立教大助教 逢坂巌
民主党の小沢一郎幹事長の政治資金をめぐる事件が、テレビや新聞で連日大きく報道されている。
メディア論で高名なカナダの社会学者マクルーハンは、テレビやコンピューターといった「電気メディア」の時代には、「政党と政治課題と政治目標を中心とした伝統的な意味での選挙は終わ」り、「集合的部族的イメージと部族的族長のイコン(象徴)的イメージが政治的現実に優先する」と主張した。
われわれは一種の先祖返りをして、論理ではなく感覚を重んじるようになり、集団の社会的なイメージ、特にリーダーのイメージが大切になるというのだ。
この予言は、テレビが登場した1960年代に唱えられたのだが、小泉純一郎、安倍晋三、福田康夫、麻生太郎と最近の宰相各氏を思い浮かべると、21世紀の日本政治の状況にこそよく当てはまる。政権の評価は政策よりも、メディアが伝える人物像によって変動している。イメージのコントロールに失敗すると、目指す政策が実行できなくなるのだ。
現在、与党の族長的存在である小沢氏をめぐって、一大闘争が繰り広げられている。もとより、電気メディア時代の政治闘争はイメージの闘争だ。説明や提示の仕方が内容以上に重要となるが、政府与党側には不手際が目立つ。
放送を所管する総務大臣や警察を監督する国家公安委員長らによる報道批判、党内の「捜査情報漏えい問題対策チーム」の結成は、闘争の舞台でもあるマスメディアの反発を誘っている。
インターネット上を中心に、「マスメディアがリーク(漏えい)情報を報じている」との指摘や、「検察の暴走」への批判が強く存在するものの、国民全体には広がっていない。捜査の動きに合わせる形で、内閣への評価は下がり続けている。
小沢氏が検察の事情聴取後に行った説明についても、テレビのワイドショーの多くでは「秘書を切った」「よくわからない」と批判されている。このままでは、個人の法的な責任は回避できても、民主党のイメージは致命的に傷つくだろう。
戦前の一時期、日本は政友会と民政党による二大政党制を経験したが、両党はスキャンダル合戦に明け暮れた。メディアも政党の腐敗をあげつらった結果、どちらも汚いということで、国民はより「清潔な」軍部を政治に招きいれ、民主主義を放棄した。
昨年、選挙による政権交代が行われたが、小沢氏をめぐる事件とその報道によって、政党政治そのものへの不信、民主主義自体の危機を招きかねないように見える。
このような危機を回避するためには、民主党は党内部での調査はもとより、国会の場を使っての説明を積極的に行うという姿勢を見せるべきだ。何より、鳩山由紀夫首相が政府と党の最高責任者として、「族長」としてのイメージを表現することが早急に求められる。
現下の政治不信を解消し、民主主義の危機を回避できるかどうかは、政治的トップがイメージをつくり出す力にかかっている。電気メディアの時代、政治は理屈のみならず態度で国民に向かい合うべきである。
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おうさか・いわお 1965年福岡市生まれ。広告会社勤務、東大助手などを経て、08年から現職。専門は政治コミュニケーション。共著に「テレビ政治」。
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(2010年1月27日 共同通信配信 信濃毎日、河北新報など)