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墓地に戻ってきた。
「ああッ……。アタシの負けね……」
地上に上がった途端、地面に両手を付いて、ガックリと項垂れる朱堂に、俺は手を差し伸べ
た。
霞んでいた視界も、地上に上がる前に寄った《魂の井戸》のおかげで、すっかり元に戻って
いる。
「負けたアタシを友だといってくれるの?」
スカーフを噛みしめ、目元を潤ませた朱堂が面を上げる。
静かに頷き返すと、赤いマニキュアのある大きな手が重なって、しっかりと握り返えされた。
「葉佩九龍――。アタシの完敗よ」
潔く負けを認めて立ち上がった朱堂は、懐から手帳を取り出すと、プリクラを一枚、両手で
差し出してきた。
「これ、もらってください!」
朱堂は、気合いが入ると男らしい野太い声が出る。
プリクラには、夜の城と薔薇の庭園に囲まれて、ウインクする朱堂が映っている。
どアップで撮影したためか、面長の顔が、薔薇のフレームに収まりきっていない。
生徒手帳を求められたので手渡すと、朱堂はプリクラを貼り付け、連絡先を書き込む。
「アタシもオカマの端くれ。潔く、これからはアナタに力を貸して上げるわ」
朱堂は貼ったばかりのプリクラがよく見えるように、生徒手帳のページを開いて返してきた。
彼のプリクラは右のページ、四段目の欄に貼られている。
その上の三段目の欄には、石研の名に恥じない化石フレームの中で、(おそらくは石を見つ
めて)恍惚とした表情を見せて微笑む、黒塚部長のプリクラが貼られている。
「さァ、それじゃ、白状してもらうわよッ?何で女子寮を監視していたのか――」
こちらのやり取りが一段落した所で、腰に手を当てた八千穂が、朱堂の前へと進み出た。
「そ……それは……」
「それは、何よ?」
「それは……」
「それは?」
言い淀む朱堂に、容赦なく詰め寄る八千穂。
女子寮監視の件のみならず、停電の被害をも被った八千穂には、やっと捕まえた犯人を前に
して、追及の手を緩める理由は何もない。
なかなか目を合わせようとしない朱堂を、じわじわと追い詰める。
返答如何によっては、ただでは済まされない。
そんな八千穂の剣呑な眼差しに、追い詰められた朱堂が、この世の終わりのような声で絶叫
する。
「羨ましかったのよォォォッ!!」
「え……?」
予想もしなかった返答に、八千穂は絶句した。
「アタシは……、アナタたち女生徒が羨ましかったの……」
「…………」
泣き崩れるようにして、朱堂が再び地面に手を付いた。
目を瞠って唖然とする八千穂に向かって、朱堂が女性に対する憧れを、嗚咽混じりに告白す
る。
「花のように美しく、蝶のように優雅な女性たちの姿がァァァ――。アタシだって、そうい
う風に生まれたかったァァァッ!!木漏れ日の中を軽やかに走る鹿のように……。でも――
でも、アタシは――、一生、手に入れる事が叶わない夢を追いかけていただけ……。だから、
アタシはいつも遠くからアナタたちを眺めていた。ただ……遠くから……」
「…………」
スカーフを噛みしめ、女性に対する羨望を涙ながらに語る朱堂の姿に、自分と同じ女性の心
を見いだした八千穂の顔からは、次第に険しさが抜けていき、代わって同情の色が濃く表れ
はじめていた。
「でも……、もう、それも終わり。いいわ……。アタシをみんなの前に突き出しなさい。ア
タシを公衆の面前に晒して、そして存分に裁くといいわ。誰も、アタシの気持ちなんてわか
らない。アタシの気持ちなんてッ!!」
自暴自棄になって叫ぶ朱堂は、全ての感情を吐き出し尽くすと、がっくりと項垂れて肩を震
わせる。
そんな朱堂の姿を見つめ、八千穂が優しい声を掛ける。
「分かったわ。朱堂クン――ううん、茂美チャンの気持ち、あたし、よくわかったよ」
「え……?」
戸惑いの表情を浮かべた朱堂が、涙に濡れた顔を上げる。
「誰にでも、夢や憧れはあるよね。もし、あたしが茂美チャンでも、きっと同じ事をしてい
るかもしれない。だから、茂美チャンだけが悪いとは思えないんだ……」
切々と訴える朱堂の姿に、心打たれた様子の八千穂の目には、いつしか彼の心情に共感する
ような、穏やかな光が浮かんでいた。
「いいのかよ、八千穂?」
彼女の心変わりに、驚いた皆守が確認する。
「うん。夢に憧れる事を誰も責める事なんてできないよ。この事は、ここにいるあたしたち
だけの胸にしまっておこうよ」
すっきりした笑顔で、八千穂は俺たち二人を振り返った。
「まァ、お前がそれでいいなら、いいけどな」
八千穂の怒りが解けた事は、間違いない。
それを彼女の表情に認めた皆守が、アロマパイプを咥えて頷いた。
「うんッ、いいよ。女子寮のみんなには、あたしから、うまく誤魔化しておくから」
「ありがとう……。ありがとう、八千穂サン……」
自分の胸を叩いて頼もしく請け合う八千穂に、目を潤ませた朱堂が頭を下げる。
「ううん。あたしこそゴメンね。何か、茂美チャンの事、誤解していたみたい。これからは、
いい友達でいよ?ね?」
「八千穂サン……」
溢れる涙をそのままに座り込む朱堂の手を、八千穂がとって、彼を立ち上がらせる。
「ほら、誰かに見つかる前に早く行って行って」
涙を拭ってまだ躊躇う様子を見せる朱堂の背中を、八千穂は笑顔で後押しする。
「何から何まで、ありがとう。それじゃ、みんな。またね――」
みんなからの好意を受けて、泣き笑いの表情で立ち去ろうとした朱堂は、俺の横を通り抜け
ざま、足をよろめかせて、ぶつかってきた。
体勢を崩した朱堂の肩を支えてやると、その拍子に、彼の制服から何かが滑り落ちる。
「あッ、ゴメンなさい、葉佩ちゃんにぶつかっちゃって。シゲミったら、ドジッ子さん」
身体を起こした朱堂は、自分で自分の頭を軽くこづいて、謝ってきた。
「おいッ、朱堂。お前の学ランから何か落ちたぞ?」
「あッ、いっけない」
皆守に指摘されて、落とし物に気付いた朱堂が、ぶつかった拍子に落ちた何かを、慌てて拾
い集める。
何気なく、朱堂の落とし物に目をやった俺は、そこに予想外のものを発見して身体を強ばら
せた。
地面に落ちた朱堂の落とし物、それは写真の束だった。
それも、明らかに隠し撮りをしたと思われるアングルの写真が多数、地面に散らばっている。
その中でも特にまずかったのは、下着姿で着替え中の八千穂の写真が、含まれていた事だ。
穏やかだった墓地の空気が、凍り付いた。
凍てつくような氷の眼差しを、すぐ間近から感じとった俺と皆守は慌てて、落ちている写真
の束から視線を逸らした。
「男子生徒に頼まれていた写真を落としちゃったんだわ。せっかく、苦労して隠し撮りした
のに。汚れたら売り物にならないから、気を付けなくっちゃ。ふ〜。ふ〜」
瞬間冷却した空気にひとり気付かず、朱堂は拾い集めた写真の束に息を吹きかけ、汚れを払
うと、それを大事そうに懐に収めて立ち上がった。
「さて――っと。それじゃ、改めて、みんな、バイビ〜」
「ちょっと、待たんかいッ」
無邪気な笑顔を振りまいて、立ち去ろうとした朱堂の声を打ち破って、八千穂の感情を押し
殺した低い声が、墓地に響き渡った。
「何かしら?八千穂サ――」
振り返った朱堂に皆まで言わせず、八千穂の繰り出した最速の拳が、彼の頬を捉える。
「あうッ!!」
情けない悲鳴を上げて、朱堂が顔面から地面に倒れ込んだ。
「なッ、いきなり、何すんじゃ――」
殴られた頬に手をやり、抗議の声と共に身体を起こした朱堂めがけて、八千穂のテニスシュ
ーズの蹴りがヒットする。
「ぐはッ!!」
悶絶して、再び地面に這いつくばる朱堂。
「おおお……」
「その写真はどういう事?」
まるで地獄の底から響くような、抑揚のない八千穂の声は、彼女の怒りの凄まじさを雄弁に
物語る。
「こッ、これはその……」
「…………」
真っ青になって後退する朱堂に、口元に薄い笑みを刻む八千穂が、両手の指の間接を鳴らし
ながら、ゆっくりと近付いていく。
「ちょッ、ちょっと、待って、アタシの話を聞いてッ!!ねッ?話だけでもッ!!」
「何よ?いってごらんなさい?」
両手を前に突き出して、慌てふためく朱堂に対し、にっこりと満面の笑みを顔に貼り付かせ
た八千穂が、不気味なくらい優しく問い掛ける。
「えッ、え〜と……」
絶体絶命の窮地に、起死回生の一手を見いだそうと、朱堂の目が忙しなく揺れる。
しかし、この短時間に八千穂の怒りを氷解させる、そんな上手い言い訳を思い付くはずもな
く。
完全に気圧されて、萎縮する朱堂の前に、憤怒のあまり表情の消えた八千穂が、禍々しいオ
ーラを発散させて立ちはだかった。
「ア……、アイム、ユア、ファーザー」
「――――――ッ!!」
追い詰められた朱堂の支離滅裂、意味不明な言い訳に、八千穂の応酬の拳が炸裂した。
彼女の制裁の拳は、噂に聞く美鶴先輩の『処刑』に勝るとも劣らない威力を発揮する。
捻りと回転の利いた強烈な正拳突きを、顎下からまともにくらった朱堂の身体が、声も立て
ずに宙に浮く。
その威力を、しかと目撃した俺と皆守は、同時にすくみ上がった。
「ぐはッ!!」
墜落して再び、地面に這いつくばった朱堂に、八千穂はとどめを刺す勢いで、殴る蹴るの連
続攻撃を、ひたすら無言で加え続ける。
八千穂の追い打ちを受けて、朱堂の体力が、みるみる減っていくのが、傍目からもよく分か
った。
「ちょ……ちょっと……」
制止を求める朱堂の懇願の声にも、もはや八千穂は聞く耳を持たず、体重の乗った重たい蹴
りを入れる。
「うぐォッ!!た……助けて……」
ボロ雑巾のようになった朱堂から助けを求められたが、女性の心理を逆手にとって八千穂を
騙し、その温情に裏切りで報いた彼に、情状酌量の余地はない。
自業自得のうえ、動かぬ物的証拠を目にした今となっては、彼を庇う事など、できはしない。
変わり果てた朱堂の姿を前にして、隣に立つ皆守が、目に見えて後退った。
こうなるともう、誰も八千穂を止められない。
俺は、決して八千穂は怒らせまいと、心の中で再度、誓う。
「この――変態ィィィッッッ!!」
「あぎゃァァァァァァッ!!」
一撃必殺の鉄拳を浴びて、朱堂の断末魔の悲鳴が、墓地にこだました。
朱堂がすり替えた江見睡院のメモは、後日、彼の怪我が治ってから返してもらおう。
無事だと良いが。