挨拶状


     随 縁 (ずいえん)

   唯々、学校での勉強が嫌いな自分でした。
   そんな自分は、何もわからずに鮨屋という仕事を選びました.それがいつのまにか”料
  理”というものに関心を持つようになり、少しずつ専門書を読むようになりました。あんな
  に勉強が嫌いだったのに、です。
   そして、北大路魯山人を知りました。
   ”こんな、すごい男がいたのか!”
  人生への視点が、がらりと変わりました。それからは我武者羅に、そして転々と仕事場
  を変わりました。鰻屋、ふぐ屋、日本料理屋、あげくの果てに益子で作陶修業━━━。
  魯山人のような男に一歩でも近ずくことが出来たら、自分なりの日本料理を極めること
  が出来たら、という一心からでした。
   独立して店を持ったのは三年前。なにげなく見つけた、渋谷の一角にあるビルの地下
  一階。そして、そのビルも建て直し・・・・。

   思えば、色々なことがありました。
   そのすべてが、すばらしい ”縁(えん)” に恵まれていたように思います。魯山人を
  知ったことから、料理だけでなく、器の世界も好きになり、お茶のことにも興味をもつよ
  うになりました。

   志野の人間国宝、故荒川豊蔵氏はその人生で ”随縁” という言葉を愛したと聞き
  ます。
   ( 縁にしたがう )
   自分のこれまでの人生も、唯々縁にしたがってきたのだと、この頃つくずく思います。
   こころある方から、故荒川豊蔵氏の "随縁” の書画を譲り受けることが出来ました。
  今度の店に、その ”随縁" の額を掲げ、皆さまのお越しをお待ちしております。

    昭和六十二年  二月吉日




      美覚独歩

  茶碗は 光悦
  黄瀬戸は唐九郎
  志野は 豊蔵
  現代陶芸では 加守田
  ━そんなことばかりが頭をかけめぐっています。唯、ひたすらに自分は魯山人を愛して
  います。つい先頃、花の中川幸夫を知りました。 ”この現代を生きながら何とすごい人
  だ” と思いました。

   自分の店を始めてはや六年が過ぎました。たくさんの方々に教えて戴き、助けて戴き、
  導いて戴き、皆様の御力でこれまでを過ぎてくることができました。
   しかしこの頃、自分が目指している鮨屋の道からは、大分離れてきたのではないかと
  感じるのです。
   七年目にして、これまでの、天然の素材ならよいという気持から一歩進み、米、塩、酢、
  醤油などを含め、もう少し自分の納得のいくものを使おう、と決めました。
   納得のいくものを使い、納得のいく仕事をしたいと思い始めました。

   三月から鮨大内は、新しい鮨大内になりました。
   店内はいままで通り小さく何も変わりません。唯、その内容は大きく変わりました。
   これまでにも増して皆様のご愛顧を賜りますよう頑張るつもりでおります。
   どうかよろしくお願い申し上げます。

     平成二年  春 




          安心立命

  二月のよく晴れた日曜日、私を乗せた車は、一路真鶴へむかっていた。雲ひとつなく、
  雪化粧の富士山がはっきりみえた。
  今回の目的地真鶴には中川一政の美術館があり、その美術館をたずねるための真鶴
  行である。道路もすいていたし開館時間よりもはやくつき、門の前で待つことしばし、管
  理の方が門を開けてくれた。はやる心をおさえ展示室へ、書もいいひまわりもバラも、
  福浦も駒ケ岳も、私は心のなかでひまわりは 「剋太」 のほうが好きだとか、バラは
  「梅原」 もなかなかだぞ、などと、
  しかし、 「駒ケ岳」 はすごいすごい、まさしく一政の絵である。だれにもまねのできな
  い一政の絵だ。
  すばらしい一日になったのは申すまでもない。そして友人が買い求めてくれた図録の、
  一政の言葉が心に残った。一政九十才の言葉である。その文章をここに書いてみる。

   ああ美術の神様よ、
   もう駒ケ岳を書くのはよせというのか、それ以上は、お前にはできないからやめろと
   いうのであろうか。私はうつろの眼で駒ケ岳を見ながら嘆息した。このアトリエでの
   十六年間私は何をしていたのだろうか。それは一所懸命になれる仕事をしたという
   ことである。それをしていることが "安心立命” で、そこで死んでも本望であるという
   生活である。世のなかの人々は一所懸命になれないのではなかろうか。一所懸命
   になれる仕事を持っているのも幸せだが、一所懸命になれることも幸せではないだ
   ろうか。私の第三の画室はどこにあるのかまだわからない。

   ※彼の画室とは絵を書く場所  つまり第一は福浦で、第二は駒ヶ岳のことか。

  そして今
   私は安心立命で一所懸命仕事をしているのであろうか。
   そこで死んでも本望であるという生活をしているのであろうか。


  まだまだ修業がたりん。

      平成六年  春