構造上必要なものでない柱としては、後に述べる仏教建築における五重塔などの心柱もそうであることはよく知られているところです。
では、このような柱は何を物語っているのでしょうか。
巨木で囲うことによって建物内を自然の脅威から防御するように、呪力のある木で囲うことによって内部の聖なるものを護る。また、巨木による柱を建物の中心に据えて神の降臨を仰ぎ、それを覆うように霊屋(みや)を建てる。
巨木信仰と精霊信仰そして神祇信仰とが、まさに混ざり合った形で社寺建築は出来上がっているのです。
さらに仏教建築では、先に述べたとおり、こういった土俗信仰と神祇信仰そして仏教信仰とが、既に飛鳥時代の仏教受容時から習合しているのがみてとれるのです。
神社や寺院の柱は丸柱が上格であり主要堂宇の身舎(もや:本屋)部分は、ほとんどが丸柱です。角柱は時代が下がって近世の住宅風仏堂になると身舎部分にも使われるようになりますが、本来は主に向拝や庇などの付随する部分に限られています。
この丸柱は、まず伐採した丸太の断面の円周に接合するように正方形切り口の角材にします。さらに角を落とすように、切り口の断面を8角形、16角形、32角形へと手間隙をかけて、徐々に円柱に近付けていく。こうすることにより木材の辺材(原木の周辺部分で白太ともいう)部分がなくなり丈夫な心材部分だけになります。
したがって寺院などにみられる丸柱の元の原木は、直径で丸柱の約1.4倍もの太さになる。仮に直径2尺(約60cm)の丸柱の原木は1m近いものとなり、相当に太い自然木が使われていることになる。また、木材に特有のねじれを防ぎ精度を上げるためには、芯部分を避けて四つ割りや二つ割りにし、それから丸柱を作る。この場合は原木の4割程度しか使用できないのです。
| 3.社寺建築に対する建築観 |
樹木信仰
出雲大社本殿 (島根 江戸時代再建 1744年)
柱信仰や精霊信仰などの土俗の信仰が、宗教建築に結びついた例は「柱」に見ることができます。
実際に神社や寺院に使用されている柱は、必要以上に太い巨木なのです。大型の堂宇になると直径が2尺程度のものがざらにあるのです。
機能上は柱が太ければ太いほど水平力を吸収することにより転倒復元力がそれだけ増すことにはなるが、おそらく建築構造上はその数分の一以下の太さでも充分でしょう。実際、中国や朝鮮の寺院でもこんなに太い柱は使っていません。わが国特有の現象なのです。


塔の心柱
法起寺三重塔 (奈良 飛鳥時代)
(注1) 神籬 神を迎えるための樹木、神を迎える臨時の施設をも意味する。
(注2) 依代 神が宿るところ
(注3) 鎌倉時代になって伊勢神道が説かれるようになりさらに山王神道、室町時代に吉田神道が説かれ、徐々に 神道思想が体系化されていく
(注4) 神宮寺としては八世紀初頭に建てられた福井県若狭彦神社の神宮寺、鎮守社としては8世紀中頃の奈良東大寺の手向山神社などが古い例です。
巨木列柱 チカモリ遺跡 (石川 弥生時代)
巨木の柱列 興福寺東金堂 (奈良 室町時代再建1415年)
巨木に囲まれて鎮座する大仏
東大寺金堂 (奈良 江戸時代再建1705年)
古代からわが国には、神籬(ひもろぎ:注1)、御柱などに象徴されるように樹木、特に巨木は天と地を結ぶものであり、これを伝って神が降臨すると信じて、集落の神聖な場所に巨大な柱を立て神の降臨を仰ぐ柱信仰があったといわれています。
また巨木は生命の根源であるとして呪力を持つと信じ、神木として信仰する精霊信仰(アニミズム)としての風習があった。
縄文時代の石川県真脇遺跡、チカモリ遺跡の巨木列柱なども古代の宗教的儀式に使われた建造物であると推定されているとおり、木を神聖なものとしてとらえる観念的な考え方があったのでしょう。
神籬は、当初は自然木であったり、柱を立てたりしていましたが、やがてその木を使用して神の降臨する依代(よりしろ:注2)としての施設を造るようになり、やがて神社本殿の成立をみるのです。
諏訪大社の御柱 (長野)