新しいメディアを政治家が利用するのは、いまに始まったことではありません。例えば米国では1930年代にルーズベルト大統領が当時の最新メディアだったラジオを通じた「炉辺談話」で国民に語りかけ、60年代にはケネディ大統領がテレビを利用して人気を得ました。
日本でも60年代、池田勇人首相はテレビをうまく使った。ネットについていうと、90年代に首相官邸がホームページを開設。2001年には小泉純一郎首相のメールマガジンがスタートし、話題を呼んだ。鳩山由紀夫首相がこの時期、はやりのツイッターを始めたのは目新しいことではありません。
とはいえ今回これを仕掛けた平田オリザ氏ら「国民と政治の距離を近づけるための民間ワーキンググループ」の顔ぶれやツイッターの特性を考えると、深い部分で政治コミュニケーションが変わる可能性も感じます。
ツイッターには発信と受信の機能がありますが、鳩山ツイッターは「つぶやく」より「聞く」に重きをおいている気がします。いわば世論を知るための道具。鳩山首相が「まじめな提言が多い」とコメントしているのは、その表れでしょう。
小泉政権の頃から、メディアの世論調査が政治を左右する「世論調査政治」ともいえる状況が強まっています。ツイッターはその時その時の国民の声を知る格好のツール。世論調査政治にうってつけです。
もとより国民の声にこたえる政治自体は悪くない。「組織」の存在が大きかった日本政治において「個人」に目を向けるのは重要です。ただ、瞬間的、反射的な言葉に過度に反応していると、長期的な方向性を打ち出す政治は難しくなり、慌ただしさばかりが増します。
メディア研究で有名なマクルーハンはかつて、テレビなどの電気メディアについて、人びとが一斉につながり、互いに触れあえるツールだと言いました。現在、究極の電子メディアであるツイッターにはテレビ以上にそういう面があります。
これまで政治家には「言葉を大事にしている」とか「確固たる政策がある」とかいう重々しいイメージがありました。しかし、いまは「一緒に政治をしようよ」という姿勢のリーダーが求められる。高度成長が終わり、「利益」をばらまけない時代の為政者には、問題を共有し、ともに考える環境をいかに作るかが問われます。瞬時に感想を述べあえ、参加感を助長するツイッターを使わない手はありません。
しかし、ツイッターがつなぐ政治がユートピアかといえば、そうは思いません。バーチャルな政治で居心地がよくない。
鳩山ツイッターに送られた「つぶやき」は、人びとの本音が出た貴重な世論データです。でも、これが統計的に解析され、管理されることはないのか。そうなれば対話のメディアというより、マーケティングのツール、監視社会の道具にもなりかねません。政治とのリアルな接触が乏しいだけに心配です。
メディアを通じた為政者のフレンドリーな振る舞いの裏には、なにか仕掛けがあるものです。半面、仕掛けたつもりで利用されるのもメディアの怖さ。ツイッターも単純に素晴らしいといえるかどうか。メディアとはそもそも政治的なものなのです。
× ×
逢坂巌さん 立教大学助教
1965年生まれ。現代日本政治、政治コミュニケーション。東京大助手を経て、08年から現職。著書に「テレビ政治」(共著)など。
<サイトトップへ>
(2010年1月24日 朝日新聞)