滞在日記 6月
滞在日記は主にロングステイの生活、感想などを中心に掲載します。
観光は主に「アルバム」をご覧下さい。


<トピックス>
PAOLO一家、日本食に挑戦 イタリアの警察 イタリアの葬列 インターネットの接続 ヴェネツィアのポーター ウッフィツィ美術館の予約 ナポリのフェリー ナポリのユースホステル バポレットの3日間通用券 フィレンツェのホテルグローブス ローマのはとバス 帰国時の荷物搬送 共和国建国記念日 光熱水道費 鉄道のストライキ 鉄道の切符購入 日本食 吉左右 スイスの駅のスロープ 日本料理店 政
2002年6月1日(土)晴れ 6000歩
昨日のバチカン美術・博物館の見学で、予定していたローマ観光はほぼ終わった。このAMELIAの地に滞在するのはあと2週間ほど。次のイタリア各地、スイスへの旅行に備え身体を休め、準備の期間としたい。
夕食はPAOLO一家と共にした。何時もイタリアの料理をご馳走になるばかりなので、今回は少し趣向を変えて、日本の家庭料理を「前菜」として提供することにした。ソーメン、肉じゃが、きゅうりの酢の物。果たして彼らの口に合うか、とくに酢の物は厳しいだろうと予想した。3品とも皿への盛り付けは始めは一口分だけにしようと決めた。とくに私はソーメンの食べ方にこだわり、前もって単語を並べてこういう説明をした。「日本人もイタリア人同様、物を食べるとき、口の中で音を立てるのは礼儀に反することである。しかし、ソーメン、うどん、そばについてだけは音を立てても、礼儀に反しない」。イタリア人ならばこうするだろうという食べ方をフォークを使ってやって見せ、その後はしを使っていつもの食べ方を見せた。これは完全に理解してくれたようだ。ここまでは良かった。
ソーメンをつゆにつけて1口食べられたのはPAOLOだけ。長女のANNALISAは口に入れたものを飲み込めなかったようだ。理由を聞くと、つゆの素になる魚が全くだめなのだ。AMELIAは山国。魚のたぐいは子供の頃から口にしたことがないようだ。
肉じゃがも甘いもの好きの彼らに合わせ甘めにつくった。PAOLOとANNALISAはお代わりをしたがジャガイモはいいがどうやら玉葱がだめらしい。酢の物は祖母のLINAがお代わりをしてくれたが、後はだめ。
おもてなしとしては気持ちは分かってくれたようだが、失敗。
今回の経験はイタリア人全般に当てはめるのは早計かもしれないが、それにしても、何でも食べられ、また出されたものは無理をしてでも食べる日本人一般と比較して、やはり違うと痛感。彼らも日本人の食生活は違うことがわかったようだ。
2002年6月2日(日)晴れ 4500歩
今日はイタリアの祝日[共和国建国記念日]。AMELIAは静か、道を通る人も少ない。
テレビを見ていると、記念日の式典をやっていた。大統領がエマヌエーレ2世記念堂で無名戦士の墓に献花の後、オープンカーで道路に面した式典会場に移り、分列行進が始まった。近くにコロッセオが見える。イタリア各軍の軍楽隊、兵士、戦車等の車両、NATO軍の兵士アメリカ、フランス軍等も参加。次から次と軍隊の行進一色で長い。その合間に沿道の小旗を振る観客が映され、時々小さい子供の敬礼している姿なども見える。一時間以上画面を見ていたが、イタリア政府、テレビの訴えたいことは明白。
先の大戦の敗戦国イタリアは経済ではEU、軍事ではNATOに属し、参加の内容に留保条件をつけているようには思えない。生きてゆくパートナーを明白にしている。多分ドイツも同じだろう。先日行われた会議では、EU勢にアメリカのブッシュ大統領、ロシアプーチン大統領も加わり身内同士のような談笑の模様を繰り返しテレビで見せつけられた。
古代ローマ帝国では市民には軍役(血)、属領には税(金)をそれぞれ課した。その考え方の伝統はアメリカにも、ヨーロッパにも受け継がれているような気がする。
ここ一ヵ月半日本の新聞・テレビは見ていない。インターネットYAHOOで見出し程度を見ているのみだが、大きな変化はなさそうである。安全保障について相変わらずの論議と、先送り。分かりにくい議論が延々と行われ、国民世論が割れ、政党の意向もまちまちで何も決まらないことをこちらの人々に理解させることは難しいように思う。日本での議論の中身が、ヨーロッパの現状から離れすぎているから。
ついキーボードが走りすぎて、禁句を口走ったようだ。もう読まないなどといわないでね。
2002年6月3日(月)晴れ 6500歩
久しぶりに朝市に行った。写真は朝市で買った果物、全部で5euro。
サッカーのイタリア勝利を見届けて、公園へ散歩に出かけた。意外に静かで、地元チームが勝ったときのような騒ぎはない。しかし、一組だけいた。いつも挨拶を交わす[毎日が日曜日]の連中が、いつものベンチにたむろして、そのうち一人が国旗を掲げている。国旗を指差して、勝利おめでとう、2対0だねと言うと、喜んだ、喜んだ。昔のガキ大将そのものの笑顔。向かいの自動車修理屋の親父も入っていて、大声で何かいっていたが、分からなかった。明日の日本、勝ってほしい。
2002年6月4日(火)晴れ 10000歩
今日の散歩は朝早めと、夕方。こちらの時間で10時40分から、韓国の試合が終わるまでテレビの前。ベルギー戦、負けなくて良かった。日本での戦前の予想はどのようだったろうか。こちらのテレビでも予想をやっていたかもしれないが、全く聞き取れない。サッカーはもともと興味が薄いほうだが、オリンピックと同じで始まるとつい見てしまう。ましては今はサッカー狂みたいなのに囲まれている。こちらのテレビは日本でもやっているかもしれないが、試合終了後の技術解説が丁寧。コンピュータを使って図解入りでやっており、言葉が分からなくてもある程度は理解できる。
2002年6月5日(水)雨 6500歩
バスに乗って1時間弱のところにある古い城壁のある町へ散歩に出かける予定だったが、あいにくの雨模様のため取りやめ。
バスに乗って近くのNARNIのスーパーへ買い物。パソコン屋のファブリツオの店にもついでにより、近じか、AMELIAを去ることを告げ、挨拶。接続ポイントについての情報提供も受ける。
雨に関連してひとつ。こちらの雨は日によっても違うが、サハラ砂漠の砂交じりのが多い。車が汚れているのはそのせいもあるのだろう。日本では黄沙、イタリアでは地中海を渡ってくるサハラの砂。サハラも1万年前は草原、森林もあったそうだが、環境変化は人知を超え、あるいは人が手を貸し着実に進む。
2002年6月6日(木)曇りのち雨 23000歩
今日はYouYouの友人Mさんとその友人Sさんと一緒に1日ローマ観光。お二人はH旅行社のパック旅行でイタリア旅行中、最終日のローマはフリータイムなので、異国での再会となったもの。1日しか時間がないので、お二人の希望を伺ったうえで、日本語ガイドつきのバスの午前中観光+とくに希望されるところ、昼食は日本食という予定。
バス観光はGreenLineTours、ホテルからトレビの泉、パンテオン、ナボーナ広場、サン・ピエトロ寺院等を廻って、ホテルへ約3時間(37.71euro)。申込みはGreenLineに電話したら、イタリア語応対なので、CreativeToursの日本語専用回線(ROMA 06−482−1089)で申込む(料金は同じ)。昼食は1度行った[六甲」、ここではMさんの旧職場の友人で、現在ローマ在勤のYさんも合流し、賑やかな会食となった。日本のこと、ローマのこと織り交ぜて話は尽きなかったが、次の観光予定があるので、昼食は早々に切り上げる。Yさんは仕事の合間での参加、仕事に戻ったうえで、夜はお二人を案内されて、音楽会の予定とか、お忙しい中を真に面倒見が良い。私たちは夜については、AMELIAに帰れなくなるので不参加。
昼食後、コロッセオ、フォロロマーノ観光。前も書いたが、コロッセオは分かりやすいが、フォロロマーノは分かりにくい。お二人に満足いただけたかどうか心配。
ローマはタクシー乗り場が決まっていて、流しではつかまらない。乗り場があってもタクシーが直ぐ来るわけではない。という事情もあって、お二人にバスと地下鉄の体験乗車もやってもらった。地下鉄にはツアーの添乗員さんの乗るなという指示もあったそうで、だいぶ緊張して乗られた様子。女性3人に囲まれ、添乗員を相勤めたが、楽しい1日。

パンテオンにて
2002年6月7日(金) 曇り寒い 3000歩
気温が1ヶ月ほど戻ったように寒い。コートを着て歩いている人も多く見かける。日本の場合は衣替えの習慣もあって、シーズンがくるとほぼ一斉に冬服から春服、コート姿も見なくなるが、イタリアの場合はそういう習慣はなく、先日もローマで皮のロングコートを着ている女性などを見かけた。
夕方、スーパーに買物に出かけ、葬列に出会った。旧市街のローマ門から人の列が出てくるので見ていると、先頭に車、その後男性ばかり100人ほど、質素な霊柩車、その後遺族、参列者全部で300人は超えていよう。ローマ門の前の通りをゆっくり横切って、一方通行の道に入ってゆく。マイクでズーと何かしゃべっている。たぶん故人のこと、聖書の言葉などだろう。その間、一切の車の通行はストップ。バスも含めその周辺の車は20分ほど完全に止まっていた。車より葬列のほうが優先。遺族も含めて、参列者は平服。道行く人々は、普通に通り過ぎる人もいるが、立ち止まって葬列を見送り、霊柩車が前を通るとき十字を切る人もいる。スーパーにつくと電気が消えている。休みかと思って中を覗くと、人が沢山いて、レジの人が入ってこいと合図。葬列が通り過ぎる間は電気を消して、静かに見送るということらしい。通り過ぎると電気がつけられ、営業が再開された。
2002年6月8日(土)晴れ 15000歩
バスで50分ほどの古い町MONTECCHIOに出かけた。その町もさり乍ら、以前ORVIETOに行ったたときその途中の景色が素晴らしかった、もう一度見たいと、YouYouが言い出したからである。MONTECCHIOはORVIETOに行く途中にある町。
やはり山の中腹を縫って走る車窓からはるかに眺める平野は、素晴らしい。
MONTECCHIOに着くと何か祭りの準備をしている。ポスターを見ると、FESTA  DEL CARABINIERE[警察祭り]。はじまるまで時間がありそうなので、町を一巡する。教会から始まって、静かな、きれいな町を露地から路地を歩いたが、20分ぐらい。その途中も着飾った女性やら、子供が家から出てくる。そのうちに役場の前の広場が町の人でいっぱいになってきた。警察官は、ローマから来ている行進の先導をするパトカー(写真を撮って聞いた)、音楽隊、偉そうな警官、警官OB。町の人は、旗をもった地域代表、司祭、少し偉そうな牧師、中世の扮装をした人、小学生等。「警察祭り」といっても町を挙げての行事のようだ。楽隊先導の行進から始まり、式典会場で物故者の追悼、セレモニーが続いたようだが、途中で町を去った。アルバム2をご覧下さい。
イタリアでは街中で日本より、警官の姿を多く見かける印象。人数が日本より多いかどうかは確認していないが、CARABINIERE OBの大家のPAOLOに聞くと署長も制服だし制服警官の割合が高いようだ。多く見えるのはそのせいもあるかもしれないが、町を挙げての「警察祭り」は日本にはない発想。
家に帰って、CARABINIEREを大学書林の小辞典で引くと[憲兵]となっている。大家のPAOLOに聞きに行った。彼の説明、「イタリアには2つの警察組織がある。CARABINIEREとPOLIZIAで、仕事は同じだがCARABINIEREは小さい町に置かれており、POLIZIAは大きい都市、たとえばローマなど。しかしローマにはCARABINIEREもある。日本語に訳せば、警察でよい」。したがって、大学書林の訳は現在の用法では誤訳に近い。
2002年6月9日(日)曇り 7800歩
町のあちこちに掲示が張ってあり気になっていたが、太鼓の音で見に行ってやっと分かった。やはり祭りなのだ。後で辞書を引いてみると「第18回イタリアいし弓射撃競技会(もしくは選手権)」。アメリア、ピサ、シエナなど15の古都が参加、いし弓の団体・個人戦が競技内容、持ち回り開催で、今年はアメリアが当番。いし弓の射撃を初めて見たが、固定台での射撃だから命中率は凄い。多数並べての一斉射撃は威力があったろう。多分イタリア人も祭り好きなのだろう。祭りといえば太鼓とトランペット、マドンナと甲冑武者、そして行進。写真はアルバム1 AMELIAをご覧下さい。
会場に日本女性Kさんと未来の旦那Francescoが店を出していた。写真はそのツーショット。彼女に1−0でロシアに勝ったよ、と教えると周囲にいたお客さんから、握手攻めにあった。
2002年6月10日(月)曇り 2000歩
サッカーのテレビ観戦と、周辺散歩の1日。
月初、ローマ駅で済ませた鉄道の切符購入のことを書く。今月中旬から来月にかけて、鉄道で移動し4都市ならびにその周辺の観光をして廻る旅が始まる。その切符と座席指定券は現地で買ったほうが、日本で割引パスを買うより経済的という判断でまだ手に入れてなかった。
イタリアも日本と同じで中規模の駅ならユーロスター(特急)が買えるだろう、そうすればローマ駅の大行列を避けられると考えていたが、甘かった。インフォメーションで貰った資料で調べると、私の住んでいるウンブリア州で買えるのは2駅程度で行くのに時間がかかる。それならローマ観光のついでしかない。ローマ駅構内のAGENTEの表示のあるインフォメーションにはいり、切符と予約はできるかと聞くと、OK.とのこと。ここの受付は銀行にあるような番号札方式で窓口が複数だから気が楽。それだけ確認して翌日また出かけ、7回乗る切符と座席指定を一欄表にして提出した。運悪く昨日の人はいない。窓口嬢はしげしげ眺めていたが、切符はここでは売れないので、駅の窓口へ行けと言う。英語とイタリア語の混合でやり取りしたが、ダメ。
すごすご、並ぶしかないかと切符売り場に向かう。当日売りは大行列。数人しかいない窓口がある。見ると、INTERNAZIONALEという文字がある。違っていたら、どこで買えるか聞けばよいと腹を据えて並ぶ。直前の中国人は係員に何か喋り捲られて窓口を去る。一覧表をだして買いたいというと、若干のやり取りの後、端末に向かって入力を始めた。
切符ごときで大げさとも思うが、ホッとした。一括で買えれば、その都度並んだうえで、疲れるやり取りをしなくて済むと。これから先の具体的な内容に興味がおありの方は「鉄道の切符を買う」をご覧下さい。

テルミニ駅 切符売り場
2002年6月11、12日(火、水) 曇り、晴れ 6000歩、8000歩
AMELIAを去るにあたり、スーツケースを1個減らしたいので、ローマのペリカン便窓口(ペリカン便窓口は5月28日参照)まで出かけ、発送依頼を済ませた(ローマ市内のホテル住まいだったら取りにきてくれる)。
日本に荷物を送る一般的な方法は、郵便小包みと宅急便である。どちらの方法を取るにしても輸出扱いとなるが、本人から本人宛で[別送品]扱いにした場合は関税が免ぜられ、隣の家、あるいは子供の家宛てでは関税がかかるとのこと。宅急便のサイズは3辺の和が150cm以下、重さ30k以下、スーツケースで料金は23000円強。イタリアの郵便小包みは重さ30k以下、サイズ制限は不明(当方の能力不足)、料金は宅急便の10分の1以下。
これで、宅急便を選択した理由だが、@イタリアの郵便局よりペリカン便のほうが信頼度が高いことA私たちの旅行は荷物発送後3週間以上続き、本人宛にして帰国後受け取るには(帰国前は受け取る者がいない)途中で費用なく保管してもらう必要があるが、宅急便は可能だが、郵便局は無理ということ。
私の場合は特殊なケースだと思うので、一般的には郵便局になるのだろう。しかし、スーツケースを送れるかどうかは確認できなかった。
宅急便を預け終わって、窓口の日本人女性職員にラーメンのおいしい店を聞いて行ってみたら、ちゃんとしたラーメンを食わせた。1年程前にできたそうで、まだ旅行ガイド誌には出てないのではないか。吉左右(KISSO)という店、回転すし屋だが、ラーメン、焼肉色々。表側にメニュー・値段表が出てないが、入って直ぐのところにある。ラーメンで9euro強だから日本で食べるより勿論高いが、納得。場所はローマ三越の近く(п@06−47824677)。
吉左右(KISSO)
2002年6月13日(木)晴れ 5000歩 
ワールドカップ、イタリア決勝進出決定直後から、自動車のクラクションを鳴らしながら、走り回る若者の車が多く見られた。窓から国旗を出し振り回している。途中経過ではらはらした。もし負けたらかける言葉がない。日本では大変な盛り上がりだそうだが、こちらの様子も半端ではないからだ。写真は自転車・バイクで盛り上がる青少年たち。こういう場合、イタリアでは国旗がつき物。国旗・国歌に対する拒否反応は見られないし、自然な敬意が示されている。何度も聴く内に、国歌のメロディは口ずさめるようになった。
2002年6月14日(金)晴れ 6000歩
大家のPAOLO、ERISILIAと2ヶ月間の光熱費、お世話になった食事代の精算を前日K氏も参加して確認したとおり済ませた。2ヶ月間の水道・電気・ガス代が合計134.28euro。YouYouの意見では日本の生活時の半分以下。食事代も130euroと、半分近くが招待にカウントされ請求額が少ない。これは感謝の気持ちをこめて若干の上乗せをして受け取ってもらった。真に気持ちのいい一家である。
午後はテレビのサッカー観戦。決勝進出本当に良かった。夕方、サッカーで気分よくしていつものように公園周辺を散歩、いつも挨拶を交わす「毎日が日曜日」の親父連中から、祝福の握手攻め。なかにイタリア、何とかかんとか言ってるのがいる。たぶん決勝戦で戦おうといっているのだと思い、シー(OK)を連発。両方決勝に行けて良かった。これからの旅でも話題に困らなくて済む。
2002年6月15日(土)晴れ 15000歩
2ヶ月滞在したAMELIAを出発した。PAOLO一家全員とのイタリア式の別れの挨拶、ご近所さんへの挨拶を済ませ、最寄り駅のナルニまでPAOLOが自分の車で送ってくれた。
ローマからナポリまではイタリアご自慢のユーロスターの快適な旅。ナポリの宿は初めての経験のユースホステル。ご存じない方のために一言申し添えると、名前はユースでも、じいさん・ばあさんが泊まれる。部屋はツインベット、シャワー・トイレつきの個室。ただし、ツインベットは横に並んでなく、上下に並んでいる。簡単に言えば蚕だな。ユースホステルなのだから当然。私は40年前の学生寮を思い出した。料金は1泊朝食付で1人16euroと安い。
夕方からすぐ近くの海岸まで散歩に出た。久々の潮の香り。サンタルチアの海岸は素晴らしい。遠くにかすむベスビオス山を眺める。アルバム用に写真もとってきたが、かすみすぎて不採用。今現地時間22時47分。歩きすぎて疲れ果てたYouYouはとっくに上のベッドで寝息を立てている。さすがである。周辺は若者の声、音楽で結構うるさい。狭い片隅でキーボードをたたくのも容易でない。ナポリにて、GRICのナポリの接続ポイントから発信。
2002年6月16日(日)晴れ 16000歩
ユースホステル(以下略してYH)のことを少し追加。シャワーの湯は熱いのが沢山出た。前夜寝るとき、矢張り暑いのでシャッターを途中まで閉めて、一部開けて寝たが、蚊その他害虫は一切なし。周囲の感じは蚊ぐらいいてもおかしくない様子だが不思議といない。AMELIAでも蚊は1匹もいなかった。網戸はないし、スーパーでも蚊取り線香の類は売っていなかった。ナポリでもいないとなると、もってきた虫除けスプレーは余分のものとなる。だから皆戸外で夕涼みを楽しんでいられるのだろう。
ナポリのユースホステル
YHの朝食は、パン1個とお好みの飲み物1杯。定員200人の宿泊客の大半は各国の若者、簡単な朝食を詰め込んで大きなリュックをしょって出かける。
私たちは日曜日だしゆっくり起きて、国立ナポリ考古学博物館に向かう。ここではポンペイなどの遺跡からの出土品に興味があったが、矢張り明日のポンペイ行きの予習にもなってよかった
アルバム2参照)。
高台に行ってナポリの町を一望にしょうと出かけたが、適当な場所に行き当たらず失敗。疲れてフニクラ(ケーブルカー)とバスを乗り継いで早めにYHに帰りついた。
食事のこと。昨日の夕食、今日の昼食、共にナポリ名物のピザ。結構いけるし、ピッツェリアだとピザ単品でも良い。今日の昼は小はないかと聞くとあるといって、確かに小さいのが出てきた。
2002年6月17日(月)晴れ  16000歩
ポンペイ観光。直前に詳しい資料を入手し、にわか勉強で出かけた。始めから、、お勧めどころだけをピックアップして見るつもりだったが、やってみるとこれも結構骨が折れる。案内図を見ながら、2000年前の町の中で、家探し。かなりヒットしたが、暑さもあって、もういいやとあきらめたのもあった。矢張り、実物の迫力はある。アルバム2に写真少し。
(この日の日記を日本時間20日のAM7時頃までに見られた方、そっけなくてごめんなさい。実はパソコンの充電が機能的に自室ではできず、バッテリー切れ寸前になったため中断しました)。
ポンペイは遺跡を見せる仕掛けとしては良くできている。たとえばローマのフォロロマーノと比べ建物の表示がされているし、各通りの名前も表示がある。それをたどっていけば案内図の遺跡を特定・観光できるはず。しかしそれでもはじめに書いたように見落としが出るのは致し方ない。
重要な壁画・彫刻などはここにはなく、前日行ったナポリの国立博物館にある。どちらを先に行くにしても、両方見ないと見たことにならないのは面倒。その点では暑い中を頑張って行った、秘儀荘は拍子抜けした。
日差しは夏。あまり長時間の見て歩きは心身が持たない。昼食時間も含め6時間ほどで切り上げた。
2002年6月18日(火)晴れ 12000歩
朝7時35分発の大型フェリー(ベヴェレッロ港のCAREMAR)に乗船し、カプリ島へ向かった。カプリ島に行くにはフェリー、水中翼船、ジェットといくつか方法があり、フェリー以外は便数が多い。船酔い対策のため、フェリーにしたが、1日1便しかないので要注意。
フェリーの中で、トルコが1点入れるところまで見て、島の観光の途中で負けたのを知る。イタリアの敗戦は帰りのフェリーの中で見た。その瞬間悲鳴が上り、ほとんどの人がテレビの前から姿を消した。なんとなく周囲の我々を見る目がきつい。日本人だぞ、こっちも負けたぞといいたいところ。翌日YHで知り合った日本人の女の子は、YHでチェックインのとき今日はコーレアはお断り、またマクドナルドでも同じことを言われたとのこと。まあ、1日だけだろう。サッカーのことばかり書いたが、本題に戻る。
定番の青の洞窟は矢張りきれいだった。洞窟の前でも、乗船代とは別に入場料8.1euroを徴収されるので、小銭に用意が必要。
カプリはアウグスト帝、ティベリウス帝の遺跡があるが、今回はパスし「空気と景色」を楽しむ。それには高いところへ上るのが一番とばかり、ケーブルカー、バス、リフトを乗り継いで島で一番高いソローラ山に登った。絶景、絶景。これだけでもカプリにきた甲斐があった。アルバム2の写真では絶景とまでは雰囲気が出てないのは残念。
2002年6月19日(水)晴れ 8000歩
今日はナポリからフィレンツェに移動した。ナポリのYHについて、YouYouの感想「ユースホステルはもうやめよう」。YHについては私の一人相撲に終わったようだ。
スーツケースの重量を考慮しナポリ中央駅までタクシーを利用。駅までYHでその日の朝知り合った日本人の若い女性を同行。旅行会社を3年勤めて次の仕事に移る合間の27日間のイタリア一人旅行。明るく、逞しい。旅の無事を祈る。
列車はユーロスター。鉄道の旅でスーツケースをもち込む時、置く場所が問題。通常は座席の上の棚に置くのだが、棚の高さが私の身長よりだいぶ高いので、20数kgのスーツケースを持ち上げるのは始めからあきらめていた。ユーロスターには幸い荷物置き場が乗車口の直ぐ近くにあるので、そこにチエーン付の錠で固定して置いた。しかし、よく見るとユーロスターの座席と座席の間の隙間は普通列車より広そうなのでそこにはいるかもしれない(後で入らないことを確認)。
フィレンツェはホテルグローブス。予約の経緯は「ひとつ星ホテルを予約」をご覧いただきたいが、今のところ予想を上回る環境。ネット上ではひとつ星となっていた。広さは日本のツインルームのビジネスホテル並だが、新しくて清潔、ツインベッド、クーラー、пAインターネット利用可、シャワー、トイレ、ドライヤー、セフティーボックスがついており、朝食つきで1室100euro(4日以上宿泊の場合)。場所は駅まで、またDUOMOまで、各5分程度と便利も良い。働いているのはオーナー夫妻ならびに家族の様子、アットホームな感じで、全員英語が通じる。部屋までのリフトがある。この種の海外のホテルの経験が乏しいので、比較はできないが、YouYouのご機嫌が直ったようなのでYHよりはずっといいのだろう。
フロント、オーナー夫妻
電話のモジェラー(イタリア式ではなく日本と同じ)を利用して、インターネットに接続。GRICのフィレンツェのポイントに接続できたが、今までの携帯接続よりもずっと早い、むしろ日本の自宅での速さと同じぐらいだから、多分ISDNの回線に繋がっているだろう。ホテルの話では料金は0.2euro/分と安くはないが、少なくともフィレンツェにいる間はCIMカードの補充の心配をしなくて済む。余談だが、周辺にはインターネットコーナーが多く、どの店も空席が少ない。ナポリのYHの中にも設備がありメールを発信している姿が多かったが、若い人にとってもう常識なのだろう。
2002年6月20日(木)晴れ 25000歩
朝8時30分にウッフィツィ美術館の予約を入れていた。到着するとやはり相当並んでおり、予約は正解だった。予約は英語で可。ここは日本語の音声ガイドもある。テープ式なので使い勝手は良くないが、借りてよかった。クレジットカードを預けて、料金は6.5euro。
この美術館は5年前にパック旅行で来たとき入ったところだが、今回はゆっくり見ることができた。
ルネッサンス期以降の絵画が中心で、ラファエッロ、ボティチェッリ、ダビンチなどの名画が多い。
頑張ってもうひとつピッティ宮殿にあるパラティーナ美術館にも入った。ここはラファエッロ、ティツィアーノ等の絵画と、当時の支配者メディチ家の宮殿を見ることができる。
ホテルに帰ったら、YouYouが日本でも行ったことがないコインランドリーに行くと言い出した。場所はホテルの直ぐ近くに見つけてあるとのこと。ボデーガードとして付いていった。幸い店の人がいて、やり方を教わったので簡単だったようだが、料金は洗濯で3euro、乾燥で3euro。私がその周辺をぶらぶらしている間に、外国人に2人も使い方を教えてやったと、YouYouは威張っていた。
2002年6月21日(金)晴れ  14000歩
朝8時30分にアカデミア美術館に予約を入れていた。前日のウッフィツィ美術館の予約をしたときついでにやっておいたもの。確かに並んではいたが、大したことはなく予約するほどのことはなかった。ほかに、サンマルコ美術館、サンティッシマ・アンヌンツイアータ教会を廻り、市街一望の写真を撮るためミケランジェロ広場まで行った(写真はアルバム2をご覧下さい)。暑い。今日は早仕舞いで、ホテルで休息。
2002年6月22日(土)晴れ  14000歩
8時10分のバスに乗ってシエナに出かけた(1時間10分ほど)。シエナ行きのバスはフィレンツェ中央駅の向かって左側SITA社の建物の中から発着。これは前日下見してわかった。
シエナは観光化されてはいるものの雰囲気はいい。カンポ広場、プッブリコ宮殿、マンジャの塔、ドーモ、付属美術館、洗礼堂など定番を廻った。国立絵画館はパス。カンポ広場のBARでコーラを飲んだら2人で12euroとられた。今まで最高。
2002年6月23日(日)晴れ  18000歩
ホテルの直ぐ近くにあるメディチリカルディ宮、サンタマリアノヴェッラ教会を見て、鉄道でピサに向かった。例によって窓口・自動販売機は長い列。しかしピサは短距離なので誰も並んでいない駅の売店で買う。この辺は2ヶ月イタリアにいた効用か。
ピサでは定番のドーモ周辺、斜塔を見学。この辺までは良かったが、徐々に不愉快になる。前日のシエナの経験からドーモから少し離れたBARに入って昼食。サンドイッチとコーラ、2人で20euro以上。2ヶ月住んだAMELIAの4倍。ボルにもほどがある、隣のアメリカ人も聞き直していた。加えて、店員も、ドーモその他の職員も横柄、同じイタリア人とも思えない。
とどめは国鉄。またストライキにぶち当たった。それも、ユーロスター・インタシティーなどは動いていて、短距離の普通列車だけの不可解なストのようだった。初めはわからず、ホームで待っていたが1時間近くたっても待っているホームの列車は入ってこない。もちろん待っていたのは我々だけではなく、外のホームには列車は入ってくる。。痺れを切らして、駅員に聞くと、こともなげにストライキで今日はこないという。それから、駅・バスそれぞれのインフォメーション、バスセンターに確認し、ばらばらの情報に振り回されて、無駄な時間を費やした。
結局バス、それも別の町を経由しての乗り継ぎで3時間半遅れで帰ってきた。
不幸中の幸いは7時半に予約していた日本料理店「政」(рO55−290978)には間に合ったこと。コース料理(松・竹・梅50・44・36euro)を奮発、鬱憤を晴らした。ビールは麒麟もある。
2002年6月24日(月)晴れ  12000歩
昨日寄ったら何故か閉まっていたメディチ家礼拝堂、最後に残ったドーモ、クーポラに上ろうと思ったら閉まっており、ジョットの鐘楼に上る。今日は明日の移動に備え身体を休め、荷物の整理をする。相当疲れが溜まっているようだ。
2002年6月25日(火)曇り 7000歩 ヴェネチア
ベネチアへユーロスターで移動。車中、イタリアを始めヨーロッパ数カ国の観光をこれからはじめる中年のシアトルから来た夫婦2組と、言葉を交わす。彼らも自由旅行だが、英語が自在に話せるだけに我々より相当楽だろうとつくづく思う。
ナポリの石畳の道で、スーツケースのコロのゴムが割れてしまい、引いて歩くのが大変になった。ベネチアの石畳で運ぶのは骨が折れると心配していたが、幸いバポレット(水上バス)のサンマルコ駅で降りると、Portabagali(ポーター)がいたのでホテルまで15euroと少々高かったが、頼んだ。ホテルのフロントまで荷物を全部運んでくれた。
ホテルはサンマルコ広場、時計塔の直ぐ裏にあるHotel Ai do Mori。イタリア政府観光局のホテルリストではひとつ星。予約の経緯は「ひとつ星ホテルを予約」をご覧下さい。ツインベッド、TV,電話(インターネット可)、エアコン、ヘアードライヤー、セフティーボックス、バス付。セキュリティーは厳重で、フロントに達するまで2箇所のインターフォンをクリアーしなければならない。
今のところ問題点は、2人の従業員(たぶんオーナーと娘)しか出会っていないが、イタリア語オンリーであることと、部屋がある3階までエレベーターがないこと。
朝食なしで1泊1室124euro。高いか、安いかは今のところなんとも言えない。

ホテルの部屋から見える鐘楼
夕方からホテル周辺を散歩、写真も少し撮る。歩いてみてわっかたが、このホテルは立地条件としては最高。観光、買物、食事全て直ぐ近く。
HPのアップロードはホテルの電話回線を利用して、GRICのベネチアのポイントに接続して実施。多分ISDN回線に繋がっている。
2002年6月26日(水)晴れ  14000歩
朝一番でバポレット(水上バス)で3日間通用券(18.08euro)を買った。ここの1回券は3.10euroと高い。多分、今日1日で元を取っただろう。しかし、ローマのバスで感じたのと同じで、切符のチェックはなく勝手知った不心得ものが多いような気がする。
各駅停車(1番)に乗って運河を一巡、アカデミア美術館、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会、サンティシマ・ジョバンニ・エ・パオロ教会を見学。アカデミア美術館は日本語音声ガイドを片手に2時間で廻ったが、テープだが使い勝手が良かった。
それにしても、ベネチアは日本人観光客が実に多い。イタリアの観光地の中では一番多いのではないか。おかげで日本語が通じる店が多くて助かる。
2002年6月27日(木)晴れ  6000歩
アッシジで知り合ったMさんから聞いたブラーノ島に出かけた。1時間強のちょとした船旅を楽しみ、レース編みの小さな島をなんとなくぶらぶらしてきた。こんな島でも観光化は進んでおり、冷やかした店では英語が通じたし、パック旅行の対象になっているとは思えないのに日本語の挨拶をする店員もいて驚いた。
午後はホテルに帰り、完全休養にした。
2002年6月28日(金)曇りのち雨 9000歩
早朝、バポレットで別の運河を遊覧、サンタ・マリア・グロリオーサ・ディ・フラーリ教会、直ぐ隣のサン・ロッコ信者会に立ち寄る。特に、サン・ロッコ信者会はティントレットの多くの絵が展示されており、美術館そのもの。当時のベネツィアの富裕層の財力を感じさせる。小会議室も風格が感じられた。信者会と現在のロータリークラブなどとの脈絡を調べてみるのも、道楽仕事として面白いかもしれない。最後に、鐘楼に登り、今回は止めておこうかとも思ったサンマルコ寺院、ドカーレ宮殿に入った。ドカーレ宮殿は、あると思った日本語オーディオガイドがなく残念。
これで今回のイタリア旅行での観光予定は終了。2人とも、その必要がないのに、よく頑張った。
明日からはスイスに移動し、スイスの山の中の空気と、散歩をのんびり楽しみたい。

(インターネットについては、スイスで借りた部屋に電話がないので、また携帯接続に戻ります。
しかし、イタリア人の携帯屋のお姉さんにスイスでのやり方を教わりましが、何しろいいかげんな英語と、イタリア語のちゃんぽんのやり取りだけに、現場でやってみないと繋がるかどうか判りません。
従って最悪の場合スイスに滞在する1週間はご無沙汰させていただくことになるかもしれません。メールについても同様です。どうなるか結果を見守ってください。)
2002年6月29日(土)晴れ 9000歩 スイス グリンデルワルトに着く
昨日、スイスではインターネットが繋がらないかもしれないと、悲観的なことを書いたが、あんずるは生むが安しで、一発で繋がった。
教わったやり方(あくまでも私の拙い理解)で、スイス国境を越えたところからグリンデルワルドの「日本語観光案内所」に電話するとかからない。試しに余分な記号・番号を加えず、普通に番号を入力するとスンナリ架かった。電話が架かれば、インターネットも同じやり方でいいはずなので、後は簡単だった。
話を後戻りさせて、ベネチア出発からグリンデルワルド到着までのことに少し触れる。ホテルチェックアウト朝6時、バポレット(水上バス)、ユーロスター、インターシティー、普通列車を都合6回乗り継ぎ、スーツケースを引きずりながら、予定通り4時過ぎに目的地グリンデルワルドに到着した。スイスに入って嬉しかったのは、ホームの移動の際、エスカレータはなかったが、スロープが設けられており重いスーツケースを運ぶものに対する配慮が見られたこと。

グリンデルワルド駅
YouYouも疲れたようで、今ベットルームで一休みしている。貸し別荘は想っていたより広い。ベッドルームが2つ、ダイニングキッチン、トイレシャワールーム。電話はない。1週間過ごすところとしては充分だ。
早速町をぶらぶらした。話には聞いていたが日本人が多い。我々もその中の一人なので、とやかく言うつもりはないが、ベネチアと比べても人口密度で言えばもっと多い。若い人より、我々と同じタイプの方々のほうが多い。
景色はいい、気温も低く朝晩は冷えそうだ。
。早速数枚撮ったのをアルバム2に載せた。

貸し別荘のキッチン
2002年6月30日(日)晴れ 27000歩
朝6時にYouYouに起こされ、窓から外を見ると朝日が上部にあたっているアイガーの巨大な姿が目に入った。昨日着いた時には雲にさえぎられ全くその姿が見えなかった。本当に目の前に見える。(写真はアルバム2をご覧下さい)。昨日、別の山を多分アイガーだとアルバム2に載せてしまったので、朝一番で訂正をHP上で行った。
天気も良いし出かけようということになって、グロース・シャイデック〜フィルストのコースを歩いた。目の前に、アイガー、シュレックホルン、ヴェッターホルン,メンヒなどの山が広がり、無粋な私でも凄いなーと感心。YouYouは感激の模様。読者はアイガーは聞いたことがあるけど他は知らねー、という人が多いだろう。Chucowも同じで、山の上から景色を眺めて、同じ図柄の写真とつき合わせてわかった様なことを言っているだけ。くどいけど綺麗だった。ところが今日はその写真がない。というのは朝一で写真をパソコンに取り込んだのが過ちの元。メモリースティックをパソコンに残したままで、山に来てしまった。ビデオは撮ったが、ビデオテープからメモリースティックに移す方法を忘れてしまって、ダメ。今日は朝一のアイガーだけでご勘弁いただき、写真はお休み。
フィルストまで行ったら、もう少し頑張るとYouYouの言、さらに足を伸ばして池のあるバッハアルプゼーまでの往復をやった。10kの全行程は整備されており、技術レベルは1、体力レベルは1を2つこなしたので2くらいか。
ごくポピュラーなコースなので、山は混んででいると予想していたが、全く人影なし。これも良かった。昼頃になると外国人が多くなり、乳母車を押している人もいた。グリンデルワルドにあんなにいる日本人はどこに行ったのだろう。その中でも、仙台在住、千葉在住の2組のご夫妻と言葉を交わした。お二人とも自由旅行中で、多分我々と同年輩。旅のご無事を祈る。
今日の足は行きはバス、帰りはゴンドラ。
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