明治時代のイコン画家。山下りんと、彼女の遺品を収蔵、展示している白凛居のご紹介です。

≪山下りん≫ 安政4年(1857)〜昭和14年(1939)聖像画家
祈りのために描かれる聖なる像、イコン。明治13年、このイコン画家になるため、単身ロシアに留学した女性。
工部美術学校の初めての女子学生の一人であり、
わが国最初のイコン画家。
1901年に描かれたウラディミルの聖母→
幕末の笠間藩(茨城県笠間市)の下級武士(足軽二人扶持)の娘として生まれた、
山下りん。 描くことが好き、描くことで生きていきたいという一心で、上京。浮世絵、日本画と修行を積んでいるうち、洋画に出会う。 明治政府が設立した工部美術学校に入学。イタリア人教師アントニオ・フォンタネージに近代洋画の基礎となる技術を学ぶ。 本来なら、近代絵画の担い手となるはずが、運命のいたずらで、ロシアのサンクトペテルブルグへ留学。聖像(イコン)画家となる。 イコンとは、形や色彩などに決まりがあり、ロシア正教の教会に掛けられ、祈りの対象となる聖人の絵で、元来、模写であり、署名も許されないのが通常。制作年代の記述もないものが多く、また長い年月の間に各教会の変遷と共に移動も余儀なく、画家としての彼女の名は、表に出なかった。 おもしろいのは、模写がうまければうまいほど、原画と見分けがつかなくなり、山下の制作かロシアからの招来イコンかわからなくなること。 いずれにせよ、描くことに生きた彼女のイコンは、100年以上を経てなお、日本各地のハリストス正教会に活きている。
「生来画を好む。」
と自分の履歴のはじめに書いた彼女は、
描くことを求めて、まっすぐにまっしぐらに生涯を過ごしました。
興味のあることに熱中すると、他の事は忘れてしまうほどの没入ぶり、
その為の失敗は、多々あったようですが、
彼女の人生を貫く、決断の速さと潔さは、特筆すべきものでしょう。
≪白凛居≫

所在地 茨城県笠間市笠間1510
開館 月約3回
入場 無料


アヤメとサヤエンドウ(山下りん)