神社建築でも同じように神の居所である本殿は太い柱で囲まれた空間です。
そこに降臨する神を柱に擬せられたその地の土俗の神がお護りしているとも考えられます。まさに神祇信仰と土俗信仰とが混じりあった姿なのです。

出雲大社本殿や伊勢神宮正殿の中央には、神の降臨する依代(よりしろ)ともみられる心御柱が存在している。
ちなみに平成12年に検出された旧出雲大社の岩根御柱(心御柱)は、金輪で三本束ねてありますが、その径は3.6mという巨大なものでなのです。現在の心御柱は地中から掘立てで立てられ本殿の室内中央にありますが、棟まで達していない。室内中央に立ってはいますが途中で終わっています。
伊勢神宮のそれは室内中央の床下に筍のように収まっているとのことです。いずれの柱も何も支えておらず構造上必要なものではないのです。

構造上必要なものでない柱としては、後に述べる仏教建築における五重塔などの心柱もそうであることはよく知られているところです。
では、このような柱は何を物語っているのでしょうか。

巨木で囲うことによって建物内を自然の脅威から防御するように、呪力のある木で囲うことによって内部の聖なるものを護る。また、巨木による柱を建物の中心に据えて神の降臨を仰ぎ、それを覆うように霊屋(みや)を建てる。
巨木信仰と精霊信仰そして神祇信仰とが、まさに混ざり合った形で社寺建築は出来上がっているのです。
さらに仏教建築では、先に述べたとおり、こういった土俗信仰と神祇信仰そして仏教信仰とが、既に飛鳥時代の仏教受容時から習合しているのがみてとれるのです。

神社や寺院の柱は丸柱が上格であり主要堂宇の身舎(もや:本屋)部分は、ほとんどが丸柱です。角柱は時代が下がって近世の住宅風仏堂になると身舎部分にも使われるようになりますが、本来は主に向拝や庇などの付随する部分に限られています。

この丸柱は、まず伐採した丸太の断面の円周に接合するように正方形切り口の角材にします。さらに角を落とすように、切り口の断面を8角形、16角形、32角形へと手間隙をかけて、徐々に円柱に近付けていく。こうすることにより木材の辺材(原木の周辺部分で白太ともいう)部分がなくなり丈夫な心材部分だけになります。

したがって寺院などにみられる丸柱の元の原木は、直径で丸柱の約1.4倍もの太さになる。仮に直径2尺(約60cm)の丸柱の原木は1m近いものとなり、相当に太い自然木が使われていることになる。また、木材に特有のねじれを防ぎ精度を上げるためには、芯部分を避けて四つ割りや二つ割りにし、それから丸柱を作る。この場合は原木の4割程度しか使用できないのです。

        3.社寺建築に対する建築観

樹木信仰 


出雲大社本殿 (島根 江戸時代再建 1744年)

また、神祇信仰は理論として確立された教義を持たなかったこと(注3)、仏教の受容当初は仏を異国の蕃神としてとらえて神と仏の区別が曖昧であったことなどから、理論的に確立していた仏教の影響を受けやすく、相互に補完仕合いながら結びついていく。 奈良時代になると神は仏の救済を必要とすると考えて神社に神宮寺(注4)が造営され、逆に神が仏教を守護すると考えて寺院には鎮守社が勧請されるようになる。
 

後にこれが神仏習合と呼ばれるが、土俗信仰も含めて、わが国古来の神と新しく迎えた仏との協合融和を図る形態こそ、われわれ日本人の宗教観の底流をなすものでありましょう。

柱信仰や精霊信仰などの土俗の信仰が、宗教建築に結びついた例は「柱」に見ることができます。

実際に神社や寺院に使用されている柱は、必要以上に太い巨木なのです。大型の堂宇になると直径が2尺程度のものがざらにあるのです。

機能上は柱が太ければ太いほど水平力を吸収することにより転倒復元力がそれだけ増すことにはなるが、おそらく建築構造上はその数分の一以下の太さでも充分でしょう。実際、中国や朝鮮の寺院でもこんなに太い柱は使っていません。わが国特有の現象なのです。

塔の心柱  
法起寺三重塔 (奈良 飛鳥時代)

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「非恒久的な建築」


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(注1) 神籬 神を迎えるための樹木、神を迎える臨時の施設をも意味する。
(注2) 依代 神が宿るところ
(注3) 鎌倉時代になって伊勢神道が説かれるようになりさらに山王神道、室町時代に吉田神道が説かれ、徐々に 神道思想が体系化されていく
(注4) 神宮寺としては八世紀初頭に建てられた福井県若狭彦神社の神宮寺、鎮守社としては8世紀中頃の奈良東大寺の手向山神社などが古い例です。

巨木列柱 チカモリ遺跡 (石川 弥生時代)

巨木の柱列 興福寺東金堂 (奈良 室町時代再建1415年)

巨木に囲まれて鎮座する大仏

東大寺金堂 (奈良 江戸時代再建1705年)


古代からわが国には、神籬(ひもろぎ:注1)、御柱などに象徴されるように樹木、特に巨木は天と地を結ぶものであり、これを伝って神が降臨すると信じて、集落の神聖な場所に巨大な柱を立て神の降臨を仰ぐ柱信仰があったといわれています。

また巨木は生命の根源であるとして呪力を持つと信じ、神木として信仰する精霊信仰(アニミズム)としての風習があった。

縄文時代の石川県真脇遺跡、チカモリ遺跡の巨木列柱なども古代の宗教的儀式に使われた建造物であると推定されているとおり、木を神聖なものとしてとらえる観念的な考え方があったのでしょう。
 
神籬は、当初は自然木であったり、柱を立てたりしていましたが、やがてその木を使用して神の降臨する依代(よりしろ:注2)としての施設を造るようになり、やがて神社本殿の成立をみるのです。

法隆寺の柱は直径2.5mの巨木を四つ割りし、芯部分を取り去った「心去り材」を使用しています。

これだけ太い原木を使い、また手間をかけて作った貴重な円柱を建物の周囲に廻らせる。さらに軸組構法では梁材の長さに応じて内部にも柱を立てることが必要なため、いきおい内部は多柱構造となる。
仏堂の内部には太い円柱が何本も立ち並び、その中央に本尊や仏像が鎮座しているのです。そのありさまは、まるで呪力を持った太い柱が外界の邪気を祓い、仏の周りを守るがごとく林立しているのです。


奈良時代の創建時の東大寺金堂(大仏殿)には、合計76本にのぼる柱がありました(現在の大仏殿は60本)。大仏はその中央にこれらの柱に守られるように鎮座しているのです。

わが国では、古くから神の単位を「柱」と呼んで一柱、二柱と数えます。つまり柱とは、神を意味しているのです。 
それからすると東大寺の大仏は、76柱にもおよぶ神々に守られて鎮座しているともいえるのではないでしょうか。
まさに神と仏が習合した姿をそこに見ることが出来るのです。

諏訪大社の御柱 (長野)