トービン税(Tobin Tax)

 1998年のフラ ンスで、国際NGO・アタック (ATTAC=「市民を支援するために金融取引への課税を 求める組織」の英語略)というものが誕生したことをNHKのスペシャル番組で知った。彼らの主張によると、世界は、今、ほんの一握りの人たちによって、極めて非民主的に制覇されているそうだ。デリバティブなどを通して巨額のお金を投機的に運用する一部の人たちが、グローバリズムの名の下に、事実上、地上の支配権を確立しているそうで、このカネの支配を援助するWTO(世界貿易機構)こそは諸悪の根元であるとし、その支配を打ち砕くための第1歩として、トービン税なる税制の導入を主張している。

 このトービン税なるものは、米国の経済学者トービンがひねり出したアイデアで、投機目的の国際金融取引に課税をし、その税収をもって開発途上国の援助に当てよう、というものである。その税率は、一回の投機的な取引につき、取引額の0.1%が適当であるとしている。たとえ0.1%の税率でも、年間3900億ドルの税金を徴収することができ、これは、現在の開発援助の実に7倍ものレベルとなるそうだ。これによって投機のカネの暴走を抑え、また、その税収を開発途上国の貧困や環境破壊の対策資金にあてることで、世界経済のアンバランスを是正できるとしている。

 実に、見事なアイデアで、私などは「なるほど」とうなってしまった。が、同時に、その税の徴収と分配をだれが取り仕切るのか、という点で、巨大なハードルの存在を感じた。国連が取り仕切るなら、国連の事務総長は巨大な利権を得る役職となり、いかなる者がその地位に就いても、とても、その職責を全うできないであろう。

 そんなことを考えているうちに、また、『大空理説』のことを思い出した。「わたしのアートギャラリー」の2ページ目以降にアップしたものは、『フルーツアイランド第一王朝の奇蹟』というサブタイトルをつけたもので、これは超古代の世界を描いたSF小説のようなものであるが、実は、『大空理説』には、これ以外にも「未来編」とでも表現すべきストーリーがある(もちろん未完のまま・・・笑)。

 主人公は、神光(ジン・ミツル)という青年でる。神光は、父が書き残した大空理説を教典として使い、世界規模の宗教法人を興し、そこから吸い上げた巨万の富を蓄えて日本国の政治をも支配下に置き、富士山の頂上部分に円錐形の大神殿を建造して富士山そのものをピラミッドにしてしまい、さらに、自ら即身成仏したとして世間を欺き、盛大な葬式を執り行い、そこに集めた天文学的な額の香典を使って、世界征服を実行する。その手法は、まさにテロリズムであり、たぶん、ビン・ラディンが夢想しているような形のものである。

 が、そのあたりの活劇がいかに面白いかは、この場では、どうでもよい。

 この場の話題は、トービン税である。

 世界を支配下に置いた神光は、その支配権を固定させるため、世界経済の中に相互依存の連鎖をつくらせる。北米圏の人たちには小麦の生産を禁じ、ロシア圏の人たちには電化製品の生産を禁じ、南米圏の人たちにはトウモロコシの生産を禁じ、中国圏の人たちには米の生産を禁じる、といった形で、各地域がなんらかの必要不可欠な生産物を他の地域に依存するようにさせ、これによって地域的な独立を不可能にさせてしまう。

 アタックが目指すものと神光が目指すものは、正反対である。アタックは、反グローバリズムの団体であり、神光は究極のグローバリズムを成し遂げようとする。が、トービン税を具体化するためには、神光のような人物の登場が必要不可欠であり、世界経済の進歩と調和を促進するためには、まず、政治的な統一事業をやらねばならないであろう。

 アタックの人たちは、政治というものに幻滅した人たちのように見受けられ、その非政府組織が急成長しているのも、そのあたりへの不満が爆発したもののように思われる。アタックでの会合では、だれもが自由に発言し、その発言が常に他の発言と同等の重みをもって扱われるそうだが、しかし、そういう形の会議でなんらかの結論を提示するのは非常に難しい。それでも、そのトービン税の件などで合意を得られたようだが、これは、自分たちの直接的な利害に関わらない開発途上国の課題を話し合ったからであろう。ちなみに、アタックは、ヨーロッパの先進国の人たちの組織である。彼らの、その、グローバリズムに対する拒否反応の根元には、米国資本のグローバル化を牽制したいという意識があるように見受けられる。その運動は、実は、反米運動なのではないかという気がする。世界経済の主導権を米国から引きはがして、それを自分たちの下に引き寄せたいのではないか、という気もする。

 私は、トービン税には賛成である。が、反グローバリズムという旗印には、なにか胡散臭いものを感じる。反グローバリズムというのは、我々ホモ・サピエンス・サピエンスにとっては、無理な課題だと思われる。我々ホモ・サピエンス・サピエンスは、実は、まったく協調性のない種で、これまで、多くの他の種の人類を滅ぼしてきた。ネアンデルタール人(ホモ・サピエンス・ネアンデルターレンシス)がその代表であるが、それ以前にも、地上には、多くの種類の人類がおり、我々は、我々以外の他の種を全て滅ぼしてきたのである。同じ類人猿でも、チンパンジーや、オランウータンや、ゴリラのようには、互いに棲み分けができなかったのである。他の種との棲み分けをしない、というのは、要するにグローバリズムである。グローバリズムは、我々ホモ・サピエンス・サピエンスの本能なのではないかと思う。


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