2■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■
「《超古代文明》の遺産かァ。何か面白そうだよねッ」
図書室でのオカルト話に、当初あんなにも退いていたはずの八千穂は、後半の七瀬学園秘
密説に大いに好奇心をくすぐられたのか、今や興味津々、意欲満々になっていた。
天香学園は全寮制で、生活に必要な施設も寮も、全て学園の敷地内に完備されている。
学業に専念する理念のもと、新宿という立地条件にも拘わらず、長期の休みを除けば生徒
が学園の敷地から外に出る事は滅多にない。
月光館学園も自分は寮生だったが、学園と同じ敷地内に寮はなかったし、寄り道も、週末
や休日の外出も、ここに比べれば遙かに自由だった。
天香学園では、一日は学園と寮の行き来で終わり、しかも学園の敷地内からは出られない。
閉鎖された空間。
そんな退屈な毎日の繰り返しに、ほんの少しの刺激を求めてかもしれないが、八千穂は影
響されやすく、また乗せられやすいようだ。
「そうだ。今度、誰にも見つからないように、こっそり夜にでも墓地に行ってみない?」
さっきまで墓地への立ち入りは校則で禁止されているとか話していたはずだが、早くも
堂々と校則破りのお誘いを受けた。
「調べれば何か――ん?」
微かに響いたピアノの音に、八千穂は話を中断して、耳を澄ませた。
「今、音楽室でピアノの音がしなかった?」
「したね」
互いに顔を見合わせて確認し合う。
「この時間は、誰も使っていないはずだけど……。もしかして、音楽室に出没するってい
う幽霊だったりして〜」
八千穂は幽霊を怖がるどころか、面白がって嬉々として音楽室の方に向かい、俺を手招き
する。
「実はさ……大きい声ではいえないけど、この学園には九つの怪談があるんだ」
「九つの怪談?」
あちこちの学校を転々と転校していた経験から、何処の学校にも似たような怪談の一つや
二つはあるものだと認識している。
月光館学園――通称月高も例に漏れず『オンリョウ』の怪談があった。
《10年前の事故》の影響もあって、その他にも色々と怪談はあったらしいが、聞いた事
はなかった。
むしろ月光館学園、最強の怪談は《影時間》の迷宮《タルタロス》だろうと、俺は確信し
ている。
学校にまつわる怪談は、大抵は七不思議の七つで、九つあるのは、確かに珍しい部類に入
るかもしれない。
「その最初の怪談が『一番目のピアノ』誰もいないはずの音楽室からピアノの音がするっ
ているよくある話なんだけどね」
音楽室の怪談で定番といえば、ピアノなどの楽器の怪音か、音楽家の肖像画にまつわる怪
異。
よくある話に、頷いて先を促す。
「何でも、昔、音楽室で事故があって、その事故で手を怪我した女子生徒の霊がピアノを
弾きに現れるんだって」
巌戸台の寮で順平が催した怪談会『順平アワー』風に、『変なもの見ちゃった』といった台
詞から始まる目撃者の話を予想していた俺は、『事故』という、あまり穏やかじゃない話に
微かに顔を曇らせた。
俺の表情の変化に気付かず、八千穂は難しい顔をして音楽室の前で話を続ける。
「そして、キレイな手をしている人を襲って、精気を吸い取っちゃうんだってさ。精気を
吸い取られた人は、干からびて、ミイラのようになるとかならないとか……どうせ、単な
る噂話だろうけどね。」
八千穂は『事故』の話を、怪談に信憑性をもたせる逸話の一つくらいにしか認識していな
いようだ。
その証拠に、
「本当だったら、面白かったのになァ。」
と、笑いながら不謹慎な感想を付け加えた。
怪我をしただけなら霊として現れる事はないはずだから、その女子生徒は、事故または、
事故の怪我が関係して死亡している事になる。
目先の幽霊、怪談話に気を取られ、事故で亡くなった人がいてはじめて、この怪談が成立
する痛ましい事実にまで、考えが及んでいないのだろう。
もし、本当に事故で亡くなった女子生徒がいたとしたら。
更には、怪談だけに信憑性は否めないが、実際に精気を吸い取られてミイラのようになっ
た被害者がいたとしたら。
他人の不幸を『面白い』などとは、けして言えないはずだ。
八千穂自身が『単なる噂話』と言ったように、最初から噂話、作り話だと信じているから
こそ何処までも他人事として、当事者の苦しみなど考える事もなく、日常に紛れ込んだ非
日常の一部として受け止められるのかもしれない。
彼女のような反応が一般的で、『事故』と聞いて、色々と深刻に考えてしまう自分の反応の
方が、むしろおかしいのではないかという考えに至り、溜息をつく。
どちらにせよ、過去の話と割り切ってしまえば、それまでなのだろうが、人の生死が関わ
っているとなると過剰に反応してしまうのは、去年《死》そのものについて色々と考える
機会が多すぎたからなのだと思いたい。
「ねェねェ。ちょっとドアの隙間から音楽室覗いてみよっか?もしかしたら、幽霊を見れ
るかもしれないし」
悶々と思い悩む、こちらの複雑な心境などお構いなしに、八千穂は無邪気な笑顔で提案し
てきた。
昔から表情に乏しく、滅多に感情が表に出る事のない俺の心中など、言わなければ当然、
今日会ったばかりの彼女に伝わるはずもない。
複雑な心境のまま隣を見下ろせば、好奇心を抑えきれない、期待のこもった純粋な眼差し
と、すぐ間近に出会って思わず毒気を抜かれて苦笑する。
観念して八千穂を促し、ドアの隙間から一緒に音楽室を覗き込んだ。
音楽室内のカーテンは全て閉まっていて、中は暗かったが人の気配はする。
薄暗い部屋の中、黒髪の男子生徒が一人、ピアノの前に佇んでいるのが見えた。
背中を猫背気味に丸めているが、かなり背が高い事が一目で見て取れる。
その特徴的な生徒の後ろ姿に、何となく、妙な違和感を覚える。
「あれは……A組の取手クン?電気もつけないで、何してんだろ……」
明かりもつけずに佇む背の高い生徒が誰か、認識した八千穂が呟いた。
「何か声をかけづらい雰囲気だね」
八千穂の声に促されて、覗くのを止めて廊下に戻る。
「行こ。葉佩クン。別の場所を案内してあげるよ」
取手という生徒が気にはなったが、八千穂が次の場所を案内してくれるというのを無下に
もできず。
掴めそうで掴めなかった違和感の正体に、一度だけ音楽室を振り返り、すぐに前を行く八
千穂に並んで歩き始めた。
◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■
次に八千穂が案内してくれたのは一階の保健室。
いつもは臨床心理士の先生がいるらしいが、今は不在で鍵が掛かっており、中に入る事は
できなかった。
保健室には正直いって、あまり良い印象を持っていない。
何故なら、月光館学園の保健室は体調が悪い時に訪れても、怪しげな薬を飲まされて終わ
り。
どんなに具合が悪くとも、保健室のベッドで休めた試しがなかったからだ。
常駐する保健医も、相当に変わった先生だった。
保健医が、保健体育の授業を受け持つならまだわかる。
しかし、あの保健医は総合学習と称して、何故か魔術に関する授業を講義し、中間、期末
テストまであったのだから驚きだ。
月高の保健室と、その保健医の印象が強烈すぎたのが、いけないのであって、けして天香
学園の保健室並びに、まだ会った事もない臨床心理士が悪い訳ではない。
けれど、そんな事情から、
『臨床心理士の瑞麗先生は、すごい美人』
との話を聞いても、普通に返事を返した所、
「ふ〜ん。葉佩クンって、何か他の男子と違うね」
などと八千穂にいわれてしまった。
あらゆる意味で『違う』自覚はあるので、何もいえず、次の場所へ移動する。
◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■
続いて向かった一階の売店では一騒動があった。
売店は学用品から日用品まで揃っているが、下校の鐘が鳴ると生徒は速やかに校舎の外へ
出なければならない校則があって、放課後、売店は営業していない。
欲しい物は最低でも昼休みの内に買っておかなければならない不便な仕組みとなっている。
説明してくれる八千穂の声に、売店をひとりで営業をしているという校務員の境が、奥か
ら姿を現した。
首にタオルを引っかけ、着古したジャンパーにズボンといった出で立ちで、年季の入った
モップを担いだ境は、ただ顔をしかめて立っているだけなのに、何処となく好色そうな、
一言でいえば、助平そうな爺さんに見えた。
無言の校務員から発せられる『話しかけるな』オーラに俺が黙っていると、境は外見に見
合わぬ素早い動きで思わぬ行動に出た。
突然、大声を上げてあらぬ方向を指差した境は、誘導に引っかかった八千穂の一瞬の隙を
ついて、彼女のスカートをめくるという暴挙に出たのだ。
端で見ていた俺にも、八千穂の水色の下着が、しっかり見えてしまった。
作戦の成功に、にやけた笑みを浮かべ、ひとり愉悦に浸るセクハラ校務員に、八千穂の拳
が炸裂したのはいうまでもない。
受けて当然の報いに境は情けない悲鳴を上げて、見事に壁にめり込み、沈む。
自業自得の姿に、同情の余地はない。
ないのだが、不可抗力とはいえ見てしまった手前、俺は八千穂の強さに、美鶴先輩の『処
刑』を見た気がして戦慄していた。
撃沈した境の姿に、思わず自分の末路を想像してしまい、間近に迫った『処刑』の恐怖に、
修学旅行での露天風呂ニアミス事件を嫌でも思い出した。
もちろん、あの時を含め、美鶴先輩の『処刑』を受けた事は一度もないが。
一緒にいた男四人、一蓮托生。
秘密は墓までもっていけとの約束から詳細は省くとして、女子から軽蔑される行動を自ら
進んで実行し、『処刑』の恐怖を味わってまで、『男のロマン』とやらを追いかけたいとは、
さすがに思わない。
見かけによらず、すぐに立ち直った境は八千穂の制裁に文句を言って、ますます彼女の怒
りを買った。
怒りの矛先がセクハラ校務員にのみ向かったおかげで、俺の目撃は不幸な事故として不問
に処された。
境と一緒にされなくて良かったと胸をなで下ろし、けして八千穂は怒らせまいと密かに誓
う。
境は見慣れない生徒、俺の存在にようやく気が付いたふりをして、八千穂の怒りを逸らし
つつ、校務員以外にも複数兼任している職務を含めた自己紹介ならぬ、自己アピールを怠
らなかった。
去り際に『変な物を売りつけないように』と釘を刺した八千穂に反発し、自称『親切な売
店のおやっさん』の証拠としてコレクション品までくれた。
「屋上で変な事したら、駄目じゃぞ〜」
まるで説得力のない、セクハラ校務員の甲高い声を背に、俺たちは屋上に向かったのだっ
た。