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蜃気楼の少年
2004年9月22日
目まぐるしかった一夜が明けた。
生徒たちの喧噪でざわめく、朝の廊下にチャイムの音が鳴り響く。
「葉佩クン、おっはよッ」
3−Cの教室に入ると、先に登校していた八千穂が、すぐに飛んできた。
「昨日、あれからすぐ寝れた?何かあたし興奮しちゃって、なかなか寝付けなくて……」
そういう八千穂は、一夜明けた今も興奮冷めやらない、落ち着きのない状態だった。
一分でも一秒でも早く、話したくて話したくて仕方がないといった勢いのまま、矢継ぎ早
に話しかけられた俺は、挨拶を返すタイミングを完全に逃してしまい、開きかけた口をむ
なしく閉じる。
そのまま喋り続けようとした八千穂を、片手を上げて何とか制し、俺は比較的人の少ない
教室の後方、自席の近くへと、彼女を促して移動する。
いくら何でも、校則違反の話を教室の出入り口でするのは、憚られる。
話題が話題なだけに、いくら用心しても、しすぎるという事はないはずだ。
席の方へ移動すると、八千穂は早速本題に入った。
「そうそう、今日も墓地に行くでしょ?だって、あの墓石の下の開いた大きな穴――あそ
こに何かありそうじゃない?」
少し間を置いた事で、八千穂も冷静な判断力を取り戻したのか、周りを気にして、幾分声
を落として話を続ける。
「皆守クンや墓守の人は墓地に入るなっていってたけど、そんなの無理よね。結構深そう
な感じだったけど、ハシゴとかロープとかで降りられないかなァ……」
朝から八千穂の心は、既に夜の墓地に飛んでおり、人差し指を唇に当て、何かいい方法は
ないかと思案している。
昨晩、皆守や墓守の老人に注意された事など、はなから無視する勢いで、何が何でも発見
した穴の奥を調査しようと、俄然、張り切っている。
身の安全よりも、危険を冒してでも好奇心を満たしたい衝動の方に、心の比重が完全に傾
いてしまったようだ。
「もしかして、月魅がいっていた学園の秘密が、あの穴の奥にあったりして。ああ……そ
んな事になったら、退屈な寮生活にお別れね。スリリングだと思わない〜?」
両手を組み合わせ、祈るようなポーズで目を輝かせた八千穂は、そのまま俺の方に意味あ
りげな眼差しを寄越して、にっこり笑う。
「墓地に行く時は、絶対、あたしも連れてってよね。抜け駆けしてひとりで行ったら葉佩
クンの秘密、みんなにバラしちゃうんだから」
ギブ・アンド・テイク。
八千穂は棘のある笑顔のまま、連れて行かなければ、俺の《宝探し屋》という秘密をバラ
すと、強迫してきた。
まだ冗談っぽく装ってはいるが、その実、八千穂の瞳は笑っていない。
昨日、彼女を誘わず、自分ひとりで墓地に向かった事が、よほど尾を引いているらしい。
けして八千穂は怒らせまいと決めていた俺は、彼女のしたたかな条件を飲んで、同行を承
諾する。
「わかった。抜け駆けしない。今度はちゃんと連れて行く」
「そうこなくっちゃッ。それでこそ相棒よね」
パチンと指を鳴らして飛び上がった八千穂は、今度こそ純粋な、含むところのない満面の
笑顔で喜ぶ。
ここまで感情を素直に露にして、表情がくるくる入れ変わる様子は、無表情が常の自分と
しては、ある意味とても羨ましい。
「それじゃ、夜に墓地で待ち合わせしよッ。あたし、部活の後に行くから待っててね」
「了解」
「夜の方が人目につかないから、何かと好都合だよね。誰かさんが、ヘンな格好してても
安心だしッ」
俺の返事に、にこにこと無邪気な笑顔で応じた八千穂に悪気はないようだが、彼女にまで
『ヘンな格好』といわれてしまっては、多少へこみもする。
もう《宝探し屋》の装備では、学園内を出歩くまいと、またひとつ誓いを立てた。
「そうだッ。連絡先を教えておくね」
俺の消沈に気付かない八千穂が、
「生徒手帳ある?」
というので、大人しく差し出すと、彼女は俺の生徒手帳のアドレスページにプリクラを貼
り付け、連絡先を書き込んだ。
「へへへッ。ん?あァァァァァァ!!」
書き込みの出来ばえに満足した八千穂は、ふと目にした黒板に、何らかの異常を認めて悲
鳴を上げた。
何事かと、彼女の視線を追って見れば、黒板の隅にある『当番』の下には『八千穂』の三
文字が書かれている。
「やばッ、早く理科室に移動しなきゃ。あたし当番だから、準備をしなきゃならないんだ
った。それじゃ、葉佩クン、先に行くね」
事情を説明しながら、慌ただしく移動の準備を整えた八千穂は、俺に声かけてから先に教
室を出て行った。
もちろん、その際に生徒手帳を返す事も忘れない。
俺は八千穂を見送った後、返ってきた生徒手帳を見て、首を傾げた。
ハムスターのキャラクターフレームに、Vサインをして微笑む八千穂のプリクラ。
それはいい。
気になったのは、八千穂のプリクラと連絡先が、アドレスページの上から三番目の欄に書
き込まれていた事だった。
真新しいページなのに、何故、三番目という中途半端な欄から使うのだろう。
女子特有の何かのおまじないか、ジンクスなのかと悩んでいると、H.A.N.Tがメールを
受信した。
H.A.N.Tを起動させて受信メールを確認すると、送信者は七瀬。
件名は『昨日の夜……』
その件名に、心当たりがありすぎて、一抹の不安が頭を過ぎる。
本文には、昨日の夜中に八千穂から電話があり、遺跡などに埋もれた宝を探す事を生業と
している人たちについて、詳しく教えて欲しいとの相談を持ちかけられ、あえて理由は訊
かなかったが、俺の事を思い浮かべた――という内容が書かれていた。
八千穂の隠し事が苦手な、というよりはできない性格が、如実に現れていて、メールを読
み終えた俺は、頭を抱えたくなった。
八千穂の守秘義務に向かない性格をも考慮して、話したのだから、素性を明かした事自体
は後悔していない。
どのみち、協力者の存在は必要不可欠だと、今でも思う。
しかし、共に校則を犯して墓地の謎に挑む以上、運命共同体として、もう少し慎重に、用
心して行動して欲しいと思う事は、贅沢だろうか。
H.A.N.Tを手に佇む自分をよそに、他の生徒たちは理科室に行く準備をして、次々と教
室を出て行く。
「――おはよう」
人気もまばらになった頃、背後から感情のこもらない、低い女子の声に挨拶された。
「おはよう。白岐」
声の主が誰か、近付いてきた気配を既に特定していた俺は、ひとまず七瀬からのメールの
件を頭の隅に追いやって振り返り、挨拶を返す。
「……。葉佩さん、あなた――。もう《墓地》へ行った?」
白岐はじっと、こちらを見つめると、昨晩の行動の核心を鋭く突いてきた。
彼女の前では、どんなに巧妙に偽った所で、全てが見透かされているような気がして、正
直に答えた。
「うん。行った」
「そう……。それならば、気をつける事ね。闇は、常に私たちの傍らにあり――その《力》
に魅入られた者は誰も逃れる事はできないのだから」
白岐は、警告とも忠告とも取れる発言をして、俺の返事を待たずに踵を返すと、長い髪を
なびかせ教室を出て行った。
傍らどころか既に約10年、身の裡に闇を抱え、今も現在進行形で、その一片を抱える自
分としては、今更逃れようなどとは思っていない。
むしろ、《彼》に再会する《その日》まで、許される事なら生涯付き合い、抱えて逝くつも
りなのだが、そんな自分の意思を打ち明けられるような人物は、ここにはいない。