カニ目を普段乗りにするsimple lifeをうっかり実践してみたくなって、カナダで格安の1台を見つけた。一応"Early 9-Stud Model"と呼ばれる、1958年3月-10月に4000台強しか造られていない初期型というコレクターズアイテムだったが、そんなことは買うまで知らなかった。
旧いクルマには馴れていたつもりだが、カニ目について門外漢の僕が果たして"smiling face"を保てるのかどうか・・・。
Dec.19 2003: Pick up at Tokyo Port Container Yard
カナダからの長旅とはいえ、コンテナに入れてきた割には埃だらけで非常にキタナイ。
荷役のオジサン達が総出でトレーラーに押し上げてくれる。SmilingFaceのアホ面による生まれ持った才能のおかげか、誰もが喜んで働いてくれる。ホント得なヤツだな、お前。
その足でガレージ・フェイズ・ワンに運び、年内車検取得に向けて基本的な整備をお願いする。
・・が、1275エンジン+クラッチとスムーズケーストランスミッションの相性(正確にはクラッチフォークのレバー比)の問題でクラッチが切れない!ことが判明し、断念。イブの晩11:30まで煩わせてしまったことに恐縮。
前オーナーのイイカゲンな整備に不信がつのる・・。
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Tecno Register
Jan, 2004/ Back on the road again/Road Reg'd
結局エンジン+ギアボックスを下ろし、ギアボックスはスペアで置いてあったリブケースに交換。諸悪の根源だったクラッチフォークも1275用に交換してもらい、ようやく車検取得と相成った。
写真は、Elanを探していた友人をオーナーに引き合わせたときのもので、その後商談成立。図鑑のような車種の組み合わせに一同笑う。
折りしも冬の都内は、実は粗野なオープン2シーターのベストシーズン。久しぶりにクルマそのものの楽しさを味わう日々がつづく。
・・とかいっていると、デスビからの配線が暗闇で外れてエンコ。トレーラーで引き上げる羽目に遭う。よじってつないだ箇所だらけの配線は、根本的解決が必要だ。
Nov. 2004/ She's gone
いろいろドタバタしながら持ってきたカニ目だったが、急遽別のクルマのために場所塞ぎとなり、知り合いの息子さんにお譲りすることにした。翌年から大学院に行くことにもなり、ちょうど1年分の学費になったことも大きな理由だ。
短い間だったけど、愉しい思い出をありがとう。
これからもずっと元気でね。
Sep 2004/ breakdown
秋晴れの週末に、筑波サーキットまでレースを見に行く。常磐道を降りていつもの裏道は、カニ目で来るとなおのこと愉しい。
ところが、常磐道の料金所を抜けようとするころ異変が起こった。クラッチペダルの感触が鈍く、3回ぐらい踏みなおさないと切れない。首都高の料金所に入る手前では、クラッチを切らずにギアを抜いて空走し、再発進の際は5回ぐらいクラッチを踏んで、何とかローに入れる。ついに環状線に差し掛かるころ、完全にクラッチペダルはdeadになってしまった。
休日の首都高といえば渋滞が付物なのに、ひとたび停まれば、再発進は困難そうだ。路側帯の停車も考えたが、ともかく行けるところまで行く決心を固めて一番空いていそうなルートを思い浮かる。一番左を走りつづけて万一の停止に備える。
そんな、時限爆弾を抱えた旅客機のパイロットのような心境でやがて箱崎を抜け、北の丸を過ぎ・・・4速固定のまま40km/h以下に落ちることがあっても、幸いにも一度も停まることがなかった。・・・そして、出口付近が広い目黒ランプを降りると、そのまま惰性で路側に停車。あとはJAFのレッカーを待つのみ。
帰ってから調べてみると、クラッチスレーブシリンダーの入り口でパイプにクラックがはいって、フルードが全て漏ってしまったのが原因だった。
May 2004/ Wiring replaced/Dashboard retrimmed
旧い配線に対する不信は日を追うごとに強くなり、配線引き直しを決意。英国のAHSparesから入手した電線1式は3万円にしかず、このわずかな投資と取り除かれる不安との効果を考えると、全てのカニ目オーナーに薦めたいと思う。サービスマニュアルの配線図通りの色なので、その通りにつなげばちゃんと動く。僕もノーミスだった。
配線引き直しにはダッシュボードを外す必要があるが、そのついでに表皮を当時のコーディネイトに合わせて赤に張替え。楽天に出ている店で買ったビニールクロスのテクスチャーもほぼ完璧。まだ余ってますので、どなたか欲しい方はメールください。
May 2004/ trip to Karuizawa
連休前半を使って配線引き直しを終えると、群馬の友人宅を経て軽井沢へ。翌日は北軽井沢まで足を延ばし、友人宅を急襲。
その後帰りの関越が大渋滞し、火傷寸前の日焼け。