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おじさんの主張・御杖村予選
「言いたいんや!!」

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犬と鯨     2003年11月24日

 韓国で犬料理を食べたことがある。ソウルの下町・鐘路区の迷路のような路地裏に犬鍋の店はあった。スープに入れたたっぷりの野菜の上に犬の肉を乗せ、マスタードを効かせて煮込んである。初めて食べる犬肉の味、それはコンビーフのような歯ざわりで癖のないあっさりした味であった。鍋に残ったスープにご飯を入れて、おじやを作ってくれた。
「うまい、おかわり。」
 本場韓国でも男性のスタミナ食で、女性はあまり食べないらしいが、日本から来た家族連れと女友達のグループが喜々として犬鍋をつつく様子を、店の親父さんはちょっと変だと思いながら見ていたかも知れない。
 韓国がワールドカップやオリンピックなど国際的に注目されるたびに、この犬料理が問題になる。人間の仲間動物である犬を食べるなどもってのほか、という国際世論の批判を恐れて、犬料理店は期間中の営業自粛を当局から強制される。この場合の国際世論とは、インド人はそんなこと言いそうにもないから、一部の国際的に発言力の強い国限定なのであるが。その国々はインド人が参加する国際大会を開くとき、牛はインドの神様だからMドナルドの営業を自粛しているのだろうか。

 日本のどこかの砂浜に生きた鯨が打ち上げられたニュースが放送されたことがある。こりゃめでたい。空から小判、海から鯨だ。いったい何人分の・・・と思っていると、ニュースは、死んでしまった鯨を砂浜に埋めたことを伝えた。もったいない。どうせニュース映像が瞬時に世界で放送され、国際世論の批判にさらされることを恐れて、食べなかったのだろう。(国際捕鯨委員会の決まりではどうなっているのだろう。)
 鯨肉なんて日本人にとってはもはや珍味でしかないのだから、大型船団を組んで鯨を捕りにいく商業捕鯨を再開する必要などない。それに、同じ日本国民であっても、つつましいアイヌ人とは違って、日本人は会社のためなら自然界から貪欲にとり尽くしてしまう習性があるので、鯨の絶滅を危惧する意見もなるほどと思う。どうしても鯨を食べたいのなら、性根を据えて伝統捕鯨をやればよい。
 けれども、浜に打ち上げられ、死んでしまった鯨を食べてなにが悪い。それを、重機を使い排気ガスと二酸化炭素を撒き散らしながら砂浜に穴を掘って埋めるとは罰当たりな。埋めたところで微生物の餌となるのであるから、人間が食べようと、死んだ鯨にとっては同じなのである。それだけの金を使うのなら、海は大漁旗、陸は幟で飾りつけ、神輿を浜に繰り出し和太鼓をたたき獅子が舞う中、神主がお祓いをし、何とか流古式調理術かなんかで解体して、お祭り騒ぎでこの神の恵みを美味そうに食っている映像を世界に配信すればよかったのだ。

 犬肉にしろ鯨肉にしろ、それは食習慣であって、誰に遠慮して食べる必要もない。同じように、他のどんな生き物を食べる習慣の人たちがいても、それを嫌悪すべきではない。互いの風習を理解しなければ平和は続かないとユネスコ憲章も言っているのである。
 韓国人よ、堂々と犬料理を作って私達の味覚を楽しませてくれ。日本人もこの上ない自然からの恵みをありがたくいただこうではないか。そこから世界平和は始まるのだから。

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