ニッポン無責任時代

1962.07.29併映・喜劇駅前温泉
86分 カラー 東宝スコープ


スタッフ
製作    安達英三朗 渡辺晋
監督    古沢憲吾
監督助手  長野卓 坂野義光 出目昌伸
脚本    田波靖男 松木ひろし
撮影    斎藤孝雄
音楽    神津善行
挿入歌作詞 青島幸男
挿入歌作曲 萩原哲昌

キャスト    
平均    植木等
氏家勇作  ハナ肇
佐野愛子  重山規子
麻田京子  中島そのみ
まん丸   団令子
谷田部長  谷啓
安井    安田伸
大塚    犬塚弘
佐倉    石橋エータロー
青木    桜井センリ
石狩熊五郎 由利徹
黒田有人  田崎潤
大島洋子  藤山陽子


映画スター・植木等誕生!
60年代東宝映画の金字塔!

すべてはこの一本から始まった! なにがって、もちろん「東宝クレージー映画」に決まってるじゃないか! という東宝クレージー映画の記念すべき第1作であり、60年代の東宝のみならず、日本のコメディ映画の金字塔でもある。

それまでは滅私奉公的なサラリーマンのペーソスを得意としていた「東宝サラリーマンコメディ」のルーティンをぶちこわし、正体不明な風来坊が口八丁手八丁でとある会社に潜り込み、デタラメの限りを尽くしたあげくハッピーエンドという、もの凄い物語。しかし本来なら、この人に嫌われてもおかしくないような男を植木等は見事なナイスガイとして演じきっている。それはまさに植木のもって生まれた才能としか言いようがない。

さて、この映画が製作された1962年っていうと、東宝創立30周年を迎えて、作品ラインナップ的にはまさに東宝の絶頂期といえる年。とはいえ実際のところは日本の映画総観客動員は1958年の11億2700万人をピークにじりじりと落ち込み続けていた時代でもある。映画人口の減少の大きな理由としては、言うまでもなくテレビの普及によるものなんだけど、そんな、当時は映画から目の敵にされていたテレビから生まれた植木 等というスターが、この1本の映画で映画スターになり、映画の黄金時代を終焉を遅らせたともいえるんだからある意味皮肉な話でもある。

もちろん、植木自身はそれまでにも何本か映画に出演し、この62年には、松竹で「クレージーの花嫁と七人の仲間 」大映で「スーダラ節 わかっちゃいるけどやめられねぇ」と「サラリーマンどんと節 気楽な稼業と来たもんだ」に出演したものの主役でもなく、内容的にもヒット曲に便乗した、古いタイプの喜劇だったため、特に注目されることはなかった。

が、この1本で彼の歴史だけでなく、日本のコメディの歴史をも変えてしまったのである。つまり、それだけインパクトがあったのだ。当時の他の喜劇映画と比べると、スピード感、ダイナミズム、ギャグの爆発力を含め、完全に時代を先取りしている。

そしてその「無責任男」というキャラクターを植木の中から引っ張り出し、作り上げた最大の功労者が監督の古沢憲吾と脚本家の田波康男あろう! 

古澤監督といえば「パレンバン降下作戦」にも参加した勇士で、劇中やたらと軍艦マーチをかけたがる右翼としても知られる監督だが、そんな人物がなぜこんなにもアナーキーな作品が撮れるのかは不思議きわまりないが、とにかく一度決めたことはたとえそれが間違っても曲げない「男気」が、この作品の感動的なまでの豪快さを生んだことは間違いなさそうだ。

特に、植木がでっかいホリゾントのステージで「ハイそれまでよ」を歌うシーンから、何の脈絡もなく実は宴会場で歌っていたという設定に切り替わる強引な展開はと、そこから生まれる客をねじ伏せるような笑いは「古澤節」の真骨頂だろう。普通の監督はあんなつなぎは絶対にしない。

一方の脚本の田波康男はそれまでも「若大将シリーズ」などを書いてきたものの、前年デビューというほぼ新人に近い脚本家。しかし、時代を読みとる力とその作風のイケイケぶりは他の脚本家にはない個性だった。

で、実はこの作品、もともとはその田波康男がフランキー堺を想定して書いていた「無責任社員」がベースになった作品。がちょうどいいタイミングで東宝に方に「植木で1本撮って欲しい」という話が来たため、
脚本を提出したところGOサインが出たとのこと。主題曲でもある「無責任一代男」の歌詞「人生で大事なことはタイミングにC調に無責任」を
証明するようなエピソードでもある。

内容的には詳しくは書かないが、「スーダラ節」「ドント節」「五万節」などシリーズ中でも最も有名なナンバーが数多く使用されているのでクレージー入門者にはまずはここから入門していただきたい。

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