古代の寺院は、金堂や五重塔は仏さまのみの空間であり回廊内も聖域として僧侶も入らなかったといいます。
人は伽藍内の仏さまを外から拝していたのです。したがって中門は、仏さまと人との接合点であるといえます。
仏さまが中門までお出ましになり、人がそこで対面する場所として設計されたのではないでしょうか。

奥行き3間の仏堂風の建物は、いまは仁王様が入り、中門という名称ですが、構造や意匠、形状からみても必ずしも門であるとは言い切れません。
ここで法会を行っていたとも考えられます。中門には壁がありません。神社の拝殿でも古代のものは壁のない吹き抜けの建物でした。人の集まる場所は蒸し暑い夏のことを考えて吹き抜けの空間とすることが当時の建築様式なのです。

同じく法隆寺の東院の夢殿を囲む回廊の南側につながる礼堂とされている建物は、古くは東院伽藍の門であったとされています。
この礼堂の間口は15mで中門とほぼ同じであり、奈良時代の古代仏堂の大きさとさほど変わりはありません。なお、礼堂は鎌倉時代の再建ですが、創立時の東院資材帳にも記載があり当初から門として存在していたものと考えられます。

中門の北側背面
やはり仏堂の形をしています。

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中門

回廊

            法隆寺東院 礼堂
夢殿の周囲の回廊の南側にあり、やはり古くは門であったとされています。

五重塔

金堂

もとの回廊はここまででした。

天井は仏堂などと同じ組入天井

中門の内部
柱の数は20本、間口15m、奥行き8.55mの空間です。
奥は東側の回廊

     法隆寺全体の正門 南大門 
人が通る門は、仏さまのための中門よりも格を落とします。奥にみえるのが中門です。

上が金堂、下が中門
 意匠もよく似てます。

      手前が金堂、奥が中門
金堂には一重目に裳階が付いてますが、それ以外はよく似てます。金堂よりひと回り小さい建物です。

五間三戸の門
正面柱間は5間、奥行きは2間
通常正面の間口は奇数で奥行きは2間です。
正面柱間は4間、奥行きは3間正面4間はこの中門だけです。奥行き3間もほとんど例がありません。

内部の構造は金堂と同じつくりです。

     法隆寺中門   奈良県  飛鳥白鳳時代

一般的な大寺院の門

中門平面図

断面図

これって、ほんとに門なの?

法隆寺西院金堂前の門です。立派な壇上積基壇の上に建ち、入母屋造の二階建は、構造、意匠とも金堂とよく似ています。

実はこの門、不思議なことが二つあります。
1.中央に柱が立っていて、まるで人をとうせんぼしているような感じです。寺院の門は中央を通路とするため、ふつうは間口が奇数になっています。偶数間の門の遺構はこの中門だけなのです。古くから謎とされていて、聖徳太子の怨霊が外に出るのを防ぐためという説まで飛び出しています。
2.奥行きが3間あります。この時代奥行きが3間ある門は、ほかに飛鳥時代に建てられた法興寺(飛鳥寺)の中門が、発掘調査で確認されているだけなのです。この時代、奥行き三間は仏堂などの建物の形式なのです。

大講堂

建築様式 和様
四間二戸 二重門
桁行四間、梁間三間 入母屋造 本瓦葺

法隆寺西院伽藍