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国を憂い、われとわが身を甘やかすの記様より転載
http://abirur.iza.ne.jp/blog/entry/136979/
慰安婦問題・つかこうへい氏の本からの引用
2007/03/20 18:54
どうにもこうにも、毎日モヤモヤした気持ちが続きます。慰安婦問題をめぐって、無知と偏見といじめ心理に基づく米国の対日批判が続いているからです。自らを一方的に正義の高見に置いて他者を非難している人が、実は自分の足場が砂上の楼閣であるということに気付いていないというのは滑稽ですが、危なくて笑えません。いつか足元が崩れたとき、逆切れしてくる可能性がありますし。
どうしたら比較的多くの人に分かってもらえるのか。別に私がじたばたしても仕方がないのですが、本当にどう訴えるのが一番有効なのかと悩む日々です。日本が困る姿を、特定アジアの国々がほくそえんで見ていることを思うと、とても悔しくもあります。
私は、昨年7月3日のエントリ「上田知事発言と、つかこうへいさんの言葉」の中で、直木賞作家で在日韓国人2世のつか氏に、慰安婦問題で10年前にインタビューした際のことを書きました。つか氏は、マスコミの報道の影響で悲惨な境遇にあったと信じていた慰安婦たちが、元兵士や慰安所関係者らに取材し、勉強すればするほど必ずしもそうは言えなかった実態に気付き、見方が変わったことを話してくれました。
そこで本日は、そのつか氏の著書「娘に語る祖国 満州駅伝-従軍慰安婦編」(光文社、サイン本)から、そのまま文章を引用させてもらいたいと思います。愛娘に語りかける口調で書かれた文章がとても分かりやすく、説得力がありますので。
《(前略)ふと見ると、隣の人が読んでいる新聞に「慰安婦」の文字が見えます。 それは、補償を求める団体の記事のようでした。
慰安婦の実態を考えると分からなくなってきます。この記事とパパが取材した話とのあまりの違いに、溜め息が出そうになりました。 戦争とは一体なんだったんでしょう。(中略)
その人は、今はある会社の社長さんをしているとのことでした。 取材をお願いしたパパに、とても快くいろいろと話して聞かせてくれたのです。(中略)
社長 「報道とはすこし違うという感覚でしょうか」
つか氏 「はい。慰安婦はいましたが、そもそも従軍という言葉が違うんじゃないでしょうか。慰安婦は二通りあったんじゃないかと思います。騙した騙されたは知りませんが、慰安婦と知らずに連れてこられて、慰安婦にされてしまったという女と、最初から慰安婦だと言って募集して、その代わりおカネはこれだけやるんだと、ペイはするんだということで集められてきた女と。 どっちだか知っているのは、朝鮮の村のボスだけでしょうね。
ただ、少なくともわれわれ軍隊では、従軍なんて言わなかった。直接日本軍が関与したというよりも、言ってみりゃ女衒というか、仕切っていたのが朝鮮の人間であり、日本の商売人であったというのが本当のところじゃないでしょうか。
従軍なんて言葉ができたのはごく最近なんじゃないですかね。戦後になってからも、従軍という言葉はなかったですよ。おそらく新聞なんか見てみたって、従軍慰安婦なんていうのは書いてなかったと思います。 従軍記者とか、従軍看護婦ってのはいましたが、従軍看護婦なんて言っていないはずです。少なくともわれわれが軍隊時代にはピー屋って言って『おまえたち従軍慰安婦』なんて言ったことないです。 従軍と言うと、部隊が移動すると、慰安婦も一緒に移動してったというイメージがありますが、東寧ではそんなことはありませんでした。ですから、ピー屋というのもバラックづくりのようなものじゃなくて、ちゃんとした建物なんですね。それほど立派な建物ではないですが、ちゃんとそこで生活できるような施設になっていました。 私は将校でしたから、朝鮮半島出身の女のいるピー屋じゃなくて、日本人の、いわゆる三流芸者のピー屋に通っていました。将校専用っていうわけじゃないですが、将校は兵隊さんと一緒のとこで遊んではいけないという不文律があるんですよ。禁じられるとなおさらということなのでしょうが、若い将校が朝鮮の慰安婦と恋に落ちて、なんかゲーテのロマンスみたいなものはよく起こりましたよ」
社長 「ロマンスですか」
つか氏 「惚れ合っちゃって、別れられないというんで、自殺したの、心中するの、というような話を聞いたことがあります。
当時のカネでピー屋で遊ぶと5円ぐらいかかったかな。いや、そんなにかからなかったか。二、三円でしたか。将校の給料が、僕がいろんな手当てとか加算されて九十円。大学卒のサラリーマンが大体五十円から六十円でした。九十円仮にもらったとするでしょう。そのうち三十円が官舎の費用になっちゃうんですよ。官舎の費用というのは、食事とか、着るものとかで、将校になると、官費給付じゃなくなりますから。それが全部で月に三十円ぐらいかかったね。それから三十円が親元送金のために天引きされるんですよ。(中略)」
社長 「ピー屋というのは、軍隊が管理していたんですか」
つか氏 「いや、実質的には衛生面だけでした。これは性病が蔓延したら困るからということで、軍医が定期的に、半ば強制的に検査をして、という衛生管理はありましたよ。(後略)」》
このつか氏の取材の情景が、事実そのものなのか、あるいは物語として脚色を加えたものかはちょっと判別できませんが、こういう実態が普通であったことは、他所の事例からも明らかでしょう。つか氏は本の中で「実はね、パパはいろいろな人に取材をしたんだけど、従軍慰安婦の人たちは必ずしも悲惨じゃなかったんだ」と語っています。
もちろん、時と場所によっては、より過酷な環境や境遇があったかもしれないことは否定しませんが、それにしたって今、米国から口を極めて非難されているような「20世紀最大の人身売買」であったり、「性奴隷化」だとはとても思えません。米下院の対日非難決議案には「性的な暴力は手足などの切断、死、あるいは結果的な自殺などを招いた」と決め付けていますが、手足の切断っていったい…。
また、私が尊敬する故・坂本多加雄学習院大教授の著書「歴史教育を考える」(PHP新書)の「相手を尊重することにならない加害者意識」という章で、次のように書いています。平成14年にまだ52歳の若さで亡くなった坂本氏が健在なら、保守論壇は今よりずっと元気だったろうと惜しまれてなりません。
《自国を加害者と見なし、それに対応して、相手方を被害者として眺めることから始めるのは、両国についての理解を非常に歪んだ一面的なものにしてしまい、それこそ、真の相互理解を困難にしてしまうであろう。さらに言えば、こうした見方は、ともすれば、相手のアイデンティティそのものを単なる同情すべき無力な被害者のイメージで理解することになりかねない。そして、それは、相手方の尊厳を真に尊重することにはならないのである》
私も、サヨク・リベラルの人のように、やたらと他国を被害者として扱いたがるのは、逆に相手をバカにし、舐めきっているからできるのだろうな、と常々感じてきました。彼らが、朝鮮半島から20万人の女性を強制連行して慰安婦にしたなんていう虚構を平気で言えるのも、朝鮮半島の人はそんなたくさんの同胞が連れ去られるのを黙って見逃した無力・無気力な人だと決めつけることですから。
私が韓国人か北朝鮮人だったら、そんな侮辱的な発言は絶対に許さないだろうとも思います。相手に同情し、理解しているふりをして(主観的には理解しているつもりかもしれませんが)、実際は貶めているようないやらしさを感じます。元慰安婦の人にしても、それぞれ家庭の事情やら何やらいろいろと大変なことがあったのでしょうが、みんなまとめて一括りに「かわいそうな人」としてしまっては、逆に彼女達の人生を侮辱することになるような気もします。
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