ジャーナリスト Kei Nakajima

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特筆記事

その21
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アジア人の美人やハンサムの条件

開催が危ぶまれた北京オリンピックが終了した。開会式が始まるときには、何だかよその国の出来事とは思えないほど身内感覚でドキドキしてしまったが、とにかく無事に終わってほっとした。オリンピック期間中、多くの国の選手の顔が度アップでテレビカメラに映し出された。上位入賞を果たした選手がクローズアップされるのは当然だが、上位入賞を果たさなくても注目される選手というのがなぜかいる。そのひとりといえるのが卓球の福原愛選手だろう。福原選手より上位の成績を収めている日本選手の名前はひとりも覚えていないのに、福原選手のことだけは知っている、という人は多いのではないだろうか。

彼女の小さい頃からの映像を折りに触れて見てきた私たちは、あるときは親のような、親戚のような気持ちで見守ってきた面がある。当然「かわいい」と思っている人も大勢いると思うが、それは顔立ちが整っているという意味の「美人」とか「(美人と同等の意味の)かわいさ」とは少し違った「愛らしい」という感覚ではなかっただろうか。少なくとも私はそう感じていた。だが、私はある番組を見ていたとき、中国にくわしいコメンテーターが「福原選手の顔は中国の標準的な人の感覚でいえば美人顔なんです」といっていたのを聞いて、とても興味を持った。

彼女は一時期、中国の超級リーグに所属し、中国国内で転戦していたこともあるだけに中国での知名度は非常に高い。明るさと素直さ、そして中国語の流暢さもあって、彼女の人気が高いことにまったく異論はない。ただ、美人という表現には少しだけびっくりした。彼女の中国での愛称はすでに数多く報道されているように「瓷娃娃(ツーワーワー)」(陶器のお人形さん)である。肌がきれいで白いことからも陶器の人形といわれているそうだが、ただの人形ではなく、かわいい(美人)代名詞なのだという。私はお国が変われば美人の評価も違うものだな、と感じた。

北京オリンピックが終わって少ししたとき、大相撲モンゴル巡業が行なわれた。ここでもビックリする出来事があった。魁皇関の大人気ぶりである。モンゴル出身の朝青龍や白鵬が大人気というならわかるが、魁皇関は人気があるだけでなくモンゴル人から見ると「ハンサム」なのだという。テレビ報道では、「気は優しくて力持ち」がモンゴル女性の好みであるというだけでなく、魁皇関はモンゴルのハンサムの条件である「目がたれていて優しげ、あごのラインが丸い顔立ち」も持ち合わせている、と解説していた。これには愛ちゃん以上に「うーん」とうなってしまった。

立て続けにこんな話を耳にしたことで、私は10数年前に留学していた香港の下宿先のお母さんが言った言葉をふと思い出した。テレビでコン・リーの映画を放送していたときのこと。お母さんが「あら、いやだね、今日はコン・リーが出ているよ」といったのだ。私が「きらいなの?」と聞くと「だって、あの顔はバッキンヨン(北京顔)だもの。私たち広東人にとっては、あんな顔は美人とはいえないね」と言い放ったのだ。

私から見れば、コン・リーは正当な「美人」である。おそらく多くの日本人が見ても、北方の中国人が見てもそう思うのではないか。しかし、同じ中国人でも色が浅黒く背も低い広東人から見ると、色白で背が高く、すっきりした顔立ちは美人ではないのか、と思った。もちろん、個人差があることなので一概には言えないのだが。(ちなみに、このお母さんは私からすれば美人である。私が一つ屋根の下で暮らした3人の娘たちもみんな美人で、次女はミス香港の最終選考にも残ったほどである。お母さんの性格から言って、コン・リーをうらやましく思って負け惜しみで言ったとは思えない。さらに追加していうと、コン・リーは北京生まれではなく東北の遼寧省生まれである)。

相当昔の話だが、このコン・リーは「中国の百恵ちゃん」という愛称で親しまれていた。ちょっと目がはれぼったく、肌の色は白く、どこかさみしげな表情を持っていて、媚を売るようなところがなく、堂々としていた。そんな面影も日本の山口百恵に共通していたのかもしれないが、アメリカ映画の「SAYURI」や「ハンニバル・ライジング」では、なぜか日本人女性の役を演じている。欧米人から見ると、コン・リーの顔は日本的なのか、と思うと不思議な感じがした。(もちろん、英語で芝居ができる著名なアジアの女優が限られているというのもキャストに選ばれた理由としてあるだろうが)。美人の基準ひとつとっても、感覚がこれほど違う。海外との付き合いには、政治や経済、言葉だけでは通じない「感覚の違い」といったものがある。だからこそ、難しいのであり、おもしろいのだろう。

(2008年9月29日記、中島 恵)


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