日本のいちばん長い日

1967.08.03併映・皇太子同妃両陛下の南米ご訪問
157分 白黒 東宝スコープ


スタッフ
製作      藤本真澄 田中友幸
監督      岡本喜八
監督助手    渡辺邦彦 山本迪夫
脚本      橋本忍
原作      大宅壮一
撮影      村井博
音楽      佐藤勝
美術      阿久根厳
録音      渡会伸

キャスト    
東郷外相    宮口精二
松本外務次官  戸浦六宏
鈴木総理    笠智衆
米内海相    山村聡
阿南陸相    三船敏郎
岡田厚相    小杉義男
下村情報局総裁 志村喬
井田中佐    高橋悦史
竹下中佐    井上孝雄
館野守男    加山雄三
昭和天皇    松本幸四郎
ナレーター   仲代達矢


終戦秘話を完全映画化!
見よ! 喜八監督の剛速球!

1945年8月14日正午から翌15日の正午までの24時間、いわゆる終戦前夜の日本を舞台に、その終戦秘話を真正面から描いたオールスター超大作。東宝名物8,15シリーズ第1弾でもある。いつもなら軽快さが売りの喜八監督だが、この時はプロデューサー藤本真澄の厳命で「変化球は投げるな」と言われていたこともあり、見事な剛速球で勝負! まるで黒澤作品を思わせるような重厚な仕上がりとなっている。それでも出来上がった作品は「ナチュラルカーブぐらいにはなってしまった」(監督談)のも岡本監督らしいのだが…(笑)。ただ、この作品で岡本喜八監督を知った人は、この後「江分利満」とか「爆弾」とか観たらきっとビックリするね。この作品の方が喜八監督にとっては「異色作」なんだから。

さて、大宅文庫でも知られる大宅壮一による原作を、完全映画化したこの作品。「あの日いったいどんなことが起きていたのか?」をテーマに、宮中、首相官邸、陸軍省、NHKなどの日本の中枢から、とある特攻隊基地の少年兵に至るまで様々な角度から「終戦」が描かれている、とはいえ「日本の偉い人から見た終戦」中心の構成になっているため、庶民からの視点は結構薄目である。そのため、この後喜八監督「一兵卒から見た終戦(間際)」を描こうと「肉弾」を製作したのだそうだ。いわば、この2本で(「沖縄決戦」も入れると3本だが)喜八監督から見た「終戦」が完成するというわけだ。

で、私はこの作品を観るたびにいつも思うことがある。それは「戦争に負けるって本当に大変なことなんだな」ということだ。いや「終戦を決意する」って本当に大変なことなんだのほうがより正確か? 

日清、日露と奇跡的に勝利してきた日本の敗戦。ましてや「無条件降伏」である、劇中のセリフにもあるように場合によっては「日本という国が地図上から消える」ということだって充分に考えられるし、米ソに分割統治され挙げ句の果てにドイツや朝鮮半島みたいなことにもあったかもしれない。この国の首脳部は、そうなった場合、はたして国民はどうなるのか? だいたい今まで「勝つ勝つ」言ってきてどう説明するよ? みんな納得してくれるのか? などの様々な思いが去来したに違いない。ましてやその運命はすべて戦勝国の思いのままである。まったく先行きが見えない中で選択を迫られると言うことは、我々の想像を遙かに超えた、それこそ気の狂わんばかりのプレッシャーだったろう。

また、もっと個人レベルで考えれば、無条件降伏すれば敗戦の当事者として「戦争責任」は免れない。もちろん「処刑」されることだって大いにある。「もう少し戦争を長引かせれば、国民を犠牲にした分だけ自分の寿命が延びるかもしれない」と考えるのも、国民としては迷惑な話だが、人としてそう考えてしまうのは自然といえば自然である。もちろんそれは「○○陛○」にだって当然考えられた選択肢であったわけだし。

にも関わらず彼らは「終戦」を決意した。「本土決戦」をしてそれこそ1億玉砕するのか? どうなるかはまったくわからない「終戦」にすべてを賭けてみるのか? もうほとんど「戦争継続」の力が残っていないにも関わらずここまで戦ってきたことはともかく、ここで様々な葛藤や不安などそのすべてを抱え、国を守るために(この場合の国とは国民や国民性、日本の文化や慣習など日本のアイデンティティーを指す)「終戦」を決意したことはやはり「立派な決断」だったと思う。

その一方「終戦」に最後の最後まで抵抗した青年将校(黒沢年男、中丸忠雄)たち、いわば将来を嘱望され日本の未来を背負うはずだった彼らたちの行動はいったい何だったんだろう? なにを守るために蜂起したんだろう? 国体の護持?それはわかるが1億玉砕して国体の護持もない。ましてや優秀な彼らのことである、日本にもう戦争遂行能力が残ってないことなど百も知っていたはずなのに…。現代の感覚で言うならよくわからない…が、きっと「日本という国が地図から消えるぐらいなら、1億玉砕の方がマシ」という考えだったのか?

ま、それは「国民がいるから国がある」のか「国があるから国民がいる」のかの考え方の違いなんだろうな。彼らのとった行動は確かに歴史的に見れば「正しい行動」で無かったのかもしれない。がこれも「視点の違い」こそあれ、「終戦の決断」をした人々と何ら変わりなく「国を守る」のということでは、そこに邪心はなく極めて純粋な行動である。そしてその純粋さは「勝利を信じて」少年兵を死地に送り出した在郷軍人の男(天本英世)や、本来はそれを護衛する立場にも関わらず最後の最後にこらえきれず「玉音放送阻止」をしようとする憲兵(井川比佐志)にいたるまで共通している。

とにかくあの時みんながみんな「自分の信念に従って」純粋に国を守ろうとしたのである。そしてその結果、運良く国は守られ今日まで平和な暮らしを私たちは享受している。が、最近の風潮「面白半分にホームレスを殺す中学生」や「自分の娘ほどの年齢の中学生を金で買う中年オヤジ」はたまた「難しいことは何も考えずに渋谷の街をぶらぶらしているコギャルたち」を見ていると、ふと思うのである。

はたしてこれが、あの時彼らが守りたかった日本の姿なのか? 戦争での尊い犠牲もこんな連中を生み出すための犠牲だったのか? と。別に愛国心を持てなんてこれっぽっちも思わないが、節度や中庸を大切にする日本人の美徳や、陰影や枯れた味わいを重んずる日本の文化ぐらいは、時には思い出せよなと思うのだが…。せっかく先人たちが命を賭けて守ってくれたもののひとつなんだからさ。

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