現在の大仏の周囲の柱12本で囲まれた空間は、正面奥行きとも23m、高さ28mであり、わが国最大級の木造の無柱空間です。
江戸時代に、この空間を造るにあたり28mの柱の上に、長さ23m、末の直径1mの虹梁2本を全国に探し求め、たまたま日向の国白鳥山にあった54mの松2本を伐り出し、海辺まで5か月、さらに瀬戸内海を2カ月、さらに陸行して現場まで運んだ。沿道には木材を拝む人でいっぱいであったと東大寺の記録にあります。

創建時の無柱空間はさらに大きく正面50mでしたが、鎌倉再建時には柱8本を追加したため25mと小さくなりました。
つまり驚くことに、技術や工具が未発達だった昔ほど空間は大きかったのです。

      東大寺金堂(大仏殿)    奈良県   江戸時代再建(1706年) 

建築様式:大仏様に一部折衷様
桁行五間、梁間五間 一重裳階付 寄棟造 本瓦葺
正面軒唐破風付 銅板葺

創建時の大仏殿は、もっと大きかった。

仏教による鎮護国家の象徴であり、全国総国分寺であり金光明四天王護国之寺であった東大寺の金堂です。
天平時代創建の大仏殿は過去2回兵火によって焼失し、鎌倉時代と江戸時代にそれぞれ再建されました。
現在の大仏殿は、正面57m、側面50m、高さ47mで、現存する世界最大級の木造建築です。現在正面は7間ですが、創建時と鎌倉再建時は正面11間で、その幅は89mであったと推定されています。

創建時は和様でしたが、鎌倉再建時には南宋の様式を取り入れ大仏様と呼ばれています。江戸再建時には大仏様を基本とし、一部に折衷様を取り入れています。
大仏殿の特徴は、大きさもさることながら、大きな大仏を安置するための巨大な木造の無柱空間に象徴されるでしょう。創建時には幅50m超、奥行き23m、高さ28mの空間が木造で造られていたのです。

鎌倉再建時の大仏殿 復元断面図
高さ28m、幅25m、奥行23mの無柱空間

奈良時代の大仏殿には、合計76本のにぼる柱がありました。大仏はその中央にそれらの柱に護られるよう鎮座していたのです。わが国では古来、神の単位を「柱」と数え、一柱、二柱と数える習慣があります。つまり柱は「神」を意味しているのです。

それからすると、東大寺の大仏は76にもおよぶ神に護られて鎮座しているともいえるのではないでしょうか。
まさに、神と仏とが習合したわが国の宗教思想の原点をそこに見ることができるのです。

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高さ28m

      天平創建時の復元平面図 
柱総数76本。横幅50mの無柱空間
鎌倉再建時には大仏の左右に○印の柱を8本追加して84本となりました。

       江戸時代再建、現在の平面図
左右を縮小し、柱総数は60本となりました。大仏周辺
は縦横23m、高さ28mのわが国最大の無柱空間です。

江戸再建時には用材の不足から、柱は寄木金輪締めとなりました。それでも天井までの高さは28mを維持しています。

鎌倉再建時からは大仏様となります。
軒先の組物は大仏様六手先です。

         鎌倉再建時の復元模型
創建時と大きさは変わりませんが、屋根の本棟を短くして瓦を節約しました。

天平創建時の復元模型
正面柱間は11間ありました。

江戸時代再建の大仏殿
正面の軒唐破風は江戸時代に流行したもの