明治時代のイコン画家。山下りんと、彼女の遺品を収蔵、展示している白凛居のご紹介です。

白凛居


★所在地     茨城県笠間市笠間1510番地
★アクセス    常磐線友部駅にて水戸(小山)線に乗り換え笠間駅下車 徒歩約30分
           高速常磐道友部ジャンクションより宇都宮、笠間方面へ、友部インターより約20分 
           高速常磐道水戸インターより 国道50号線で笠間方面へ約25分


地図
              



355号笠間小学校前のトリの銅像の向い側の道へ左折、約100メートル先の交差点手前
    笠間小学校前のトリの銅像

                 
山下りんが晩年を過ごした地です
*1912年(明治45年)2月、ニコライ大主教が世を去りました。
  りんの友好関係は、本当に限られた人のみ、世間からは隔絶された生活をしていたようです。
  大正初期の数年間は、イコンの制作をつづけてはいたようですが、白内障が進んできたこともあり、
  郷里へ帰る決断をしたようです。
                 
*1918年(大正7年)、 61歳の時、故郷笠間に帰りました。帰って間もなく、白内障の手術を受けた結  果、度の強いめがねをかければ、新聞なども読めたようですが、絵筆を持つことも無く、自分の過去な  どもほとんど語らず、愚痴も言わず、裏の畑に野菜などを作り、春にはセリなどの野草を摘み、訪れる  人も無い生活を、少しも退屈する様子も無く、楽しそうに暮らしていたといいます。

 毎日二合の晩酌をを楽しみながら、81歳の天寿を全う。1939年(昭和14年)1月26日逝去。

★ひとこと

ここは、もと小田秀夫の住居地でした。
山下りんは、彼の大伯母にあたります。
つまり、山下りんの弟、峯次郎(母・多免の実家、小田家の養子となる)の孫。
一生独身であったりんは、東京(神学校)から郷里の笠間へひきあげた後、弟の敷地内に家を持ちました。

多分この庭の古い樹木は、彼女が2合徳利を提げ毎日酒を買いに行く姿を見ていたことでしょう。

彼女の死後、遺品は小田家に残されました。

このホームページの出典 小田秀夫の著書「山下りん」も収蔵されています。