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「メールが届きました」
《ロゼッタ協会》から支給されているH.A.N.Tから女性ナビゲータの音声がメールの受
信を知らせた。
「新しい依頼かね?」
医師がのんびりと声をかけてきた。
ここでメールを開かないのも不自然だと判断して、内心《宝探し屋》に謝りながらH.A.N.
Tを起動させ、メールを開いた俺は、ある表示に目が釘付けとなり、何の反応も返す事が
できなくなった。
『受信日:2004年9月9日』
画面には、そう表示されていた。
その受信日を何度か読み返してみるが、何度見ても同じ日付で、表示が変わることはなか
った。
何かの間違いだと思い、急いで医師に確認した。
「あの、今日は西暦何年、何月何日ですか?」
「2004年9月9日だが?それがどうかしたかね?」
聞かれた医師が、さらりと答えた日付を耳にして、今度こそ愕然とする。
しかし、にこにこと穏やかな顔で話す医師の表情に、嘘や冗談をいっている雰囲気はない。
ましてや《宝探し屋》と同じ《ロゼッタ協会》に所属する専任医師が、今日の日付を偽る
理由は何処にもない。
そう悟った瞬間、一気に目の前が真っ暗になる錯覚に襲われた。
確か自分は2010年3月5日、月光館学園の卒業式当日に、学園の屋上で眠っただけの
はずだった。
それが、何故かエジプトにいた《宝探し屋》の身体に魂だけが入り込んだ。
そう無理にでも納得していたというのに、2010年から2004年と時間まで遡ってい
るとは何事か。
何の冗談かと思った。
そんな事態は、まったく予想していなかった。
予測の範囲を、いや理解の範疇を遙かに越えている。
ここまでくると、さすがに特別課外活動部で培った異常な事態に対する免疫も底をついた。
許容範囲を一気に越え、限界すら突破した。
今まで2010年だと、信じて疑わなかった世界の認識が、ガラガラと音を立てて崩れて
いく。
動悸が上がり、呼吸がかすれて息苦しくなる。
何故こんな事が起きたのか、まったく理解できない。
順平の言葉を借りるとすれば、まさに『お手上げ侍』の状態だった。
『ハイ、アナタも一緒にお手上げ侍』という順平のかけ声まで幻聴で聞こえてきそうだっ
た。
いや実際、聞こえていたかもしれない。
本気で両手を挙げたくなったが、その前に酷い眩暈がしてきて、思わず額を押さえた。
「あぁ、依頼の達成期日を心配しているのなら、我々から《協会》に連絡しているから安
心したまえ」
実際に血の気が引いて真っ青になっていたであろう俺に向かって、医師が何か喋っていた
が、思考が麻痺していて、言葉は音の羅列として夢か幻のように虚ろに響いた。
鼓動の早い心臓の音だけが、やけに大きく耳につく。
眩暈は酷くなる一方で、額に嫌な汗まで滲んできた。
「大丈夫かね?」
椅子から立ち上がった医師が、俺の肩に手を置いて覗き込んでくるのを、ぼんやりと見る。
肩から伝わる手の温もりは現実のもので、目の前にいる医師や看護師、サラーも、今まで
の出来事もけして夢や幻ではなかったと反芻する。
何よりも最初に受けた、あの衝撃と痛みは本物だった。
「――ッ」
一瞬あの時感じた全身の骨が軋むような凄まじい衝撃が甦り、身体をかき抱いて、目をつ
むる。
医師の声が遠くなり、思考もあの時に遡る。
あれ程の凄まじい衝撃は、普通の、生身の人間には、きっと耐えられない。
おそらくペルソナがなければ、自分も危うかったに違いないと確信させるほど、受けた衝
撃は凄まじく、痛みは耐え難かった。
今、早鐘を打つように響いてくる《宝探し屋》の心臓の鼓動も、あの時、自分が入れ替わ
っていなければ、止まっていたかもしれない。
――あの時、『何か』が働いた。
そうとしか、考えられなかった。
それは《宝探し屋》本人の意思だったかもしれない。
――死にたくない。
あるいは、何者かの意思。
――死んではならない。
そして。
――死んではならなかった。
だから、その『何か』が自分を選んだ。
砂漠で倒れ、意識を失っても2010年の自分の身体には戻れなかった。
事故か偶然か、神か悪魔の悪戯か。
いずれにしろ、もはや自分の意思ではどうにもならない。
《事故》から10年の歳月を経て、巌戸台に戻ってきた自分が《影時間》を体験し、否応
なく《世界の終わり》に関わったように。
『何か』が自分と《宝探し屋》を引き合わせたのだとしたら、その『何か』を解決しない
限り、自分の元の身体には戻れないのではないだろうか。
そう思った。
何故そう思ったのか、さしたる理由も根拠もない。
強いてあげるとすれば、直感としか言いようがない。
だが、この直感は当てになる。
当てにしてもいい事を、自分はよく知っている。
だから、それで十分だった。
それさえわかれば、後は理由も根拠も、自分にとっては必ずしも必要なものではない。
息苦しさが和らぎ、呼吸が少し楽になる。
直感を確信した事で、崩れかけていた心が、均衡を取り戻しはじめた。
事は既に起こり、実際『何か』に巻き込まれているのだから、今更じたばた足掻いて逆ら
っても何の解決にもならない。
現実を受け入れ、原状回復のために、原因の究明と事態の収拾に努める方が、よほど有意
義で理にかなっている。
そう自分に言いきかせると、ようやく眩暈と動悸も治まってきた。
強ばっていた身体の緊張が解け、霞がかったように遠かった周囲の色と音も次第に戻って
くる。
遠くでプリンタが作動するような音がした。
まだ視界の隅に漂う靄を、軽く頭を振って払うと、ちょうど覗き込んでいた医師と目が合
った。
「……大丈夫かね?」
否定したかった2004年の世界は、その色と音を回復し、医師の声も言葉も意味を成し
て自分に届いた。
深呼吸して、もう大丈夫だと、医師の目を見て頷き返す。
「先生」
患者の症状の快方を確認した医師は、軽く俺の肩を叩いてから、看護師の声に側を離れた。
「こっちにも書類がきたようだな」
「《協会》からこれが送信されてきました」
そんな医師と看護師のやり取りが聞こえてくる中、これからどうするべきかに考えを巡ら
せる。
今、自分は《宝探し屋》の身体で五感を共有し、また自分の感情は《宝探し屋》身体にま
で影響を及ぼした。
先程の一時的な精神錯乱状態により変調をきたした《宝探し屋》身体は、既に復調し、規
則的な心音を刻んでいる。
他人の身体に魂だけが入り込むというあってはならない事態に、当の身体と魂は、ほぼ完
璧ともいえる同調率で生きていると認識せざるを得ない。
自分と《宝探し屋》を引き合わせた『何か』を解決するにしても、生きているからには腹
も空けば、眠りもするし、最低限の衣食住は絶対に必要。
そして肝心の《宝探し屋》は依然として意識不明のまま。
となれば、取るべき手段は一つしかない。
《宝探し屋》が目覚めるまでは、このまま自分が《宝探し屋》を代行するしかない。
もはや、この身体は《宝探し屋》と一心同体。
とにかく元の自分の身体に戻れるまでは、この《宝探し屋》の身体で生きていくしか道は
ない。
《宝探し屋》代行を決心し、新たに気合いを入れ直した所で、こちらに戻ってきた医師か
ら書類を手渡された。
「うむ、その書類に必要な項目を書き込んでくれ」
書類は日本語で書かれた身上書だった。
用途がわからず医師に目で問いかけると、彼は俺の手元のH.A.N.Tを指し示した。
そこでようやく受信日付に驚倒して、すっかり忘れていたメールを思い出す。
受けた衝撃が大き過ぎて、当然それ以降の件名やメール本文の内容にも読み進んではいな
かったため、改めてメールに目を通した。
メールの内容は要約すると東京新宿の全寮制『天香学園高等学校』に超古代文明にまつわ
る遺跡を確認したので、メールを受信した《宝探し屋》は現地へ急行せよというものだっ
た。
東京の都心、新宿の学校に超古代文明の遺跡という奇抜な組み合わせには驚いたが、人工
島にあった月光館学園にも《影時間》に《タルタロス》という非常識な迷宮がそびえ立っ
ていたくらいだから、そんなものかと納得する。
自分自身に時間遡行、いわゆるタイムスリップという非常識極まりない異常事態が起こっ
た衝撃が大き過ぎて、その他諸々の常識的な感覚が次々に麻痺していたといえなくもない。
身上書に予め書き込まれていた名前と添付されていた写真から、ようやくこの身体の持ち
主《宝探し屋》の名前と顔を知る事ができた。
『氏名:葉佩 九龍』
本名なのか、偽名なのかはわからない。
偽名の可能性が高いが、何しろその葉佩九龍本人の意識が戻らないので確認のしようがな
い。
写真は黒髪黒瞳の東洋人。
人目を引くほどではないが均整の取れた顔立ちで、柔和な瞳が人懐っこい印象を与える。
年齢も定かではないが、確かに若く、ごく普通の男子高校生といわれれば違和感なく通用
する顔に見えた。
元より正確な記入は望めないため、指定された記入項目は虚実織り交ぜて適当に入れる事
にする。
誕生日は本日『9月9日』
『本籍:北海道』
身長と体重は、この診察室の設備で測定できたので正確に記入する。
元の身体よりは少し高い『173cm』体重は『58kg』
血液型も職業柄、輸血の必要があるかもしれないと考え、医師に確認して『O型』
視力も測定して、ここの設備の最高値である『1.2』
得意科目は『数学』
部活動は少し考えて『遺跡研究会』なる文化部を記入し、用紙を医師に手渡した。
「よろしい。後は《協会》が手続きをしてくれる」
医師はざっと書類に目を通してから、看護師に手渡す。
そして、次の任地へ赴く《宝探し屋》にアドバイスをくれた。
「わかっているとは思うが、仕事は迅速に。そして素性を決して明かしてはならん。それ
がプロの《宝探し屋》の暗黙の掟だ」
確かに大々的にいえる職業ではないが、《協会》から依頼を受けたサラーのような協力者以
外に、素性をけして明かしてはならないという忠告には多少首を傾げる。
こちらの疑問を察した医師は、初仕事をこなしたばかりの、まだ新米の部類に入る《宝探
し屋》に諭すように続けた。
「素性がバレれば、《秘宝》を奪わんとする悪しき輩に命を狙われる事になる。今回のよう
な《秘宝の夜明け》と称するテロリストどもも《超古代文明》が遺した《秘宝》の痕跡を
嗅ぎ回っているようだしな」
《秘宝の夜明け》の一件で医師の危惧する所はわかるが、全寮制という閉鎖された学園内
において、素性をけして明かさないという条件は厳しいといわざるを得ない。
それは極秘、隠密行動が常だった特別課外活動部が一般生徒と寮を別にしていた事からも
わかる。
つまり素性を明かす場合は、最悪、命を狙われる可能性も考慮してから、明かせという事
かと解釈して、
「わかりました」
と神妙に答えた。
「まもなくインド洋上空にさしかかります」
診察室内にアナウンスが流れ、現在の飛行地を告げる。
規則的な音と振動の少なさ、そして独特の浮遊感から、この診察室兼病室が、飛行機の中
に設けられている事は、早い段階から気付いていた。
医師が窓を覆っていたブラインドを上げる。
「うむ、窓の外を見たまえ」
促されて、窓の外に広がる青空とその下の雲海、青と白のコントラストを見る。
「この機はこのまま君を日本へ移送する。この雲海を越えれば、次の目的地だ」
一応、日本に戻れる事には安堵する。
2004年。
確実に《影時間》は存在しているはずで、全ての機械が止まる《影時間》を飛行機内では
体験したくないなと思いながら、窓の外に広がる雲海を眺める。
「今度はうまくやる事だ。命を落とさんようにな」
医師の声に雲海から視線を機内へと戻した。
もちろん、こんな所で命を落とす訳にはいかない。
自分はまだ月光館学園の屋上に特別課外活動部の全員で集まるというあの約束を、あと少
しの所で眠ってしまったため、正確には果たしていない。
絶対に元の時間、2010年の自分の身体に生還すると、決意を込めて頷いた。
「お前さんに《秘宝》の加護のあらん事を」
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途中、バンコクとマニラを経由して、何とか飛行機内では《影時間》を体験する事なく日
本の成田空港に到着した俺は、天香学園に転入するまでの数日間を《ロゼッタ協会》の日
本支部で過ごした。
帰国後、数日経っても《宝探し屋》葉佩九龍本人の意識は、一行に回復の兆しを見せず、
長期戦は覚悟しなければならなかった。
予断の許さない状況に、もはや腹をくくって、《宝探し屋》代行として任務を遂行するべく、
行動する。
《協会》では暇さえあれば、資料室で超古代文明に関する知識を頭に叩き込み、時間の許
す限り、訓練所に通い詰めては射撃訓練に明け暮れた。
ペルソナの召喚が望めない今、ヘラクレイオンで遭遇した墓守と同種の異形、怪異を再び
相手にすると仮定した場合、ペルソナ能力――魔法に代わる遠距離攻撃の手段確保は最優
先事項だった。
何しろ銃器の使用、取り扱いなど、知識も経験も皆無だ。
こればかりは、いくらマニュアルを熟読したところで、経験なくして習得できるものでは
ない。
しかし、銃器の取り扱いを含む射撃訓練の指導を要請したはずの《協会》の教官は、何故
か射撃訓練を渋り、接近戦を想定した格闘訓練を再三に渡って勧めてきた。
そこで仕方なく、教官を含む、訓練相手全員を拳で説得した俺は、ようやく射撃訓練に一
から取り組み、一通りの各種銃器の使用と整備方法を習得した頃に、天香学園へ転校とな
ったのだった。