山下りんと白凛居

≪山下りん≫ 安政4年(1857)〜昭和14年(1939)聖像画家

                                           出展小田秀夫著「山下りん」より
★  山下りん年表                                                     西暦   (和暦)   年齢       出来事・内容

1857  (安政4)       5月25日、笠間市に生まれる。
1863  (文久3)    6    父・重常死去。
1872  (明治5)    15    画業を志し、家出。上京するが連れ戻される。
1873  (明治6)    16    再上京。一鶯斎国周の学婢として、住み込みで浮世絵を学ぶ。
1874  (明治7)    17    円山派の月岡藍雪に師事。住み込みで日本画を学ぶ。
1875  (明治8)    18   中丸精十郎に師事。住込みで洋画を学ぶ。

1877  (明治10)   20   工部美術学校入学。
1878  (明治11)   21   ハリストス正教の洗礼を受ける。
1880  (明治13)   23   工部美術学校退学。12月横浜出航。ロシアへ向かう。
1881  (明治14)   24    3月ペテルブルグのノボジェーヴィチ女子修道院に入る。
1883  (明治16)   26   4月帰国。女子神学校内宿舎に聖像画家として工房を開く。
1884  (明治17)   27   3月、神田駿河台に東京大聖堂(ニコライ堂)起工。
                   10月、銅版画の習得を理由に、一時正教会を離脱。
1888  (明治21)   31   8月、神中糸子と箱根・塔ノ沢温泉にスケッチ旅行。
1889  (明治22)   32   8月、笠間に一時帰郷し、筑波山や大洗に遊ぶ。
                   現在、記録にみる最も早期のイコン制作
1891  (明治24)   34    3月、東京大聖堂が竣工。ロシア皇太子への献上イコン制作。
1901  (明治34)   44    ウラディミルの聖母子を描き、署名を入れる。
1903  (明治36)   46    4月、ロシアイコンの修復と模写のため京都正教会へ。滞在中
、               大阪で開催中の第5回内国勧業博覧会を見学。

1905  (明治38)   48    兄・重房逝去。
1908  (明治41)   50   母・多免逝去。
1909  (明治42)   52    この頃、南画家木村香雨に師事、水墨淡彩を習い香渓と号す。
1909  (明治43)   53   ニコライ大主教宣教50年祝典の大聖福音経の聖画挿絵を制作。
1912  (明治45)   55   2月26日、ニコライ大主教(76)逝去。明治から大正へ。
1917  (大正6)    60    ロシア革命
1918  (大正7)    61    故郷笠間に帰る。以後、笠間に暮らす。
1923  (大正12)   66    9月、関東大震災のため、東京大聖堂が全焼。
1937  (昭和12)   80    弟・峯次郎逝去。
1939  (昭和14)   81   1月26日、逝去。享年81歳。笠間市の光照寺に眠る。


       もうちょっと詳しく→ 生い立ち   美術学校時代   ロシア留学   帰国後