
西光寺毘沙門堂 (岩手 江戸時代再建)


上記のような懸造は観音信仰霊場に多いのが特徴です。観音信仰は宗派を問わず、あまねく衆生を救済するという観音菩薩への信仰であり、推古朝の頃から既に流布していましたたが、平安時代中期になって聖などにより観音霊場が各地に開かれるようになりました。
華厳経典にインド南方の海上にあるとされる「補陀落(ふだらく)山に観音菩薩が住まう」とあることにより、古くから紀伊半島の熊野を補陀落山と見立てた熊野詣が盛んに行われていましたが、観音信仰が広まるにつれ各地で岩山を浄土と比定してその上に仏堂が造られるようになり、それが礼堂などを持つようになったのです。


如意輪観音を祀る圓教寺摩尼殿
(兵庫 昭和再建)


清水寺の懸造とその細部
龍岩寺奥院 (大分 鎌倉時代)

醍醐寺如意輪堂 (京都 桃山時代)
四方懸造の笠森寺観音堂
(千葉 桃山時代再建)
釈迦如来を本尊とする室生寺金堂
(奈良 平安時代 懸造は中世)
十一面観音を祀る東大寺二月堂
(奈良 江戸時代再建)
懸 造(かけづくり)

わが国独特の建築形態として、清水の舞台で有名な懸造がある。
懸造とは、急な斜面や段差のある場所に建物を建てる場合に、その床面を水平に保つため床束(ゆかづか)の長さを調整して、床の高さを揃える工法のことです。
京都の清水寺本堂のほかにも醍醐寺如意輪堂、滋賀県の石山寺本堂、奈良県の長谷寺本堂、東大寺二月堂、室生寺金堂、兵庫県の圓教寺摩尼殿、一乗寺金堂、千葉県の笠森寺観音堂など各地に所在し、平安時代中期以降に数多くみられる建築形態です。
これらに共通するのは、傾斜地や山地にあることは当然ですが、もともと本堂自体は懸造ではなかったが、信仰の拡がりとともに本堂に礼堂や庇などを付け足して前面を拡大したことにより、その礼堂部分が懸造となったものが多い。
清水寺本堂 平安時代末期には舞台が造られていたという。
清水寺の懸造は最も多いところで束柱に六段にわたって貫が通され舞台の高さは12mです。束柱は欅(けやき)の一丁材が使用されており、水平の貫は雨などで痛まないように上辺に傘のような覆いが付けられています。
貫は、本体の建物では鎌倉時代以降のものにしか見られないことから、一般には鎌倉時代に中国から伝わったとされていますが、清水寺や室生寺などの懸造は、既に平安時代に出来上がっていました。
鎌倉時代より前では、鑿(のみ)などは無く、道具の未発達により太い柱には貫が貫通するような貫孔は穿てなかったのですが、どういう方法で懸造を造ったのか当時の遺構がないためはっきりとはしない。
また懸造は大陸には見られない工法であり、おそらくわが国で考案されたものと思われます。木を熟知して、それを自由に扱える技術が早くから備わっていたのでしょう。


那谷寺本堂 (石川 江戸時代再建)
