2004年3月11日予算特別委員会質問原稿(総務局)

 私からは、2点、市長に対してのみ、お伺いいたします。

 まず、1点目としては、今回の予算案に出てきている機構変更に関して、お伺いします。

 危機管理対策室、子ども未来局、観光文化局、の3つの局を新たに設置しようということですが、「行政のスリム化」というのが大きな課題となってきているこのときに、3つも局を増やすということには、大きな抵抗を感じます。局を増やすということは、縦割りの壁の数を増やすということであり、これをやるのなら、組織横断的なプロジェクトの実効性を高めるための体制の充実ということも併行して行う必要があります。我が会派としては、この縦割り対策としての人事評価システムの改造なども提案しているのですが、まだ、具体化されるまでには、至っておりません。現行の体制のまま、思いつくままに機構を細分化していくと、我々が直面している縦割りの壁による様々な弊害が益々悪化する方向に行くのではないかと考えられます。

 聞くところによりますと、今回は増やしますが、後で下水道局や水道局、建設局などを統合して帳尻を合わせる、というようなことを言っておられましたが、本来ならば、増やす話を出す前に、統合の話を出すべきではないかと思います。予算案として提出するのならば、増やす話と減らす話を同時に提出して、局を減らす形にして提出するべきであると考えるのですが、どうして、増やす話だけを先行させたのか、この点についての市長のお考えをお聞きしたいと思います。

 ちなみに、どうも、上田市長は、新しい市長として、「なにか目新しいことをやらねばならない」と焦っておられるように見受けられるのですが、この点も含めてご答弁いただきたいと思います。

 2点目としては、今年の新年互礼会の件についてお伺いします。

 今年の新年互礼会で君が代をやめた理由については、「歓談の時間を増やすため」ということで、昨年末、12月25日の各新聞に発表されました。道新だけならば、なにかの間違いということもあり得ますが、毎日新聞他、数社が同様の記事を掲載しておりますから、そういう発表があったことには間違いないと思われます。ところが、先日の我が会派の村松議員の代質に対しての上田市長の答弁では、「そんなことは言った覚えがない」ということであり、新年互礼会で君が代をやめた理由については、「日の丸・君が代は戦争のシンボルであるから嫌いだ」というよう話を縷々30分近くも聞かされました。

 この答弁と、昨年末の新聞発表との食い違いは、どういうことなのでしょうか? 

 新聞については、秘書部の発表ということになっていますが、秘書部には、もちろん、新年互礼会の内容を変更する権限はありません。秘書部の発表ということは市長自身の発表ということでなくてはならないわけですが、上田市長は、秘書部長がウソを言ったと主張されるおつもりなのでしょうか?

 ちなみに、市役所の秘書部の職員の皆様は、市長に個人的に雇用されているわけではありません。部長以下、皆、上田市長が市長に就任される前から市の職員として働いてこられた組織人です。これがウソをついたとなると、問題は、非常に深刻であり、上田市長は、その立場を、あまりにも軽んじておられるわけで、「そんなことは言った覚えがない」という先日の答弁は、あまりにも軽率であると考えます。

 この件についても、上田市長のご見解をお伺いします。

(再質問) 

 なんだか、もっともらしく聞こえる答弁でしたが、実は、「歓談の時間を増やすため」ということを市長自身がおっしゃっていた、ということでした。それならば、なぜ、「そんなことを言った覚えがない」とおっしゃったのか、この点が不明であります。

 上田市長は、また、君が代を斉唱しないほうが、「さわやか」であると記者会見等でお話されていたようですが、自民第二の高橋議員の質問に対しては、「さわやかとは言っていない。穏やか、と言った」という答弁をなされまして、「さわやか」と「穏やか」との言語概念の違いにまで言及されました。

 しかし、平成15年度第11回定例市長記者会見録を見ますと、確かに「さわやか」という表現もお使いになっておられるようです。

 どうも、上田市長は、そのときどきの気分でものを言っているようで、ときには、相手に屈するのが嫌なあまり、白いものを黒いと言い張るような傾向もあると思われますが、いかがでしょうか?この件については、上田市長の市長としての資質にかかわる問題ですので、是非とも明快にお応えいただきたく存じます。

(再々質問)

「日の丸・君が代は戦争のシンボルである」というのは、上田市長の、個人的な見解であり、そういう定義は、法的には、どこにも定められていません。法的に定められていない定義を理由に「好ましくない」とするのは、上田さん個人のワガママであります。「嫌いである」という個人的な感情は、内心の自由の部分でありますから責めるつもりはないのですが、ただ、そういうことを公式の場で発言するのは、いかがなものでしょうか? 

 日本人に生まれても、「アメリカ人に生まれたかった」とか、「フランス人に生まれたかった」と考える人がいますが、普通は、そういう話は、大勢の人の前では言わないものです。「それならば、好きな国に行け」と言われることになるからです。

 ちなみに、親のスネをかじっていながら、好き勝手なことを言う子どもがよくいます。そういう子どもがよく口走るのは、「もっと金持ちの家に生まれたかった」「こんな親の子に生まれるくらいなら、生まれて来ないほうがよかった」などというものです。

 上田市長の言っているのは、そういうワガママな子どもの話と同じではないかと思われます。

 泣いても、笑っても、日本人として生まれた以上は、日本人として生きて行かねばならないわけで、「この国が嫌いだ」と言うのならば、好きな国に造りかえて行こうと努力するのが、政治に携わる者の道であり、日の丸・君が代が戦争のシンボル的イメージを持つと考えるならば、平和のイメージを塗り込むべく努力すべきであると考えます。旗を降ろしたり、歌うのをやめたりすることには、なんの前進もなく、ひたすら後ろ向きなだけのことです。

 市民のリーダーたる市長ならば、なおさらのこと、好き・嫌いの感情で日本国民としてのアイデンティティーを否定するような言動や行動はとるべきではないと思いますが、いかがでありましょうか?

 ちなみに、今の札幌市は、財政問題や景気の問題など早急に解決しなくてはならない問題を多数抱えており、市民にとっては、「君が代論争などをやっている場合ではない」というところです。どうしても、そういう論争にこだわるのであれば・・・上田市長は、先日の村松議員への答弁の中で、「私がこだわり、そして恐れているのは、国や自治体など公権力がひとつの価値観を人に強要する社会である」と言っておられますが、・・・これは、もう、時代錯誤と被害妄想を併発しているとしか思われないのですが、そのことは別として、どうしても、そういう議論にこだわるのならば、市長という職をお辞めになられて、反政府運動などの活動家としてご活躍されるべきと考えるのですが、この点についても上田市長の弁明を求めます。


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