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おじさんの主張・御杖村予選
「言いたいんや!!」

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月の土地     2004年5月28日

「名月をとってくれろと泣く子かな」
 幼な子のかわいい所有欲を周りの大人が微笑ましく見ている。昔の人はこのように言葉の世界で月と遊んできた。この精神性の高さよ。

 最近、インターネットで月の土地を売るサイトにぶち当たった。
 遊びのつもりでも、これには目くじらを立てずにいられない。売る方も買う方もジョークのつもりだろうが、幼稚で無粋な所有欲を「夢」と称し金儲けにしてしまうことで、多くの人々が月を眺める気持ちを踏みにじっていることに気がつかないのであろうか。インターネットで世界中に売るということは、アメリカの田舎町の高校生が文化祭のチャリティーでやるのとはわけが違うのである。法律に書いていなければ何をしてもよいのか。そうやって多くの国が先住民の土地を勝手に自分のものにしてきたのではなかったのか(日本も含めて)。
 私がアメリカ人なら、この脳天気なアホを「全ての人が平等に月を愛でる権利を侵害した。」と民事訴訟で損害賠償を請求するところだが、無粋に無粋は大野暮だ。

 月に美を感じるのは人類共通の感情である。
「花鳥風月」「雪月花」「宝塚月組」といった言葉や、仲秋の名月や十三夜に野花と秋の実りと団子を供える行事、兎が餅つきをするという言い伝え等は、人々の月への思いを物語っている。
 法然上人は「月影の到らぬ里は無けれども眺むる人の心にぞ住む」と、月光を仏の心に喩えた。イスラム教徒は砂漠の地平線に夕日が沈んだ後の微かな新月を見ることを宗教的行為として尊んだ。毎夜、姿かたちを変えていく神秘的な月に祈る心もまた人類共通である。
 月は誰のものでもない。だから全世界の人が美しく月を愛で、祈ることができるのだ。今宵の名月を、言葉も習慣も違う人たちが同じように美しいと感じながら眺めていると思うと、心が和やかになる。ところが、今宵の名月をよこしまで欲張りな奴らが所有していると思うと、全く興醒めである。

 所有することで得られる幸福感など真の幸福ではないのである。
 月の土地を売買するという悪い冗談は、このような人類の精神性を踏みにじるものだ。

 映画「フィールド・オブ・ドリームズ」は金より夢が大切なんだと教えてくれた。今、私達がいやでも巻き込まれていくアメリカ流のグローバル・スタンダードが、金のものさしで夢を計るものでないことを、月に祈りたい。

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