伊勢地方には、今でも伊勢市を中心として志摩半島一円に妻入りの町屋が多い。伊勢神宮をはばかって妻入りとする風習があったという説もあるが真偽のほどは定かではない。

神明造は農耕民族の象徴として稲作の倉庫をその原形としたものであり、大社造は大国主命が国譲りの際に死後の立派な宮殿の建設を約束させたことから住宅形式であるとする説もあります。
先にみた弥生時代の倉庫は平入り、住宅は妻入りということに符合しますが、定かではありません。



仏教建築の影響を受けて新たに作られた様式とされる流造、八幡造、権現造の本殿は平入りですが、天皇家に近い中臣(藤原)氏とその関連の始祖を祭る春日大社と大鳥神社の本殿様式である春日造と大鳥造は、妻入りです。これには、神明造をはばかったとの説があります。

いずれにせよ上古において、すでに様式区分により正面が確立していたことは、西日本地域に妻入りの神社や民家が多いことも考え合わすと日本民族の起源を探るうえで非常に興味深い問題である。

そもそも出入り口は、建物の用途と構造からある程度決まる場合が多い。
古代の竪穴式住居の場合は、平側は全面が屋根部分に相当しており地表面まで葺き下されているため、雨仕舞の関係から開口部を設けるわけにはいかず、上部に煙出しの付いた妻側に設けるのが一般的であったのでしょう。

事実、弥生時代の登呂遺跡の竪穴住居などは出入り口が妻側にある。また、この時期、同遺跡の高床倉庫および讃岐国出土の銅鐸に描かれた高床家屋なども切妻屋根の妻側の張り出した部分の下に出入り口があり、妻入りであったことが確認されています。これらの建物は、間口は柱間2間、奥行は、せいぜい柱間2、3間程度と比較的小さなものです。

日本建築の建物へ出入りする場合の出入り口の設置場所については、基本的に平入りと妻入りの二通りがあります。
平入りとは、建物の平側(棟に対して直角方向)に出入口を設ける形式であり、妻入りとは、建物の妻側に出入口を設ける形式です。

建物のどちら側に出入口を設けるかということは、単にその建物の設置場所の問題だけにとどまらず、その建物自体の用途、構造、意匠ならびに外観、さらには全体の建物群との調和と配置に係わる重要な問題なのです。

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梁間を長くとった妻入り
東福寺庫裡 (京都 1909年)

平入りの平出遺跡(長野)の復元模型

一方の神社建築の遺構をみると神社本殿は、その様式によって明確に妻入りと平入りとに分かれます。仏教建築が伝えられる以前の様式とされている伊勢神宮の様式である神明造が平入りであり、出雲大社に代表される大社造と住吉大社は妻入りなのです。

神社建築の起源が明らかでないため以下推測の域を出ませんが、このなかで神明造のみを平入りとして、他の二様式と差別化を図っているのは多分に意図的なものが感じられる。

おそらく律令官制と神祇制度の整備の段階において神社本殿を常設する際に、天祖を祀る伊勢神宮とその系統としての神明造の本殿を絶対的なものとして、その他の神を祀る本殿とは区別したのでしょう。
さらに平安時代初頭の804年撰の皇大神宮儀式帳では、伊勢神宮正殿の様式が詳細にわたって記されていますが、同正殿の形式を唯一神明造とし、同じ天祖を祀る神明造の他の本殿とも鰹魚木の数など様式での差別化を図っているのです。 

そもそも屋根は自然の邪悪から霊屋(みや)を守るものであるということから、切妻造の場合には屋根のない妻側を出入口としたとも考えられます。また、祭礼の際の儀式形態によるものか、身分の上下による座席の配列を縦とするか横に並べるかという内部の使用方法からきたのではないかとも思われる。
結果的にみると、神社建築においては様式により平入りと妻入り明確に分かれていますが、仏教建築においてはる主要堂宇が平入りで、主に住居系の大規模で正方形平面に近い建物に妻入りが多い。では、わが国古来の形式が妻入りであり、大陸から導入された仏教建築が平入りかというと、そうとも言い切れない。
先にみたように、古墳時代に既に平入りの建築がります。横長の建物には平入りが構造上からも遺構の示すとおり合理的ですが、そもそも神社建築のような小規模の場合は、どちらでもよいのに何故に平入りと妻入りの両方があるのかはよくわかっていません。
しかしながら、この二つの形式をある場合は神祇制度による形式区分とし、ある場合は構造や全体の整合性からくる問題として使い分けているのです。そこに建築に対する柔軟な姿勢が感じられるのです。

現代の民家においても特定の地域に妻入りが集まっているのも何らかの基準に基づくものなのか、民族性や風習によるものなのか、日本建築を理解するうえで重要なことと思われますが、いずれにしても資料が少ないことから今後検討を要する事項である。

聖徳太子を祖師信仰として祀る妻入りの
法隆寺聖霊院 (奈良 鎌倉時代)

平入り・妻入りと配置


妻入りの特殊な例では、長野の善光寺本堂があります。
この本堂は、複数の機能を持つ建物を前方に順次連結したことによって奥行の深い建物となっている。これをひとつの屋根で覆い、棟を長手方向に架けたことによって妻入りとなったものです。もとは内陣だけの建物で、平入りでしたが、平安時代に観音信仰が盛んになるにつれ、順次堂宇を拡大したものなのです。

それによって前後の建物が一緒になり、奥から内々陣、内陣、中陣、外陣と4つの棟が縦に並ぶ形式となったのです。奥の内陣および内々陣の棟は正面筋に直交しており、もとは平入りであったと思われます。
手前の中陣および外陣の棟は正面筋と同方向です。このため屋根はTの字型をしており、その形状から撞木(しゅもく)造といわれる。正面7間奥行16間(50m)であり、わが国最大級の妻入りの仏堂なのです。



そのほかでは、法隆寺の聖霊院および三経院、元興寺極楽坊本堂などのように改築した建物に妻入りがみられます。これらの建物は僧坊を改築したものなのです。

もとからあった僧坊は切妻造、平入りの横長の建物でしたが、その片方の妻側を正面として仏堂に改修したことにより、建物全体の方向を変えることができないために結果として妻入りとなったことが窺えます。聖霊院は正面6間、奥行5間と正方形平面に近い。なお周囲の建物のバランスを考えたうえで正面には庇と向拝を付け入母屋風に仕上げています。

本堂正面

出入口の設置場所は、現代の建物においてもそうであるようにその建物の正面を意味しています。
つまり、建物は正面性を強調することによって、その建物に向かってくる人々に対し建物の意図するところを知らしめると同時に、精神的な昂揚感、緊張感、安堵感なりの印象を感じさせるよう外観を造作する必要があるのです。

たとえば、われわれが建物や人の家を訪ねる場合に、その正面の入口なり玄関を見てある種の印象を受け、これから起きることを色々想像して緊張感や期待感を抱きます。まして宗教建築物となるとこの精神的な意味合いは非常に重要な要素となります。なお、古代から平安中期の仏堂は、正面の出入り口は仏の専用のものであり、僧侶ならびに俗人はこれとは別に正面の横の出入り口を使用するようになっていますが、ここでいうのは正面にある仏の出入り口のことです。

一般的に横長の建物は長手方向を正面にしたほうが、見栄えが良く堂々として落着いた感じになる。このため大型で横長の寺院建築では、平入りが多いのです。妻入りは極めて例が少ないことから、建築様式を表示する場合にわざわざ「妻入り}と表記することとしているほどなのです。 

一方、平入りの建物は、さらに大きな建物になった古墳時代の遺跡である長野県平出遺跡の竪穴住居にみられます。この場合は桁行7間、梁間5間であり、垂木の下端が地表面から離れ、周囲には低い外壁が設けられ、屋根は入母屋風であったと推定されている。

平入りの建物が現れたのは、建物の周囲に壁構造が出来て屋根と壁とが分離されたことにより、壁に出入り口を設けても雨仕舞いの心配がなくなってからのことなのです。また、入母屋屋根であることも出入り口を考える場合に柔軟に対応できたのでしょう。

建物が大型化し、桁行方向に横長になると、妻側から入には奥行が深くなり使いづらくなることも要因と考えられます。したがって、平入りは住居系よりもむしろ大型の穀物庫など倉庫系の建物に多いともいわれています。
このような上古の建物から推察されることは、わが国の建物は妻入りから始まり次に平入りが現れたことと、小型の建物は妻入りで大型の建物には平入りが多いことが窺われます。

鞭掛

千木

鰹魚木

鞭掛

千木

鰹魚木

このような特殊な例を除くと、寺院建築の建物は一般的に大きく、かつ内部の仏像の配置などから桁行方向に長くなる。建物の配置において長手方向を正面とするのは、存在感、荘厳さ、左右への拡がり感、包容力などを表現する意味からも当然のことでしょう。したがって、仏堂などの仏教建築は、平入りになるのが一般的なのです。

伊勢皇大神宮正殿 平入り 
鰹魚木を10本とするなどなど細部にわたる様式の定められた唯一神明造

梁間

桁行

内々陣

内陣

中陣

外陣

正面

最大級の妻入り仏堂 善光寺本堂
(長野 江戸時代再建)

なお妻側を正面とする場合は、梁間をよほど大きく取らなければ正面の幅が狭く建物としては見栄えが良くない。このため、寺院建築では妻入りの建物は、概ね梁間の大きい建物なのです。また寺院建築では伽藍全体が横長の水平基調としているため、妻側を正面とすると山型の三角形となり、伽藍内の配置上も周りの建物との釣り合いがとれなくなる。

したがって、妻入りの建物は寺院では伽藍内にはほとんどみられず、独立して存在する大寺院の表御殿である客殿や事務所である庫裏、庫裏や食堂などに多い建築となっています。代表的なものに観智院客殿、園城寺客殿、西本願寺書院、妙法院庫裏、東福寺庫裏などがあります。
これらの建物に共通するのは、近世となった桃山時代以降の建築で、大規模かつ平面が正方形に近い住宅風の建築であり、梁間が長いことから棟を正面に向けると屋根部分が大きくなりすぎ、建物としてのバランスを欠くところから妻側を正面に向けたものと考えられるのです。

妻入りの元興寺極楽坊本堂
 (奈良 鎌倉時代)

棟持柱

妻入り

平入り

妻入りの善光寺本堂 (大分 室町時代)

平入りの瑞龍寺法堂 (富山 江戸時代))


出雲大社本殿 大社造 妻入り