月報から
2011年4月号巻頭言
巻頭言『イエス・キリストこそ希望!』
1 ベテスダの池
今朝のエピソードの舞台はエルサレムにあったベテスダの池----「憐れみの家」の意。そこには毎日大ぜいの病人や障害を持った人々が集まっていました。この池には、当時、ちょっとした言い伝えがあったのです。それは、池の水が動き始めた時----人々は御使いが天から下ってきて、水を動かしていると理解していたようですが----最初に池に入った人の病気や障害は治るというものでした。ここに集まっていた病人や障害を持った人たちはみな、その時が来るのを、今か今かと待っていたのです。そこで待ち受けていて、なんとしてでも真っ先に池に入り、奇蹟にあずかりたいと切望していたのでした。
池の水が動くのを今か今かと待っている病人たち。池を見つめ、凝視し、あるいは耳をそばだて、なんとしてでも真っ先に池に入ろうと必死になっている人々。そこは一種、異様な雰囲気だったでしょう。
けれども、(ちょっと極端かもしれませんが)御利益があるとされる所に人々は殺到し、他の人を押しのけでも、御利益にあずかろうとするベテスダの池は、なんとなく私たちの住むこの世界の凝縮であり、この世界を象徴しているようでもあるのでした。
2011年5月号巻頭言
「神はそのひとり子を世に遣わし、その方によって私たちに、いのちを得させてくださいました。ここに、神の愛が私たちに示されたのです。私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、私たちの罪のためのために、なだめの供え物としての御子を遣わされました。ここに愛があるのです。」(ヨハネの手紙第一 四章九、一〇節)
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2011年6月号巻頭言
『吹きまくる強風に』(五月一五日礼拝説教)
「夕方になって、弟子たちは湖畔に降りて行った。そして、舟に乗り込み、カペナウムのほうへ湖を渡っていた。すでに暗くなっていたが、イエスはまだ彼らのところに来ておられなかった。湖は吹きまくる強風に荒れ始めた。こうして、四、五キロメートルほどこぎ出したころ、彼らは、イエスが湖の上を歩いて舟に近づいて来られるのを見て、恐れた。しかし、イエスは彼らに言われた。『わたしだ。恐れることはない。』 それで彼らは、イエスを喜んで舟に迎えた。舟はほどなく目的の地に着いた。」(ヨハネの福音書六章一六〜二一節)
2011年7月号巻頭言
『なくなる食物のためではなく』(五月二二日礼拝説教より)
ヨハネの福音書六章二二〜二九節
6:22 その翌日、湖の向こう岸にいた群衆は、そこには小舟が一隻あっただけで、ほかにはなかったこと、また、その舟にイエスは弟子たちといっしょに乗られないで、弟子たちだけが行ったということに気づいた。
6:23 しかし、主が感謝をささげられてから、人々がパンを食べた場所の近くに、テベリヤから数隻の小舟が来た。
6:24 群衆は、イエスがそこにおられず、弟子たちもいないことを知ると、自分たちもその小舟に乗り込んで、イエスを捜してカペナウムに来た。
6:25 そして湖の向こう側でイエスを見つけたとき、彼らはイエスに言った。「先生。いつここにおいでになりましたか。」
6:26 イエスは答えて言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。あなたがたがわたしを捜しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからです。
6:27 なくなる食物のためではなく、いつまでも保ち、永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。それこそ、人の子があなたがたに与えるものです。この人の子を父すなわち神が認証されたからです。」
6:28 すると彼らはイエスに言った。「私たちは、神のわざを行なうために、何をすべきでしょうか。」
6:29 イエスは答えて言われた。「あなたがたが、神が遣わした者を信じること、それが神のわざです。」