横山光之さんに捧ぐ(2007年2月)

 昨年の9月、北区選出の同僚議員だった横山光之さんが突然亡くなられまして、一番親しかった私が弔辞を読むことになりました。それから約半年が過ぎたのですが、なんだか最近、故人の言動や表情がやけに頭に浮かんできます。今日、議員控室でその話をしましたら、他の議員の中に、横山さんの夢を見たという人が2名ほどあり、故人には、まだ思い残したことがあるのかなと思われ、昨年に読んだ弔辞をこの場に載せてみようかと思いたちました。

この似顔絵は、横山さんの遺志を継いで立候補を決意された奥様の峰子さんです。横山さんは、この奥様のことが気にかかっているのだと思いますが・・・。


弔辞

 横山さん、

 今日の話は弔辞ですから、なるべく深刻な雰囲気でやろうと思いましたら、奥さんや娘さんから、「うちのはそういうキャラクターじゃないから、なるべく明るくやって」と言われました。そういうわけで、なるべく笑いが取れるようにやりたいと思います。

 この弔辞を作成するにあたり、まず思い出したのは、今から7年前の2期目の選挙のときのことです。横山さんは、自分の決起集会を催すにあたり、私に応援演説を頼みましたよね。勝木に喋らせれば、なにか面白いことを言うかもしれない、と思ったのでしょうが、しかし、本番が近づくに連れて、あまり穏便でない私の性格を思い出したのか、ちょっと不安になったようでしたね。それで、「勝木さん、わかってるね。応援演説というのは、候補を褒めるんだよ。くさすんじゃないよ。」と真顔で言いましたね。ですから、今日も、なるべく褒めるようにいたしますが、横山さんに原稿のチェックをしてもらっていないので、各方面に差し障りがあるかもしれません。

 11年前の選挙で共に初当選を果たし、新人議員のオリエンテーションで、初めて顔を会わせ、なんとなくお互いに気が合って、というか、横山さんが私のことを気に入ってくれて、14歳も年下の未熟な私を友達として遇してくださるようになったことは、私にとっては、かけがえのない貴重な人生の数十ページです。博学で、雄弁で、高い良識の下に構築された堅牢な信念を持っていた横山さんでしたが、だれに対しても尊大に構えることがなく、気さくで、明朗快活で、常に、ざっくばらんに人と接しておられましたね。そのキャラクターは、議員同士の間でも、役所の職員の皆さんの間でも、選挙区内の支援者の皆さんの間でも、絶大な人気を博していました。そんな横山さんに友達として遇されたことが、私にとってどんなにプラスだったか計りしれません。札幌市議会には、強者(つわもの)や曲者(くせもの)や食わせ者がたくさんいらっしゃいますが、そんな中で、11年間も、なんとか議員としてやってこられましたのは、「横山さんの友達」という肩書きがあったればこそでした。

 もっとも、世間一般では、私は、横山さんの友達というよりも後輩という印象が強かったみたいです。初当選した翌年に、私が結婚式をあげることになり、仲人を横山さんにお願いしましたときも、一般のお客さんは、私と横山さんが友達だとは思わなかったようです。2期目の選挙で、私の事務所開所式の応援演説をしていただいたときにも、大声で大演説をぶつ横山さんの姿は、私の後見人のように見られました。

実際に、横山さんは、私の友達というよりは後見人だったかもしれませんね。私が書いた過激な質問原稿が議員仲間から顰蹙(ひんしゅく)を買ったりすると、その声は、まず横山さんに投げかけられ、「横山さん、あんたから何とか言ってやらないと・・・」というようなことになっていたようです。そういう声に接したときの横山さんは、いつも私を弁護してくれて、「あの勝木のいいところを潰さないでやって欲しい」などと言いながら、なるべく私のやりたいようにさせておいてくれました。

 思い出すのは、2期目の選挙に当選して、桂前市長の随行でポートランド市に出張した際のことです。帰りの飛行機の中で、私とキャビンアテンダントの間に対立感情が湧き上がったことがありました。機内に持ち込んだワインのコルクを抜いてくれと頼みましたら、「それはできない」と言われ、「どうしてだ?」と聞き返したところ、押し問答になり、最終的にはワインのコルクは抜かれたものの、日本人のキャビンアテンダントの態度がひどく敵対的になりました。アメリカ人の中に混じって働く彼女は、私のような日本人がいるから自分の立場が悪くなるのだと思っていたようです。そして、そのとき、それまで親しくしていた大勢の先輩議員たちは、皆一斉に他人のふりをしましたよね。押し問答の末に注いでもらったワインを手渡そうとすると、皆、迷惑そうに無言で手のひらを見せてくれました。おかげで、私の手元には、なみなみとワインを満たしたグラスがいくつも残ってしまいました。キャビンアテンダントは、これには激怒しました。酒は一杯づつしか飲ませてはならない、という規則があったのに、私ひとりで何杯ものワインを独り占めにしているように見えたのです。搭乗員全てを敵にまわしたようなカッコウになってしまった私と、このとき一緒に問題のワインを飲んでくれたのは、横山さんただひとりでしたね。あれは、今思うと、友情というよりも、親心だったような気がします。

 あの頃は、私が会派の副幹事長で、横山さんが副政審会長でした。あの頃から、会派内の意見がまとまらなくなると、横山さんが大声で大演説をまくし立て、理路整然とみんなを説得するようになりました。その迫力のある野太い大声は、酒が入るとさらに大きくなりましたよね。ケネディー大統領の話なんぞをはじめるとなおさらでした。「政治家は暗殺されてはじめて英雄になる」といった話を何度も聞きました。ポートランドからの帰りの飛行機の中でも、そんな話が出てたような気がします。それで、がぶがぶワインを飲み、話声がだんだんと大きくなってくると、私たちの前の列の席で寝ていた新婚夫婦が、突然起きあがってこちらを振り返り、「すいませんが、後頭部にがんがん響いて寝られないんですよね」と苦情を言いました。がんがん響いたのは私の声ではなく、横山さんの声だったと思いますが、あの声も、もう聞こえないのかと思うと、淋しいかぎりです。

 当時、私と横山さんは、酒ばかり飲んでいましたが、どのくらい飲みましたかね? 1回につきビール、ウィスキーその他織りまぜて二人で4リットルくらいは飲んだとして、週に2回くらいはやってましたから、月に30リットルくらいは一緒に飲んでたかもしれませんね。

 ただ、その後、お互いに体重のことが気になりだして、酒をひかえるようになり、一緒に山に登ったりするようになりましたね。今の私は、もう、議員の仕事よりも山登りの方を本業にしたようになっていますが、そうなったキッカケは、横山さんでした。私がたまたま読んだ山岳小説のストーリーを横山さんに話していて、ついつい興奮して涙を流しましたら、横山さんもつられて涙を流し、その後、突然札幌岳に登ると言い出しましたよね。「その腹の出具合では、無理じゃないか?」とずいぶん諫めたんですが、「毎朝散歩してるから脚は大丈夫だ。」と言いはり、結局行くこととなり、私も仕方なく同行することになったわけですが、私たちを連れて行ってくれたトッポの会の皆さんには、かなり迷惑をかけましたね。横山さんは、リュックサックからカッパの上着まで、みんなトッポの会の皆さんに持ってもらって、お尻まで押してもらって、息絶え絶えで、ようやく登頂しましたよね。山頂には雲がかかっていて何も見えなかったんですが、そのときの横山さんは、ホントに嬉しそうでした。「俺でもまだ、やれる!」っていう自信みたいなものをつかんだ悦びが、私ばかりでなく、周囲のみんなにも伝わっていました。横山さんと一緒に登ったからこそ、私も山登りの悦びを理解できたわけで、あの体験がなければ、山登りばかりに熱中するようにはならなかったと思います。

 横山さんは、とにかく面白い人でしたから、もっと面白いエピソードがたくさんありますが、なかなかこの場で発表できないのが残念です。

 3回目の選挙が無事に終わり、横山さんは、念願だった1万票獲得の目標を果たし、自民党議員会の幹事長として強烈なリーダーシップを発揮するようになりましたね。上田市政を厳しく糾弾する姿勢を会派内に定着させたのも横山さんでした。駅前地下通路の実施設計を理由もなく先送りにした上田市長に、真っ向から切り込んだ3期目最初の代表質問は、実にお見事でした。しかし、その後は、ひどく忙しくなって、なかなか一緒に飲む時間がなくなりましたね。しかし、それでも、難しい案件があると、必ず私にも電話をくれて、私の意見を聞いてくれました。私は、ただの副会長で、大してやることもなかったため、筋トレと山登りばかりしてまして、議会との縁も薄くなりかけていましたが、横山さんが電話をくれるので、かろうじて議員としての自覚を失わずに済んでおりました。

3期目後半に入ると、その横山さんからの電話があまりかかってこなくなりましたね。幹事長の任期を終えて、少しはゆっくりできるようになったわけですが、その頃から酒も飲まなくなっていたそうですね。一緒に川崎市に視察に行って、子どもの権利条例と自治基本条例の本質を調査したときも、一緒に飲まずに終わりましたね。風邪ばかりひいて、なんとなく体調がすぐれないようでしたが、まさか、こんなことになるとは思いませんでした。

 横山さんが亡くなられてしまったので、自民党議員会は、火が消えたようになってしまいました。政務調査費の件でも、予期せぬ敗訴で、皆ショックを隠せません。こういうときこそ、あの横山節で、我々の進むべき道を指し示して欲しいのですが、どうにもなりません。

 ともあれ、横山さん、この11年間、本当にお世話になりました。ありがとうございました。

 改めまして、心より感謝申し上げ、お別れの言葉といたします。

 さようなら、


戻る