本文へスキップ

清水菊美のホームページへようこそ

      菊美の箱(趣味のこと、日々の雑感 などなど)
金環日食

見ました金環日食(12年5月21日)


 朝5時(赤旗新聞配達をしている)頃は、東の空は雲が厚く「もしかして、だめかも」と思いましたが、7時頃雲の切れ間にかけ始めた太陽が見えました。金環が見えるかもしれないと期待して、日食メガネを持って京急 蒲田駅東側、夫婦橋の月曜日の朝街宣に行きました。
 橋の上は日食見学の人たちが大勢いました。7時32分頃「そろそろかな」と思った頃、計ったように雲が晴れて金冠がばっちり見えました。周りの人たちからも「わー」と声が上がりました。
「次は生きているうちに見られるかわかりませんものねー」と、見ず知らずの方とも話ができました。
 ハンドマイクでいつものように政策や区議会報告をしながら「今日は金環日食です。ここでもきれいに見えました。しかし皆さん、太陽は裸眼で見ないように、交通事故にも気をつけて」も追加しました。
 一瞬の天体ショーでしたが、「自然は凄い」の一言です。

意義あり子育て新システム(12年5月20日)


 しんぶん赤旗で連載中の「意義あり子育て新システム」に、20日 区内在住の元保育園園長さん(Kさん)のインタビューが載っていました。見出しは「介護保険の二の舞に」です。
Kさんは長女が3歳までお世話になった保育園で働いていた方で、やさしくて穏やかで、一生懸命子どもたちと親たちを育ててくれていた保育士さんです。田舎の両親の介護のために定年より早く退職されたのは知っていました。「一人っ子なの。両親ともに認知症で介護が大変」と言っていました。

記事を少し紹介します。(かなり端折って)
「認知症の両親の介護で退職せざるを得なくなりました。必要な人が介護を受けやすくすると言う介護保険がいかに利用できないか痛感した。必要な介護を選べるなんてまったくのまやかし。施設は入れない、在宅では生活するために必要な分はすべて自己負担。お金がなければ何も受けられない。」「介護も子ども新システムも自己責任が原則で、国や自治体には介護・保育を提供する義務がなくなる。このままでは保育が介護の二の舞になる。お金のあるなしで保育に格差ができる。」
「園長の立場で言えば利用料の払えない可能性のあるこどもを受け入れることは難しくなる。利用料が園の経営を左右するから・・・保育士を安定的に働かせることが難しくなり、保育士は難しいローテーション勤務が強いられます。営利企業が参入すれば真っ先に削られるのは人件費です。・・・保育園が保育料を徴収するのは、滞納はどうするのかなどもあり、大変な事務量の増加。また、今は自治体が待機児数をつかみ、保育園空き情報などを提供しているが、それもなくなる、すべて自己責任となれば、保育難民と言われるような子どもがふえてしまう。日本の将来はどうなるのでしょうか」と語っています。

 記事を読み、Kさんと彼女の夫さんの介護の苦労を思いました。そして、Kさんは本当は保育士としてもっと働き続けたかった、その無念を思いました。両親の介護のつらさ大変さが今度は保育に降りかかることになる子育て新システムへの怒りの強さを感じました。
 大好きな保育の仕事、毎日子どもたちに接し愛情こめて育て、保育園を守り大きくしてきた。保護者や地域の皆さんと保育行政を引き上げる活動を続けてきた。そんなKさんだからこそ「子育て新システムはやってはいけない。なんとしても止めよう」と、強く訴えたいのだと思いました。

 残念ながら今の大手新聞では国会で審議が始まっている、子育て新システムの真の中身の報道がありません。しんぶん赤旗を多くの方に読んでいただきたい。
日食メガネ

見るぞ金環! 日食メガネ買いました(12年4月26日)


「 金環日食が生きているうちに、家で見られる!」すごいことです。
5月21日の朝6時半頃から9時頃までだそうです。大田区はど真ん中です。金環がしっかり見えるかもしれません。手塚おさむのまんが「火の鳥」で卑弥呼の時代に恐れられていた日食の場面を思い出します。今からワクワク!どきどき!しています。
 近所の眼鏡屋さんの「日食グラスで安全に観察しよう」のポスターを見て思わず買ってしまいました。はるか昔の子どもの頃、田舎の小学校の校庭で日食のとき下敷きを翳してみた記憶がありますが、目には良くなかったのですね。
 問題は朝の街頭宣伝(京急蒲田駅東口)です。一生に一度のことかも知れないので休むことにするのか?で、今悩んでいます。
 そして最大の心配は”お天気”です。お願い晴れてください。

元気になる体操考えました(12年4月17日)


○便秘解消の運動(童謡ちょうちょの替え歌で)
  歌いながら簡単な体操します。特におなか周りを意識して動かします。
♪小腸 大腸 お仕事 ありがとう
 大事な 栄養 しぼったあとは
 だせだせ そとへ
 ためるな う・ん・んー
 急ぐな とまるな 
 さよなら う・ん・んー ♪

○笑顔を作る運動
 大きな声で歌います。特に顔と首周りと手を簡単に動かします
♪ウンパッパ ウンパッパ だれーでも
 ウンパッパ ウンパッパ 知っている
 大人も 子どもも あかちゃんもー
 一緒に ウンパッパ パー 

 ウンパッパ ウンパッパ 笑顔でー
 ウンパッパ ウンパッパ 歌いましょう
 心も からだも ほがらかに
 元気に ウンパッパ パー ♪

体操の仕方を知りたい方 連絡ください。
桜

桜満開「今日は”きくみ”でなく”はなみ”です」(12年4月9日)


 7日は気温が上がらず寒さに震えてのお花見でしたが、8日はすばらしいお花見日和でした。風もなく暖かくて最高でした。桜もようやく8分から9分咲きと言った具合で、風が吹くとそーっと花びらがひらひらと舞っていました。
 
 大森南と大森東の間にある旧呑川緑地公園は桜の名所です。多くのお花見をする人でにぎわっていました。美しい桜の下で、美味しい料理をつまみながらの宴会は楽しそうでした。

桜  私も何箇所か参加しました。今の政治についての皆さんの怒りは爆発状態。「政治をなんとかしてくれ」「保険料高過ぎるよ」など多くの要望を聞きました。
 私の乾杯の音頭は「政治の春を!」でした。自然の春は必ずやってきますが、政治の春は皆で力を合わせないとやって来ませんから。

カーネーションに思うこと 最終回 (12年4月2日)


 主人公のモデルである小篠綾子さんは、新婦人新聞(週間)の「聞き書き 母の歴史」というコラムに登場されていました。1996年1月1日号「糸偏で生きてきて コシノ三姉妹を育て・・・」から16回にわたって掲載されました。私も新婦人新聞(週間)30年以上の読者です。うっすら記憶がありましたが、この度の人気でその当時の新聞をコピーしたものが手に入りました。読み返してみると、「この記事を元にドラマを作ったのでは?」と思うほどでした。昨年12月に長女のヒロコさんがやはり新婦人新聞に登場し、「記者さんが本当に良く書いてくれた」と小篠綾子さんも喜んでいたと、当時の頃の話しをしておられました。読者としては本当にうれしい限りです。
 83歳の頃のはなしですが、最後の回では「今私はニューシルバー女性に、装う楽しさ、着ることに自信をとりもどさせたいと思っているんです。」「ファッションは単におしゃれをする、着飾る役割を果たすだけではありません。着る人の価値観や生き方を変える力を持っています。」「ファッションは年齢やない。目を輝かせて、背筋を伸ばして、せいいっぱいおしゃれをして自身を持って、さあ街へ、人の中へ!」
 私の容姿のコンプレックスも、苦手な “おしゃれ” も、変わりそうにありませんが、小篠さんの話を思い出しながら、目を輝かせて、背筋を伸ばして頑張らねばと思います。
 NHKさん、良いドラマをありがとう!!

カーネーションに思うこと その3 (12年3月19日)


 キヨナカのおばちゃんに世界で1つだけの服を作ってもらったのも中学1年生くらいまででした。東京の叔母の家が婦人服の製造をやめてしまったからです。その前におばちゃんのところで採寸が恥ずかしくなっていました。薄い花柄の生地でワンピースを作ってもらったとき、息をつめて採寸してもらったため出来上がった服はきつくて大変でした。
その後は新しい服をなかなか買ってもらえず、私自身も容姿のコンプレックスからねだることもできず、外出するときは制服、家ではジャージーでした。
 糸子さんが、孫のりかチャンがお母さんの贈ってくれた服を着ないで、不良の格好をしているのを見て、「服は語っている」といっていましたが、私の場合は「どうせ私は何を着ても似合わない」と語っていました。
今、人前に出る機会が多い議員という仕事をしています。その日に会う人や、仕事の内容に応じて着るものを考えます。しかし、今も服を買うのはとっても苦痛です。まず合うサイズがなかなかありません。次に先立つ予算がありません。大変です。  糸子さんがデザインしていた服はどこかで売っていないかしら。でも高いのでしょうね。
カーネーション  

カーネーションに思うこと その2 (12年3月8日)


 私が毎日楽しみにしているNHKの朝の連続ドラマ「カーネーション」では洋服作りの場面が多く出てきます。懐かしいミシンを見るたび“キヨナカのおばちゃん”を思い出します。私は子どもの頃はよく、“キヨナカのおばちゃん”に洋服を作ってもらっていました。色白できれいでやさしいおばちゃんは足が不自由な身ながら、毎日ミシンで誂えの服をカタカタと縫っていました。
東京の叔母(母の妹)が婦人服の製造会社を経営していたため時々どっさりと生地をくれました。その中に私にあいそうなものがあると母が“キヨナカのおばちゃん”のところに私を連れて行き、おばちゃんが採寸してくれデザインしてくれ世界に1つしかない私だけの服をカタカタと縫ってくれました。今思えばとっても贅沢な話で娘たちに話すと驚かれます。幼稚園の時に作ってもらったピンクのオーバーコートから1つ1つ良く覚えています。でもあの頃の私は出来れば他のこどもたちみたいな服を着たいと思っていました。
十数年前高すぎて月賦で買ったスーツは、小学生のころ作ってもらったオーバーコートに似た生地でした。そのコートはそろばん塾に行く途中に目をつぶって歩いたらどうなるかと歩いていたら田んぼに転げ落ちて泥だらけになってしまいました。夏物のクリーム色のセーラーカラーのワンピース、習字の時間に墨をこぼして大きなシミができましたが生地は綿ではなく高級品で洗濯できず着られなくなってしまいました。
続く
   

カーネーションに思うこと その1 (12年3月7日)


 私が毎日楽しみにしているのがNHKの朝の連続ドラマ「カーネーション」です。主人公の尾野真知子さんは(3月からは夏木マリさんですが)夫と同じ奈良県出身でもあり夫も「カーネーション」のファンになりました。娘も土曜日にBSで放映している「1週間分」を見ているようです。
 また、尾野真知子さんは知人が通っているスナックでアルバイトをしていたとのことです。彼女の下積み時代を知っている知人もお客さんたちもママさんも「がんばれ、あきらめるな」と励ましていたそうで、NHK連ドラでは高齢の30歳で主役に抜擢されことをわが娘のことのように喜んでいました。
 このドラマは出演者も音楽も大小道具もすべて素晴らしいのですが、脚本が良いのです。一言のせりふにこめた思いに涙することもしばしばです。戦争が近づいた頃「(菓子店で作れなくなった)栗饅頭も作れないようでは、この戦争は負ける」、爆撃にやられても「こんな戦争で死なへんでえ」と夫が戦死しても生き抜いた。そして戦後は希望を捨ててはいけないとがんばりぬいた。「服をつくることは希望を与えること、自分のつくった服で誇りもって生きてほしい。」と主人公に言わせています。
  最近最も感動した台詞は、濱田マリさん演じる近所のパーマ屋のおばちゃんが亡くなる前に、戦争で心を壊した次男のことを「(あんなになったのだから)よほどひどいことをやられたのだと思っていた。けど、勘助は(ひどいことを)やっちゃたんだな」と言わせた場面では、もう涙が止まりませんでした。 続く
雪景色  

雪やこんこん (12年2月29日)


 東京でも朝から雪が降りました。ずんずんと降り積もり一面真っ白になりました。
伊豆の下田生まれの私は雪が降ると童心に戻った気分になります。雪の降る中自転車で、区役所に向かいましたが大変でした。
本日は大田区議会第1定例議会 各党代表質問(日本共産党は佐藤伸議員)でした。
区役所自転車置き場の管理人さんから「こんな日に自転車で来たのは清水さんだけですよ」と言われました。
桜  

桜咲いています (12年2月19日)


 先日研修で行った三浦海岸の桜は、まだ咲いていませんでした。「さくら祭り」は始まっているのに観光客は少なく、売店の方が「今年は寒さのせいで遅い」「伊豆の河津桜も2週間も開花が遅れているようだ」と言っていました。観光地としては大打撃です。
 所かわって、私は毎日桜の花見をしています。早咲きの一種だとおもいますが、産業道路沿いにひっそりと咲いている小さな桜の木があるのです。昨年ここにはマンションが新築され、桜の木が工事の際切られてしまうのではと心配していましたが、隣の立派な柿の木とともに残してくれました。
  かわいい花をみるたびに、河津や三浦海岸でも早く咲いてほしいと思っています。
 

ダイエットの基本「食べれば太る、食べなきゃ痩せる」 (12年2月12日)


「全国商工新聞」を購読していますが、私のお気に入りのコラムは、医師 松本光正さんによる「笑いと健康」欄です。とても楽しくて健康には笑いがとっても大事であると、毎回楽しく納得しています。
現在 ダイエット編です。筆者と「何をしても痩せない」という患者さんとのやり取りが面白いです。少し紹介します。
 ――痩せない言い訳で一番多いのは「運動してないからですね」と答える人です。運動しなくても体重は落とせます。運動しないのに食べているから痩せないのです。お相撲さんは毎日運動しても太っています、食べるからです。「毎日水泳しているのに痩せない」と言う人もいますが、そういう人には「トドを見なさい、泳いでいたって太っています」。
次に多いのが「私 水飲んでも太るんです」という言い訳です。水を飲んで太ることはありません。水だけで太る生物は地球上にはいません。もしそういう人がいたら世界遺産に登録しましょう。・・・中略・・、
どんな方法でも、きちんとやれば痩せない方法はありません。どの方法も減食が中心で構成されています。「食べないと目が回るのです」と言う人がいますが・・・科学的には決して目が回りません。これも我慢できない言い訳です。面白い言い訳が世の中にはあふれています。――
大笑いしながら読みましたが、自分のことを言われているようで身につまされました。今日から「減食」にがんばらねばと思いました。言い訳しないように。
商工新聞は他にも役立つ情報や、消費税についても大変わかりやすく書かれています。商売をやっていない人にもお勧めです。是非ご一読を。
 

新年会費はどこから2 (12年2月7日)


 2月5日のある神輿会の新年会があり参加させてもらいました。例によって国会、都議会、区議会と多くの議員が参加していましたが、はじめから最後までいるのは私くらいで他の議員はいくつかの新年会が重なり「はしご」状態のようでした。都議の一人は「朝からずっと(新年会など)回っている、今夜もあと7箇所回る」とのことでした。1日で10箇所以上もの新年会に参加している議員は、新年会等の会費を一体どうやって工面しているのでしょうか。昨年度の都議会議員で100万円以上も新年会費に政務調査費(都議は1ヶ月60万円)を使った人がいたとの報告を見たことがあります。いわずと知れたことですが政務調査費は税金です。
  先日参加した敬老会の新年会の責任者の方から、「他の議員さんから(会費の)領収書を出すように言われんですが、清水さんも必要ですか」と電話をいただきました。私は自費ですので「領収書は要りませんよ、お気遣いなく」と応えましたが、他の議員はどこからか会費が出るのでどうしても領収書が必要なのでしょう。
 

新春のつどい (12年2月5日)


2月に入り、新年会も落ち着いてきました。5日は私の活動している地域の「日本共産党後援会の新春のつどい」でした。参加者は100名を越えて、会場が満杯になりました。多彩な出し物の発表に拍手喝采。「政治を変えよう。日本共産党を大きくしよう」との思いがあふれた新年会になりました。美味しいお料理とお酒で交流も深まりました。「こんな楽しい会は他にはそうない」と、みなさん喜んでくれてほっとしました。
 

節分祭 (12年2月3日)


 2月3日は節分、次の日は立春で冬から春になるという「季節を分ける日」だそうです。私は毎年大森南の浦守神社の節分祭に参加させてもらっています。今年もたくさんの子どもたちが撒かれるお菓子を目当てに大勢集まっていました。
 ちなみに今年は60年に1回「節分と初午が一緒の日の年」だそうです。浦守神社の初午祭は5日の日曜日に行われる予定だそうです。神社青年会の皆さんが焼きそばなどを振舞ってくれます。子どもたちには節分に続きうれしい日です。
 浦守神社の節分祭に他党の議員も参加していましたが、節分祭はほぼ同じ時刻に方々の神社で行われているので、何箇所も参加する議員は大忙し。脱兎のごとくやってきて豆(お菓子など)まきをして、疾風のように次の神社へ去っていきました。
 

新年会費はどこから (12年1月25日)


  1月もそろそろ終盤です。1日から神社、町会、敬老会、商店街、各種団体等の新年会に参加していますが、新年会の数も落ち着いてきました。新年会はなかなかお会いできない方方と話が出来る良い機会です。「共産党がんばってくれ」「消費税の増税は困るよ、何とかならないのか、共産党は反対と言うが国の借金を増やせない、財源はどこから持ってくるつもりなのか」「共産党は言っていることは良いが名前が悪い」「買い物に来てくれないのに新年会だけでは」などなど、ご意見をいただけます。しかし会費の負担がかなりきついことも現実です。
他党の区議の中には1日数箇所、土日には5〜6箇所も参加する人もいるようです。5000円から10000円の会費は相当な額になるでしょう。大田区議会では政務調査費(1ヶ月上限23万円)を新年会費として(1回あたり)1万円まで使用してよいことになっています。日本共産党区議団は区民の税金を飲み食いに使うことに反対しましたが、多数決で決まってしまいました。(日本共産党区議団は新年会費に政務調査費は使っていません。)
 

箱根駅伝名所 京急蒲田駅前付近 (12年1月18日)


 国道15号線 空港線の踏切の近くにかかっている歩道橋が撤去されます。予定では2月5日より通行閉鎖、18日夜間に撤去されます。撤去の際には車道は通行止めになります。箱根駅伝の時は見物スポットとして人気でしたし、利用してきたものとしては寂しい思いがします。
     また、産業プラザ前の横断歩道は2月より通行できなくなります。看板はでていますが、知らない人が多いようです。新設された歩道橋にはエレベーターが着いています。自転車も利用できると掲示板に書かれていましたが中は狭く2台がやっとです。階段の中央に自転車用のスロープが着いていますが、自転車の通行が多い所ですので混乱が心配されます。
 

いろいろ厳しいけど、がんばれ成人 (12年1月9日)


1月9日は「成人の日」でした。 大田区は産業プラザ・ピオで成人の集いが開かれました。歩道から会場までスーツや袴、振袖などの晴れ着姿の若者で埋め尽くされていました。皆ポーズを決めて友達と写真を取りあっていました。そこをかき分けて来賓として1部の式典に参加しました。1部の式典では区長、議長が挨拶をしましたが、後ろのほうのみなさんは聞いていないようで「キャーひさしぶりー」などの声が式場にあふれていました。今年の新成人は大田区で5819人とのことでした。
「成人としての自覚をもって着実に・・」「夢を持って努力を・・」と言われても、今の社会の現実は教育費の負担、就職難などが若者にとって厳しいものがあります。選挙権があっても「どうせ、政治は変わらない」と思っている人も多いようです。このような社会をつくってきてしまった大人の責任、政治の責任は重大です。若者が希望を持って社会にでていけるようにがんばらねばと痛感しています。
帰りがけに、スーツと振袖の男女10人くらいのグループから「シャッター押してください」と頼まれました。喜んで「かわいいねー、かっこいいねー、笑ってー」とシャッターを押してあげたら、「ありがとうございました。おばさんもかわいいっすよー」と言われました。
 

2012年が良い年になるように (12年1月1日)


 大晦日から新年にかけては毎年浦守神社で甘酒やお味噌汁の接待のお手伝いをしています。風もなく寒さも穏やかで助かりました。お参りのみなさまは約700人でやや少なめだったようですが、人の流れがゆっくりでした。その訳は「神前で願い事をする時間が長いようだ」、「2011年が大変な年だったし、景気も悪いから願い事も大きくなるんだよ」とのことでした。
 初日の出は森ヶ崎公園に行きましたが、残念ながら厚い雲で拝めませんでした。参加された皆さんも残念がっていました。昨年はすばらしい日の出を拝めましたが、3・11の大災害が発生しました。初日の出が見られなくても「まっいいか、また来年」と思いました。遺体保管所の前を通って森ヶ崎公園に来た人が「(遺体保管所)まだ何とかならないのか、せっかくの正月なのに」と言っていました。
PM1時からは蒲田駅東口にて日本共産党都議かち佳代子さんと、大田区議団勢ぞろいの新年街頭宣伝を行いました。そののち浦守神社の新年会に参加しました。長い長い1月1日でした。

1月から2月初めまでは新年の挨拶周りと、新年会等が続きます。
 

マスク3題

(11年12月11日)
  *大あくび、マスクで隠れ 助かった
  *マスク顔 化粧半分 儲かった
  *挨拶をされても マスクで わからない
   久しぶりに風邪を引いてしまいました。辛いです。熱はないのですが、のどが痛く身体が重いです(体重の話ではなく)。マスクでしのいでいます。
  


昨日はハッピーなバースデイでした。

(11年11月21日)
 ―2011・11・20― 20と11が繋がった昨日11月20日は、私の54回目の誕生日でした。友人から素敵なお花をいただき、彼女の愛犬と我が家の家族とで、美味しい料理と美味しいワインで誕生会をしました。楽しくて幸せなひと時でした。
 今週25日(金)より区議会第4回定例議会が始まります。区議団研修も終え、今は代表質問・一般質問の準備の追い込みです。委員会で審議する陳情や請願も寄せられています。予算要望懇談会や地域の区政報告会等でだされた要望を組み込んだ日本共産党区議団の来年度予算要望もまとまり、区長に提出する準備もほぼ完成しました。  幸せな誕生日も終わり、54歳清水菊美 がんばっていきます。


紅葉(こうよう)の福島 また来よう

(11年11月15日)
  
11月5日から6日一泊2日で後援会の皆さんと福島方面へ旅行に行ってきました。前回は私の故郷伊豆方面でしたが、今回は観光客が激減している被災地を支援しようと実行委員会の皆さんが企画してくれました。参加者は42名。皆さんそれぞれ「被災地をはげましたい」の思いにあふれていました。
 紅葉の真っ盛り、歌の文句のように赤や黄色に染まった世界を満喫して来ました。温泉も気持ちよく食事も美味しく、そして何より後援会の皆さんとの楽しい楽しい交流ができました。


柿木は 「登るな 危(あぶ)ねー」と 祖母の声

(11年10月17日)
 近くの柿も色づいてきました。東京の柿は平たい甘柿ですが、私の故郷(伊豆下田)では、ロケットの先みたいにとがった形をした「みぞ柿」と呼ばれている渋柿です。そのままではとても渋くて食べられませんが、焼酎で渋抜きをすると信じられないくらいに甘くなります。
 家の近くには子どもが登ったり、ぶらさがったり遊ぶのにちょうど良い枝振りの柿の木が何本もありました。近所の子たちと遊んでいると、祖母の「あぶねーぞー!! 柿木はさ(裂)けるから、登ってはだめだーあー!!」と大きい声が。 祖母いわく「柿木は折れるのでなく枝が裂ける」のだそうです。


気がつけば 季節は移り 彼岸花

(11年10月1日)
区内の障がい者施設では、年に1度の施設祭りがひらかれています。今年は保健福祉委員会の委員ですので、招待の連絡があり方々へ出席しています。この日は久が原福祉園に行きました。自宅から久が原福祉園まで呑川沿いを自転車で30分くらいかかりました。「急げ急げ」と自転車をこいでいたら、彼岸花やススキを見つけました。もう秋が来たんですね。


ピスタチオ 塩味あとひき 爪うずく

(11年8月23日)
 次女が夏休みの旅行のお土産に 殻つきピスタチオを買ってきてくれました。「もっと、 ましなものはなかったのか」と言いながらも、食べてみるとほんのり塩味で美味しい。しかし殻つきで剥くのが大変で爪で無理やりあけて食べていたところ、気がついたら「爪が痛い」。娘に「がっついて食べるからだよ」と注意されました。


街角に あの日のしるべ 冷やしパイン

(11年8月19日)
この日夏休みをとりました。夫と映画「一枚のハガキ」を見ようと有楽町に行きました。駅前は広場と高層ビルになり、道路も横断歩道も小さいな飲み屋の横丁も昔の風景は消え去り別世界でした。しかし、以前は横断歩道際にあり、都会に出てきたばかりで道に慣れない頃は「駅を降りたらここを渡って銀座に向かう」道しるべにしていた果物屋さんは、あの場所にそのまま残っていました。周りの開発が何もなかったように商売を続けていました。昔食べたかった高価な冷やしパインやメロンが美味しそうに並んでいました。
 映画「1枚のハガキ」は入場が完売で見られませんでした。「ヒマラヤ」という、エベレスト登頂の映画を見ました。遭難した場面は恐ろしくてほとんど目を瞑っていました。実話だそうですが、酸素もなしで昔の装備で生還できたのが信じられないほどでした。


陽(ひ)に負けず 100日あかい(紅)が さるすべり(百日紅)

(11年8月8日)
毎日暑い日が続いています。「暑い暑い」「急げ急げ」と自転車をこいで活動しています。呑川緑道公園の産業道路下のトンネルをくぐった辺りに、百日紅が咲いていました。濃いピンクでフリルの花びらの小さな花が集まって太陽に向かって咲いていました。
「暑いのによく咲いてえらいね。ワタシもがんばらねば」と思いました。


幼娘(おさなご)の 風呂上りほっぺ さくらんぼ

(11年7月15日)
娘たちが大好きなさくらんぼの季節です。しかし、それぞれ仕事が忙しく、「おいしいねー」と一緒に食べることができません。
つやつやして、まん丸で、紅いさくらんぼを見ていたら、お風呂上りに大きなバスタオルを巻いて造花をもって「ワタシお嫁さーん」「ワタシもー」と、お嫁さんごっこをしていた紅いほっぺの幼い娘たちをおもいだしました。


数秒の 信号待ちも 影探す

(11年7月13日)
毎日本当に「あつい あつい」。たまりません。信号待ちの間も日陰を探します。
昔見た寅さん映画で、寅さんが沖縄にはじめて行った時、あまりの暑さにふらふらになり、電信柱の影に身を隠していた場面を思い出します。