ三越を覗いたが何も買わず。見残していたドーリア・パンフィーり美術館による。ここは画が中心だが、貴族の館をそのまま美術館にしており、一番の見ものは室内装飾・雰囲気。
2002年5月29日(水)晴れ 7000歩
今日は出かけない日。現在滞在している住まいについて、一部写真付でまとめてみた。2ヶ月生活するのだから、あまり狭くては息が詰まるし、あまり豪華版では財布がはじける。自分では程よいところと満足している。詳しくは生活あれこれの[滞在している家]の項をご覧下さい。
2002年5月30日(木)晴れ 19000歩
ローマ観光の目玉中の目玉、バチカン美術・博物館に1日篭るつもりで5時起きで出かけた。8時45分が開場時間だが8時頃つかないと大変な行列に巻き込まれるとガイドブックに書いてあった。8時過ぎに着くとすでに数十人の行列があり、8時半ごろにはツアー客も含めすごい行列。前評判どおり。ところが、多分アメリカ人と思うが、すぐ前に居たアメリカ人に、「今日はクローズだよ」といいにきた。そんなことは聞いていないと、誰も信じない。小生も口を出して、お前さんは何者だ、と失礼なことを言う。その先生、自分はあそこの掲示を見ていっている。とにかく見てみろ。見に行ったら、その通り。すったもんだしているうちに開場時間になったがやはり扉は開かないない。
帰る途中も列の最後に着く客が続々、日本人らしいのにクローズだよと教えてやったが、やはり信じない。日本の[地球の歩き方]だけでなく、イタリアのも、アメリカのも、クローズとかいてなかったようだから仕方がないとは思うが、自分で確認しなかったのが悪い。今回の長期滞在で分かったことは[地球の歩き方]は総合点は高いが、古い情報、間違いも多い。バチカン美術・博物館の2002年閉館予定日はアルバム2参照。
バチカンの代わりに、塩野七生さん推薦のエウルにあるローマ文明博物館へ行った。展示物はほとんどがコピーだが、時代順に整理されており、通常は見れない作品のコピーもあったので頭の整理には良かった。しかしマニアの行くところ。小学生の社会科の課外授業に最適のところのようで、見学者のほとんどは小学生と、引率の先生。

バチカン美術・博物館の開館を待つ人々 待ちぼうけ
2002年5月31日(金)晴れ 18000歩
バチカン美術・博物館へまた出かけた。8時過ぎに到着、すごい行列。開館と共に人の波が動き始めて、意外に処理が早い。入館料は10euroとキリがいい、販売窓口も多い。オーディオガイドは階段を上った上の階で借りる。日本語もあり、5.5euro。パスポートまたはクレジットカードを保証にとられる。5年前借りたときはパスポートを渡したが、今回は予備のクレジットカードを用意しており渡した。当然きっちり帰ってきた。このオーデオガイドは是非お勧め。CDで動き、番号を押せばすぐ該当の解説が始まり、分かりやすい。ネロの黄金宮殿で借りたテープのオーディオガイドとは大違い。
ここは原則カメラ・ビデオ・フラッシュOK.。一部の部屋の入り口にフラッシュ不可などの表示がある。最後の審判のシスティーナ礼拝堂は全て不可。荷物はロッカーはあるが、預けるのを義務付けられてはいない。館内にはBAR,セルフで食事をするところがある。
9時前に入って、簡単な昼食をはさみ、2時ごろまで約5時間頑張った。われわれの体力・気力ではいいところ。オーディオガイドを聞きながら、みたいと思っていたところはほぼ見ることができた。
ただ、館内全体の案内図だけは手元にもち、見た美術館をチェックしていかないと館内は真に広く複雑、人並みが多いので、見落とす恐れがある。
見た中身のことも書かねばと思うが、書けない。ローマの博物館・美術館の主なものを一通り見て、少し休んで気持ちを新たに来てみたが、今まで見た全部を含めてもバチカンにはかなわない。ローマ法王の権威・権力・財力のすごさを改めて実感。ところで私の家は仏教徒だが、キリスト教徒、中でもカトリックの人は全然違う感慨があるだろう。こればかりは宗教の立場と歴史の違いでどうしようもないこと。いずれにしても、超一流のものは好い、という割り切りでゆく。
システィーナ礼拝堂だけでも、へたりこんで30分近くいた。ミケランジェロも凄かったが、オーディオガイドの解説も丁寧で長かった。
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