14■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■
白い光に包まれた後、俺は取手とその姉、さゆりとの間で交わされた数年前の会話を、取
手自身の目を通す形で、一緒に追体験した。
『音楽がある限り、私はあなたの心に生き続ける。だから、想い出して。この曲を――。
ずっと……。忘れないで……』
姉の残した想いは、楽譜を通してピアノの旋律と共に、再び取手に伝わった。
全てを思い出した取手は、広間で楽譜を抱きしめ、静かに涙した。
「忘れていた……。この《呪われた力》と引き替えに、失くしていた物が何だったのか…
…。僕は蜃気楼のような幻を見ていたのかもしれない」
墓守の黒い服を脱ぎ捨ててから、地上に戻るまでの間、溢れる想いに胸が一杯で、それま
でひと言も喋れなかった取手が、外に出て夜空の星を見上げ、ようやく心の整理がついた
かのように口を開いた。
訥々と、まだ戸惑いながら話す取手の姿を、八千穂は温かい目で、嬉しそうに見守る。
「さゆり姉さん……。僕は姉さんが死んだ事を忘れたくて――悲しみから逃げたくて、
ずっと失っていた。姉さんが僕に託した大切な宝物を」
言葉を切った取手は、《宝探し屋》の装備を外して、普通の学生服姿に戻っている俺に、
改まった様子で向き直った。
「でも、君がそれを取り戻してくれた。君は何者なんだ?」
真剣な面持ちで、取手は俺の素性を尋ねてきた。
だが俺は、少し返事に迷う。
取手は『君が取り戻してくれた』といってくれたが、番人《化人》を吹っ飛ばしたのは、
八千穂だ。
あの時、取手は気絶していて、何があったか真相を知らず、俺が何とかしたと思い込んで
いる。
彼の宝物――楽譜を取り戻せたのは、正確には俺よりも、八千穂の功績に拠る所が大きい。
素性を明かす前に、その点だけは、取手の誤解を解いておくべきかと、束の間、逡巡する。
困って八千穂に視線で助けを求めると、彼女はにこにこと嬉しそうに頷くだけで、俺の視
線の意味を、正確に汲み取ってはくれなかった。
今回、一番貢献したはずの八千穂には、その自覚がない。
八千穂らしいといえば、八千穂らしい。
その彼女がいいと頷くなら、取手からの誠意に水を差すのも悪いので、誤解は甘んじて受
け、素性を明かす事にした。
「《宝探し屋》……。それが、君の正体かい?そうか……それで君は、天香学園に転校して
きたんだね。この地下に眠る遺跡に隠された《秘宝》を見つけ出すために……」
素性を聞いて小首を傾げ、それから納得するように頷いた取手の顔には、出会ってから今
まで、俺が見た事もないような、心底嬉しそうな表情が、ごく自然に浮かんでいた。
そんな取手の笑顔を、皆守は軽い驚きの目でしばらく見つめていたが、さりげなく視線を
逸らすと、無言のままアロマパイプを口に運んで、香りを薫らせた。
「僕にはまだ、君の探している物が何なのかはわからない。でも、僕の《宝物》を――
あの日、もう二度と取り戻せないと思っていた大切な物を君は、探し出してくれた。だか
ら、今度は僕が君の力になるよ。君が探している《秘宝》を見つけ出すその時まで――」
『だから』の辺りで、身を乗り出した取手は、俺の手を取って助力を惜しまないと約束し
てくれた。
長身の取手が、俺の手を取って詰め寄る姿というのは、身長差から、取手が覆い被さって
くるように見えて、迫力がある。
けれど真摯な瞳で、協力を訴える彼の姿勢に、後ろに下がる訳にもいかず、俺は黙って取
手を見上げるしかない。
束の間、見つめ合う形になった取手は、何故か急に落ち着きをなくして、視線を彷徨わせ、
顔を俯けた。
握っていた手も離して、俯き、照れながら、俺の生徒手帳を貸してくれるよう頼んできた。
制服のポケットから生徒手帳を取り出して手渡すと、取手もアドレスページにプリクラを
貼り付け、連絡先を書き込む。
「君と僕の友情の証だ」
そういって取手が、はにかみながら戻してきた手帳。
彼の言葉に、このやり取りが、何か神聖な儀式のように感じられた俺は、生徒手帳を丁重
に受け取った。
寮への帰り道、戻ってきた生徒手帳を開いて見る。
取手のプリクラは、バッハのフレームだった。
きっと取手が、もっとも尊敬する音楽家なのだろう。
色彩的に黒髪の日本人に、プラチナブロンドの鬘が似合っていないのが、残念だった。
取手のプリクラは上から四番目、八千穂の下の欄に、慎ましく貼ってあった。
一番上の欄は、空欄のまま。
温厚で大人しい彼の性格を考えれば、無難な貼り方だろう。
手帳をしまって、夜空を見上げれば、白い上弦の月が昇っていた。
今夜も、あと数時間で、緑色の夜空に金色の月――《影時間》がやってくる。
◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■◇■
数日後――
「今日は、話してある通り、ピアノを使った音楽の授業をしましょう」
C組は音楽の授業で、音楽室に移動していた。
音楽教師の指示で、生徒は座っていた椅子をその場に残し、各自の机を教室の隅へと移動
させる。
それからピアノの周りを囲むようにして、椅子を車座に並べ、仲の良いクラスメート同士、
皆、思い思いの席についた。
「あら?皆守くんは?」
「さっき、具合が悪くなったって出て行きましたけど〜」
音楽の教師は目ざとく、サボリ常習犯の不在に気付いた。
すかさず俺の隣に座る八千穂が、フォローを入れる。
「そう……残念ね。今日がピアノの授業の初日なのに。でも、具合が悪いのなら仕方ない
わ」
口で言う程、残念そうでもない様子で、溜息などを吐いてみせた教師は、そこで追及の手
を緩めると、それ以上の詮索はしてこなかった。
「では。始めましょう。実は、今日の授業のために特別にピアノを教えてくれる講師の人
を呼んであります。さァ――入って」
準備が整い、改めて授業の開始を仕切り直した教師は、音楽室の外に待機していた人物に
入室を促した。
教師の声にクラス中の視線が、一斉に音楽室の扉に向かう。
生徒の注目を一身に受け、入ってきたピアノの講師は、意外にも学園外部から招かれた人
物ではなかった。
講師の姿を見たC組の生徒たちの間から、軽い驚きが、微かなざわめきとなって広がる。
ピアノの前までやってきた背の高い講師は、学園内部の関係者。
天香学園の生徒――3−Aの取手だった。
取手自身のA組の授業は、どうしたのだろう。
疑問に思っていると、教師の横、ざわめく生徒たちの前に立った取手は、俺と八千穂の方
に、はにかむような笑顔を向けてきた。
「葉佩君……。君に僕の演奏を聴いて欲しくて……、C組の授業で、ピアノを教えさせて
もらえるように音楽の先生に御願いしたんだ。」
前に立った取手は、C組生徒への挨拶もそこそこに、真っ先に俺に向かって、嬉しそうに
話しかけてきた。
「僕は、君に姉さんの楽譜を取り戻してもらってから、毎日、ピアノを弾くようになった。
弾きながら……、いつも君の事を想い出す」
それまで、微かにざわめいていた教室の空気は、取手のこの発言に、しんと静まりかえっ
た。
「僕は、うまくピアノを弾けているだろうか?僕の音楽は、天国の姉さんに届いているだ
ろうか?君は……ピアノを弾いている僕の姿を見て、どう思うだろうか?」
周囲の変化に気付かず、話し続ける取手の言葉から伝わってくる想いは、とても真っ直ぐ
で、誠実だった。
しかし、取手が熱心に語れば語るほど、クラス中の視線が、彼と彼に話しかけられている
俺の方に集まり、痛いくらいに突き刺さってくる。
視線を肌で直接感じられるだけに、注目されまくっているこの状況は落ち着かず、針のむ
しろのようで居たたまれない。
こんな時は、自分の無表情も、少しは役に立つのだなと実感する。
平静を装いつつ、やっぱり楽譜は八千穂が取り戻したと取手に伝えるべきか、内心、俺は
かなり迷っていた。
「だから、君に確かめて欲しいんだ。僕にとって、あの《宝物》がどれほど価値のあるも
のだったのかを――」
そういって微笑んだ取手は、ピアノの前へ移動した。
彼がピアノの椅子に座ると、異様に集まっていたクラス中の視線も、徐々に離れていき、
ようやく、ひと心地つけた。
隣の八千穂に目を向けると、彼女は取手の変化を喜ぶように、満面の笑みを返してくれた。
俺も、前に進みはじめた取手の変化と、彼の気持ちは素直に嬉しい。
取手の想いを無駄にしないためにも、これからはじまる演奏は心して聴こうと、背筋を正
した。
墓地で手を握られた時に気付いた事だが、取手は腕だけでなく、手の指も長かった。
ピアニストに向いている手だった。
白く長い繊細な指が、ピアノの鍵盤の上に置かれ、足はペダルにかけられた。
「だから、聴いて欲しい。この曲を……」
厳かな取手の声を合図に、拍手が上がった。
仄暗い地下遺跡で聴いたピアノの旋律が、取手の手により奏でられる。
闇の中、一陣の清涼な風を起こして流れていった音の連なり。
日の当たる明るい場所で聴く方が、耳に心地よく、曲にも合っている。
俺は取手の姉、さゆりの言葉を思い出しながら、静かに取手の演奏に耳を傾けていた。
この時間、姿をくらませた皆守が何をしていたのか、その行方を知るよしもなく――。