海外視察レポート1



ドイツ・ヘッセン州における歴史教育

1. 視察目的

 最近、日本では、「新しい歴史教科書をつくる会」という団体が「日本の歴史教科書は、第二次大戦で被害を受けた近隣諸国の立場を尊重しすぎて、日本の歴史を不等に歪め、極めて自虐的である」という主旨の主張を掲げ、これを糾すべく独自に新たな教科書を作成し、これを全国の学校に普及させようと活発な運動を展開している。このことは札幌市議会においても、近い将来、重大なテーマとして議論されることになると予想される。
 今回の視察の目的は、この点を踏まえ、日本と同じく第二次大戦の加害者側の立場であったドイツ連邦共和国が、自国の犯した過去の行為をどのような姿勢で次の世代に伝えようとしているのか、その現場の声を聴くことである。


2. 視察先

   ヘッセン州にあるLIBIGSCHULE という名前の学校。
LIBIGというのは人の名前で、SCHULEというのは学校という意味であるらしい。
 この学校は、ギムナジュウムと呼ばれるもので、大学へ進学するための中等教育を行う学校のひとつである。ちなみに、ドイツでは、幼年学校を卒業した10歳の児童は、一般的には、2年間の指導期間を経て3つのタイプの学校に振分けられる。

 ○ギムナジュウム
 ○実科学校
 ○ハウプトシューレ
の3つである。
 通訳をしてくれた在独日本人の女性の噺では、半分はハウプトシューレに行って労働者階級になるそうで、ギムナジュウムに行くのは4分の1程度だということであるが、この噺が正確な統計を元にしたデータなのかどうかは、未確認である。


 ヘッセン州には、そのギムナジュウムと実科学校とハウプトシューレを統合した形体の学校もあるようだ(ネット情報)が、今回視察した学校がその形体の学校なのかどうかも未確認である。
 そのことはともかく、LIBIGSCHULE は、一般のギムナジュウムとは異なり、ギムナジュウムの教師を養成するためのゼミナールを併設したものである。
 ちなみに、ヘッセン州で教師の資格を得るためには、9学期間(4年間半)の大学を卒業した後に4学期間(2年間)のゼミナール(実地訓練)を終了した上で国家試験をパスしなくてはならない。 LIBIGSCHULE は、そのゼミナールの実地訓練所としての役目も負っているようである。


3. 説明者

   説明者は2名であった。
 うち1名の名は、Herbert Lauer さんであった。 肩書きは、名刺によると、

 Seminarleiter
 となっていた。
 ゼミナールの責任者で、もしかしたらドクトルの資格を持った人だったかもしれないが、通訳の女性は、ただ、ラウアーさんと呼んでいた。
   もう1名の名は、アーデル・ハイトゥ・マイツナーさんである。
 ゼミナールで歴史教師の訓練を担当している女性で、この人も、もしかしたらドクトルだったのかもしれない。名前のスペルは、名刺がなかったので不明である。「アーデル・ハイトゥを略してハイジと呼ぶ」と通訳の女性は言っていたが、アーデルがハイジなのかもしれないし、ハイトゥがハイジなのかもしれない。とにかく、アルプスの少女ハイジは、ドイツ系だったようだ。


4. 説明内容

  1. 歴史授業の構成
     歴史の授業は、6年生(12歳)から10年生(16歳)までの間の5年間に、先史時代から現代までを終わらせる(7年生の時には歴史の授業は無い)。このスケジュールは、ギムナジュウムばかりでなく、実科学校でも、ハウプトシューレでもほぼ同様であるが、ギムナジュウムでは、11年生から13年生までの3年間に再度詳しい高度な授業が加わる。

     (註)日本のように自国の歴史と世界史を分けているのかどうか確認しなかったが、たぶん分けていないのではないかと思われる。ヨーロッパ史全体を一本化してドイツ史を中心に教育しているような雰囲気の話であった。

     ギムナジュウムの11年生から13年生は、上級段階として区分されており、12年生になるとコース分けがなされ、重点科目を2つ選択するようになっている。ここで歴史を重点科目に選択すると、歴史の授業は週5時限となる。が、別のコースを選択すると、歴史の授業は週3時限となる。
     11年生はフランス革命以前を学び、12年生からはフランス革命以後を学ぶと聴いたが、そのフランス革命をどちらの学年でやるのか確認しなかった。
     教科書は、かなり分厚いものが2冊に別れているそうである。1冊目が第一次世界大戦までで、2冊目はワイマール共和国から現代までとなっているらしい。この他に、多数の副読本があるそうで、それらは、『スターリン・ノート』(スターリンが敗戦後のドイツの首相に宛てた要求)などの個別の文献であるようだ。
     とにかく、歴史授業の約半分をナチス党やヒトラー関連のことに割り当てているようである。

     (註)ドイツの学校制度は、第二次大戦までは、各州でばらばらに行われており、統一されていなかった。これを統一しようとしたのは、皮肉にもヒトラーであったのだが、敗戦によって挫折した。現在も依然として、教育制度のなかの立法権や管理運営権の大部分は各州に帰属している。それでも、州文部大臣常設会議が補足決議によってアビトゥア試験(大学入学資格試験)の要求事項などを統一するなど、連邦における制度上の統一がなされつつある。(ネット情報)

  2. 教育理念
     ヘッセン州としては、子どもたちに歴史を教えるにあたり、時代考証を正確にすることに力点を置いているらしい。歴史上の出来事と年代を固定的にただ暗記するのではなく、そのときの政治的な力学バランスの形までを具体的に説明して、だれが、どういうわけで、そういう判断を下し、それがどう影響してそういう出来事が発生したか、といった点を自分の頭で解釈させ、そういった歴史的な事例に関する知識を柔軟に応用して、自分の行動に活かしていけるようにすることに大きな教育目標を置いているようである。

  3. ナチス党とヒトラーに関する歴史教育
     ナチス党とヒトラーに係わる情報は、歴史の授業ばかりでなく、国語、倫理、宗教の授業などでも、かなりの量が提供されている。国語の授業では、『アンネの日記』などが利用され、ユダヤ人が受けた被害について教育している。歴史の授業では、10年生のときに10時間、12年生のときには50時間をヒトラー関連の教育に費やし、重点の置き方としては、フランス革命と同格あつかいにされている。

     ただし、これは、敗戦直後にそうなったのではなかった。
     旧西ドイツでは、戦後10年間ほどは、ヒトラーに関して触れることを避けていたようである。
     ラウアーさん(戦後生まれ)の話では、最初に歴史を教えてくれた教師は、第二次大戦における実戦経験を持っていた人で、スターリングヤードでの戦闘体験が心の傷になっていて、教壇に立っても、その時代の話ができなかったそうである。このあたりの心理は、満州で戦車兵をしていた司馬遼太郎がついに大東亜戦争を舞台にした小説を書かなかった心理に共通するものと思われる。
     結局、西ドイツでは、戦後生まれの世代が教師になるまで、ヒトラーに関する授業を充実させなかったようである。もっとも、これは、教師たちの心の傷ばかりが障害になっていたのではない。対外的にヒトラーの名前を出すことが憚られていたことにもよるらしい。
     しかしながら、60年代に入って、フランクフルトでアウシュビッツに関する裁判が行われ、また、イスラエルでアイヒマンの裁判が行われるなどしたため、教育の現場でも、それらを取り扱うようになった。そして、70年代に入ると『ホロコースト』という米国のテレビ番組が入って来て、大きな話題となり、ヒトラーに関するところを本格的に教育するようになったようである。
     ちなみに、旧東ドイツでは、ヒトラーの犯した国家的な暴虐を資本主義と結びつけて教育して来たそうである。
     現在、その旧東ドイツの子どもたちも、東西ドイツの統合で旧西ドイツ式の高度な授業を受けるようになっているのだが、なかなかその高度な授業に馴染めず、ドロップアウトするケースが多いそうで、その手のドロップアウト組がネオナチを称して国内の外国人に暴力を振るったりしているようである。

     (註)ネオナチとは、日本で言う暴走族のようなものであるらしい。旧東ドイツでは、ヒトラーと資本主義を結びつけた形で倫理的な解釈を定めていたということであるから、そういう教育を受けていた者たちは、西ドイツとの統合によって資本主義を受け入れる過程で、ヒトラーをも肯定するような短絡的な考えを持ち、これがネオナチというものになったのではないかと思われるが、この点は未確認である。


5. 視察課題に関する回答と感想

 ドイツの戦後の歴史教育には、日本のような深い悩みは無さそうであった。対外的にも、国内においても、明確な歴史的評価が定まっており、「かつてのドイツは大きな間違いを起こした」という部分を徹底しているようであった。日本では、一部に、「あの時代は、ああするしかなかった」というような過去を正当化するような議論があるが、少なくともドイツの教育の現場には、そのような議論はないように見受けられた。
 そこで、
 「祖国や祖先の罪を強調することは、子供たちのアイデンティティーを培う上で大きなジレンマを伴うのではないか?」と質問してみたが、ハイジ女氏は、「国の罪と、個人の罪は分離して考えるのが一般的だ」とし、事実をできるだけ正確に教えることが教師の役割であるとしていた。また、ラウアーさんからは、「日本やドイツばかりでなく、どこの国の歴史にも光の部分と影の部分があり、生徒たちの人間形成にとっては、その影の部分をも含めた自国に対する認識を持たせることが重要である」という回答を得た。
 また、「ドイツ史全体を見渡せば、ヒトラーの時代以外の部分に関しては、堂々たる誇りを持てるはず」で、ドイツ人であることを恥じるような傾向が生じる心配はないとも言っていた。

 教科書についても、日本のような問題は生じていないようであった。
 日本の場合でも、中国や韓国などの被害者側の記述に重点を置いてはいるが、そのために明治維新に関する記述が手薄になったりしている。これは、歴史教育に割り当てる時間の問題で教科書のページ数がある程度限定されていることにも起因すると思われる。ドイツの場合は、とにかく、初級段階の歴史教育においてすら、5年間をかけて順次進められるわけで、この情報量の多さが、全てをカバーできる要因となっているようであった。要するに、ドイツでは、ナチスの被害者を強調した部分が最近になって「追加」されたのであり、これを追加するために他の部分が削られたりはしていないということだと見受けられた。

 ちなみに、教師の組合活動について聴いてみたところ、ドイツには、左派政党系の組合と、保守政党系の組合の2つがあり、勢力としては左派系の組合の方が強いとのことで、この組合同士の間には、日本における議論と同様な議論があるようだった。それでも、保守系の組合があるということで、日本よりもバランスのよい体制ができあがっているものと感じた。

 ただ、歴史の教訓として、通常の学校内のセレモニーでは国旗も掲揚しないし、国歌も歌わないようである。その国旗自体も、プロイセン時代の国旗(赤地に白いくり抜きがあって、黒い双頭の鷲があるもので、ナチスの旗の原形になったもの)は採用されていない。現在使われている金黒赤の3色旗は、1848年のフランス2月革命がドイツ連邦に波及したときのもので、全連邦諸国の君主たちを相手にドイツの民衆が蜂起したときの旗であるらしい。国歌にしても、メロディーはそのままながら、「祖国」という言葉が出てくる1番と2番が削除されているそうである。
 マイツナー女氏自身も、民族とか祖国を強調し、ナショナリズム的な雰囲気を高揚させることには賛成できないと言っていたが、「2世代後くらいの時代になれば、国旗や国歌のセレモニーも行われるようになるかもしれない」とも言っていた。

 ちなみに、教科書の検定については、日本の文部省のようなものが各州にあり、これが日本と同じように審議会のようなものをつくって、出版社が提示したものを検定しているようだが、複数の出版社のどの教科書を採用するかは、学校ごとに担当科目の教師陣が話し合って決めるようで、自治体の教育委員会が決めるものではないようだ。


 

6. まとめ

 ドイツの歴史教育に関する評価については、視察に参加した8名の議員それぞれに個別の意見が出ているので、一括して、ここに掲載することは、無理である。
 ただ、ひとつ言えることは、ドイツにはPDS(民主社会党)という旧東ドイツ系の左派政党があるものの、共産党は中央政界に議席を持つほどの勢力を成しておらず、このため、極端な左翼思想で歴史教科書の記述を歪めてしまうようなことは起きていない、ということである。
 ちなみに、日本の歴史教科書の問題は、55年体制から波及したものであると思われる。ドイツ史を見ると、左派と右派が激しくぶつかり合ったのは、ワイマール共和国の時代のことであり、ヒトラーは、そういう思想的な混迷の中で台頭したわけだが、それ以後は、そういった激しい思想的な対立の時代はなかったように思われる。戦後においては、国が二つに分割されたことで、西側においても、東側においても、体制が明確に整頓され、それぞれの国内では、大きな思想的対立は発生しずらかったであろう。が、東西の統合がなされた今、もしかすると、これから55年体制のような時代を迎えることになるかもしれない。東と西に別々に住んでいた異なる思想の人々が、今、合流したばかりなのである。
 それらの事情を考え合わせると、日本の国旗・国歌問題や、歴史教科書の問題を考える際には、ドイツの現状を引合いに出すべきではないように思われる。とにかくドイツは、連合赤軍やら、日教組やら、それらの尻馬に乗ったマスコミやらの問題に直面することなく今日を迎えたのだと感じた。


資料:ドイツの実情(ドイツ大使館)

資料:諸外国の学校教育

ラウアーさんへの手紙

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